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大きな影響を与えた、ツァボの人食いライオン

華盛頓Webライター
credit:unsplash

野生動物が人間を襲撃する事件はしばしば起こっており、時として動物の犠牲になる人間もいます。

その中でもツァボの人食いライオンが起こした襲撃事件では、多くの人が犠牲になったのです。

この記事では青年将校と死闘を繰り広げたツァボの人食いライオンについて紹介していきます。

事件の影響

ツァボでの人食いライオン事件は、イギリス議会でも取り上げられ、首相ソールズベリー侯爵は鉄道建設の遅延理由として「人夫を狙うライオンの出現」を報告しました。

ライオン退治まで工事が三週間中断され、人夫たちは鉄の囲いで保護されるまで作業を拒んだといいます。

その後もツァボ付近ではライオンの襲撃が続き、1899年3月には道路建設中の技師が犠牲となり、1900年には「キマの人食い」が駅員や白人を襲撃しました。

ドイツ軍駐留時や第二次世界大戦後も同様の被害が報告されています。

労働環境の是非

ツァボでの鉄道工事が始まった当初、現地住民は工事に関心を持たず、技術も不足していたため、鉄道会社はインドからの労働者を雇いました。

しかし、過酷な環境に慣れない彼らはマラリアや黄熱病で次々と死亡し、死体は谷底に捨てられハゲワシやハイエナの餌となったのです。

この時、ライオンが人間の味を覚えたと考えられています。

さらに、アフリカスイギュウの激減もあり、ライオンは労働者を狙い始めました。

広範囲に広がるキャンプを襲撃し続けたものの、護身用の銃が行き渡らなかったことも犠牲を増やす一因となったのです。

Webライター

歴史能力検定2級の華盛頓です。以前の大学では経済史と経済学史を学んでおり、現在は別の大学で考古学と西洋史を学んでいます。面白くてわかりやすい記事を執筆していきます。

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