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若者は映画を早送りで「見ていない」――倍速再生議論の本質

まつもとあつしジャーナリスト・コンテンツプロデューサー・研究者
(写真:アフロ)

「若者が動画を倍速で見ている」という話がネットで話題になった。ソーシャルネイティブで他者の共感とコスパを重視する現在の若者=Z世代は、共通の話題となる映像作品を早送りで見ている(のはいかがなものか)というのがその論調だが、果たして本当にそうなのか? 大学でのアンケートを基にその実態と本質を考えたい。

メディア接触・コンテンツ密度・咀嚼(そしゃく)スピード

本題に入る前にメディアとコンテンツの関係を押さえておきたい。大学のメディア系の講義で学生に分かりやすく単純化して伝える話でもあるのだが、メディアが「お皿」でコンテンツが「料理」という関係に喩えたりする。同じ物語というコンテンツ(料理)でも、それを載せるメディア(お皿)の形が変われば、たとえ材料が同じでも料理の味わい方やその価値が変わるということだ。

そして、一口にコンテンツと言っても、シーケンシャル(連続的)に受け取らなければ意味を把握しづらい物語コンテンツと、ランダムにアクセスしても必要な内容を知ることができる情報コンテンツでは消費スタイルが全く異なる。

そして私たちは1990年代からITの急速な発展に伴って、メディアの急速なデジタル化・ネットワーク化を体験してきている。それまでのアナログメディアに載ったコンテンツに比べ、格段にサーチ(検索)・シーク(特定の再生箇所の探索)・レコメンデーション(関連コンテンツの推奨)といった消費(喚起)行動が取り/取られやすくなり、映像コンテンツ――特に情報コンテンツとの向き合い方が変わったことは間違いない。ただそれを単純に「早送りで見ている(嘆かわしい)」という風に捉えるのは早計だろう。

物語コンテンツについて言えば、私のような現在40代の人間にとっては、1950~60年代のいわゆる「邦画黄金期」の作品は、内容は良いということは分かっていても展開が緩慢に感じられて、見続けるのに努力が求められることがある。これは致し方ないことで、それらは劇場で見ることが当たり前の時代の作品であり、映画というコンテンツが現在よりも非日常なものであり、多くの人々にとって特別な体験であった時代の作品ゆえ、展開が早すぎたり、情報量が多すぎては観客が付いて来られない=料理を咀嚼しきれないから必然的にそうなってしまう。

逆に言えば、映画が私たちにとって当たり前の存在となり、視聴スタイルも多様化する中、テンポや情報密度は格段に上がっている(そうしないと配信サービスなどではすぐに再生を「キャンセル」され、別の動画に逃げられてしまう)。そういったコンテンツを当たり前のものとして親しんだ私たちが、古典的名作を楽しもうと思えば、事前準備=一定のリテラシーが求められる。もしそれ(作品を視聴し続けるだけの動機)が獲得できていなければ、途中で見るのを止めるか、飛ばしながら「一応最後まで見た」という言い訳を得ようとするはずだ。

これと同じ事が、X・Y世代(1960年~1990年前半生まれ)からZ世代(1990年後半~2020年代初頭生まれ)の消費行動を見たときに起こっていて、それを単純化して理解しようとすると「せっかく良い作品なのに早送りして見ている(ように見える)、嘆かわしい」ということになる。しかし、実際に若者にアンケートを採ってみると、Y世代向けの物語コンテンツが、Z世代にとっては緩慢なものに感じられている(だからといって、ずっと早送り再生しているわけではない)こと、そして情報コンテンツについてはX・Y世代と「同様に」自分と関係がない(と思う)ところはスキップしているに過ぎないということが見えてくる。

学生アンケートから見えてくる実態

「本当にZ世代は倍速再生しているのか?」という疑問から、7月に筆者の所属大学でアンケートを採ってみた(n=87・本調査には後述のイベントにも登壇頂く西田宗千佳氏・長谷川雅弘氏に設問設計の協力を頂いた)。筆者がいる大学は新潟県北部の学生数800名弱の小さな大学だが、少なくともバイアスが掛かりがちなネットアンケートや、東京の調査会社のインタビューに答えるような「意識高め」の学生のコメントからは見えにくい実態が現れているのではないかと思う。

