日本で頻発した「仏像盗難事件」…意外な結末を迎えた末に国宝に指定されたものも
古来より、アジア周辺の仏教文化を色濃く受け継いできた日本には、数多くの神社仏閣が点在しており、その数は国内で展開しているコンビニの約3倍ともいわれています。
仏教では、悟りを開いた者を指す「仏」を信仰の対象としており、「仏像」は仏の分身体のように大切に扱われていたため、神社仏閣の宝物庫で厳重に保管されていました。
しかし、仏教ブームが到来していた奈良時代頃から「仏像盗難事件」が相次ぐように…
今回は、歴史上で起きた仏像盗難事件について紹介します。
◇近年の仏像盗難事件
2006年2月5日、法隆寺にある国宝の木造建物「西室(にしむろ)」の格子が破壊され、文殊菩薩像が盗まれた事件で世間を騒がせたことはご存知でしょうか。結果として、犯人が逮捕されたことで仏像は法隆寺に返還されています。
また、2023年8月~9月までに、奈良県葛城市の「當麻寺念仏院」に忍び込んだ男が、鎌倉時代初期につくられたとされる「木造阿弥陀如来坐像」を盗んでフリマショップで転売していたという事件も。
このような事件は、近年耳にするようになったという方が多いかもしれませんが、実は何百年も前から頻発していたそうです。
◇平成元年に発覚した仏像盗難事件
1989(平成元)年、とあるフランス人研究者がパリのギメ博物館の収蔵庫に保管されていた仏像に興味を惹れ、調査を行ったことがキッカケで仏像盗難事件が発覚します。
フランス人研究者が行った調査によると、この仏像は法隆寺・金堂の西の間に安置されている金銅・阿弥陀三尊像の右隣にあった「勢至菩薩像」だと判明。この仏像がいつ盗まれたものなのかどのような経緯をたどったのか、未だ判明していないことが数多く残っているそうです。
ちなみに「勢至菩薩像」は、金剛力士像の制作に携わった運慶の息子が1231年に制作したもだと考えられており、今では重要文化財にも指定されています。
◇平安時代の仏像盗難事件
大化の改新で功績をあげた蘇我倉山田石川麻呂が創建した「山田寺」。その講堂に安置されていた「丈六薬師三尊像」も盗難被害に遭った仏像のひとつです。
事件が発生したのは、鎌倉時代に起きた「南都焼き打ち」で建物の一部を焼失した興福寺が復興に追われる最中のことでした。
本尊の復興が遅れていることに苛立った僧が、1187年に山田寺から仏像を強奪したのです。
盗まれた「丈六薬師三尊像」は興福寺東金堂に安置されることとなり、1411年に発生した大規模火災の際に建物ごと焼失し、のちに「頭部」だけが発見されました。それが1937年の解体修理で再発見され、現在は「国宝・仏頭(薬師如来)」として、興福寺国宝館で展示されています。
◇盗難事件の影響
昔は仏教への強い信仰から神の恩恵を受けたい一心で仏像を盗む輩もいたようですが、近年の盗難事件と同様に価値ある仏像を転売して金銭を稼ぐことが目的の犯人も少なくなかったようです。
最近では、盗難や悪意をもった器物損壊を警戒して歴史的な文化財でも一般公開を限定することは珍しくありません。貴重なものなので仕方のないことではありますが、目にする機会が減ってしまうのは悲しいものですね。