なおこのアンケートは、この議論の出所の1つとなっているクロスマーケティング社が行ったネットアンケートと設問項目を揃えたうえで、幾つか設問を加えてある。

さっそく本題の「倍速で見ているか否か」を見ていきたい。

結論から言えば、よく倍速で視聴しているが11.5%、時々倍速で視聴しているが29.9%で合計41.4%で半数弱となっている。ただし、このあと紹介するように「映画」のような物語コンテンツを倍速視聴しているとは見て取れない。先述のアンケート結果を元に「倍速で視聴したことはあるが、いまはあまり倍速で視聴していない」を「倍速で見る人たちが半数」として扱っている論調もあるが、これはあまりフェアとは言えないだろう。とはいえ、地方においても約4割が倍速視聴していることは一旦は留意しておきたい。

ではいったい、どんなコンテンツを倍速視聴しているのか。それを尋ねる前に普段彼らはどんなコンテンツを観ているのかを押さえておきたい。

元のアンケートでは「倍速再生したいコンテンツは何か?」という意向調査は行われているが、普段どのようなジャンルのものを見ているかは尋ねられていない。複数回答で尋ねたところ最も多いのがアニメ・映画、続いて音楽、ゲーム実況、YouTuberの企画動画という結果となった。

その上で、倍速で視聴したいジャンルをやはり複数回答で尋ねたところ、ニュース・報道が3割でトップ、次いで各種まとめ動画、YouTuberの企画動画、ゲーム実況となった。ここから言えることは物語コンテンツではなく、情報コンテンツが倍速視聴の意向と相性が良いと捉えられているということだ。一方で先の回答で普段見ている割合が高かった音楽やアニメ・映画といった物語コンテンツについては倍速視聴意向が高くない。

そして、やはりネットアンケートにはなかった倍速視聴の方法についても聞いてみた。というのは、一口に早送りといっても再生速度を変えて見ているのか、CMスキップのように飛ばして見ているのか、あるいは場面を選んでシーク再生しているのかで、全く意味が異なってくるからだ。そうしたところ半数以上が「スキップ」、続いて4割弱がいわゆる倍速再生していることが分かった。

以上を総合すると若者は映画のような物語コンテンツはさほど倍速視聴しておらず、情報コンテンツの必要な箇所を積極的に「スキップしながら」取捨選択している傾向が見て取れる。

倍速視聴が行われる根拠として「手っ取り早く友だちと話を合わせるため」という理由が挙げられることがあるが、先に述べたようにコンテンツの情報密度が上がっているなか、物語も倍速再生やスキップしてしまっては話を合わせることが難しくなってしまう。実際、筆者の担当する学生に尋ねてみても「映画・アニメは倍速再生は無理」という声が圧倒的だった。一方でゲーム実況やニュース報道などは、必要なところを見たいので積極的にスキップしている。私も含め読者諸氏もそうだと思うが、要点を掴んだ上で更に情報を得たければ、また元の位置に戻って見返す、といった行動はごく自然に行われている。

倍速視聴が話題になる2つの理由と本質

ここまで見てきたように「若者が映画を早送りで見ている」と見做すのは、いくつかの誤謬があると言える。にも関わらず、この話題がネットを騒がしたのは主に2つの理由があると筆者は考えている。

1つめはジェネレーションギャップ。

先のネットアンケートでは、ドラマが倍速視聴意向の強いコンテンツとしてあげられている。

クロス・マーケティング「動画の倍速視聴に関する調査(2021年)より引用
クロス・マーケティング「動画の倍速視聴に関する調査(2021年)より引用

このことが恐らく映画も含めた「物語コンテンツも早送りで見られている」という解釈に繋がってしまっている可能性があるが、実態は異なっている。また「倍速で見たい」と「実際倍速で見る」には距離があることにも注意したい。

筆者はこの結果は、冒頭に述べたコンテンツのテンポと情報密度に対する世代間のギャップが現れていると捉えている。端的にいえばZ世代にとって「ドラマは緩慢に感じられているのではないか」ということだ。多くのドラマはテレビ放送を前提に制作されてきた。そして、テレビの視聴層が高齢化していることは既に様々な調査から明らかになっている。50年代、60年代の映画がY世代にとってテンポが悪く感じられてしまうのと同じように、テレビドラマはかったるいもの=飛ばしてみたいけど、実際に飛ばしてしまうと話についていけなくなるので、仕方なく見ている、という状況を表していると捉えた方が自然ではないだろうか?

(なおこのグラフでは50代女性が43.8%と倍速視聴意向がより高いのがまた興味深い。推測となるが昔見たドラマの名場面を見返したい、といったところだろうか? いずれにせよ、ネットアンケートへの高齢層の回答はバイアスが更に強くなるのでデータの扱いには注意が必要だ)

そして、もう1点。こちらはより深刻な話ではあるが、地方の大学で教育を行っていると痛感させられるのが、若者は昔に比べて時間もおカネもなく、そのことがかなりまずい状況を生んでいるということだ。共働き世帯がほとんどとなり、その世帯収入も上がらないなか、学費を稼ぐためにバイトを詰め込み、祖父母や幼い兄弟の面倒を見るために、サークル活動なども行なえずに講義が終われば一目散に大学から居なくなる学生=いわゆる「ヤングケアラー」が少なく無い。「だから、早送りで物語を消費せざるを得ない」とか「彼らはタイパを重視している」ということが言いたいわけではない。時間もおカネもないので、飛ばして見るどころか、そもそも彼らは「何を観るか」を相当絞り込んだうえで「最低限のものを観て友だちと話をあわせる」しかない状況になっており、その根本的な問題はもっと深いところにある。

大学で講義を行い、学生たちを評価しながら実感するのは、そういった若者たちは、幼少期にいわゆる物語の読み聞かせを起点として蓄積される「リテラシー」が不足しており、物語コンテンツの読み解きを苦手としているということだ。そこから更に言えば、現実社会も含めた「世界観構築や把握の能力」を高める機会が圧倒的に不足してしまっている。(参考記事→ 文春オンライン『「ごんぎつね」の読めない小学生たち、恐喝を認識できない女子生徒……石井光太が語る〈いま学校で起こっている〉国語力崩壊の惨状』)読み解きができなければ、スキップ・早送りで「わかった」と自分に言い聞かせるようになってしまったとしても無理もない。

昨今よく指摘されるようになったSNSアルゴリズムによる社会・コミュニティの分断も、大元を辿ればフィルターバブルを突き破るような想像力を持ち合わせる機会を得られなかった人々が可視化されたものだと言い換えることも出来るはずだ。

このように「倍速視聴」問題の本質を掘り下げていけば、コンテンツの送り手に求められるのは、実態が伴わない「倍速」という表層をみるのではなく、改めて世代間でのギャップやコミュニティの分断を結び直すような物語を生み出すことなのではないかと思う。それは、豊かな物語コンテンツに親しむ機会がまだ十分にあったわれわれX・Y世代にとっては、「こんなところから始めなければならないのか?」と天を仰ぎたくなるような作業でもあるが、彼らをそういう状況に追い込んでしまったのも、また私たちでもあり、その責任を負わなければならないのではないかと考えている。説明過多な「わかりやすい」物語が悪いのではなく、そこから始めなければならないのだ。

※本文で紹介した講演イベントについて詳しくはこちらを参照されたい。本稿では触れなかった動画配信におけるコンテンツ視聴の傾向なども議論したいと考えている。 → https://jsas-industry-7th.peatix.com/

ジャーナリスト・コンテンツプロデューサー・研究者

敬和学園大学人文学部准教授。IT系スタートアップ・出版社・広告代理店、アニメ事業会社などを経て現職。実務経験を活かしながら、IT・アニメなどのトレンドや社会・経済との関係をビジネスの視点から解き明かす。ASCII.jp・ITmedia・毎日新聞経済プレミアなどに寄稿、連載。デジタルコンテンツ関連の著書多数。法政大学社会学部兼任講師・デジタルハリウッド大学院デジタルコンテンツマネジメント修士(プロデューサーコース)・東京大学大学院情報学環社会情報学修士 http://atsushi-matsumoto.jp/

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