「ゲームの歴史」――間違いだらけの本はなぜ出版されたのか?
昨年11月16日の刊行から炎上状態になっていた岩崎夏海氏・稲田豊史氏の共著『ゲームの歴史』(講談社)の販売中止、早期返品が先月4月7日に発表されている。全編を通じて多岐に渉る事実誤認があり、当初、著者が言及していた改版時の修正も困難と判断されたようだ。
どれほどの間違いが含まれているかについては、1980年代からゲーム業界に携わるプログラマー・ライターの岩崎啓眞氏が自身のブログで検証を行っている。氏によれば「デタラメ・間違いが数限りなく」あり「固有名詞と発売日以外は書いてある内容は全て疑ってかかる」べき本ということになる。(なお氏は既に本書に関する10本以上にわたる批判・検証記事を書いていて、非常に資料的価値が高いものになっている。書籍化も計画されているとのこと)
通常、書店で手にするような本は「校閲者」と呼ばれる専門家が、本文で言及されている事実関係に間違いがないか、関連する資料にもあたって細かくチェックを行うのが一般的だ。「校閲」は誤字脱字を直す「校正」とは異なり、時間も手間も掛かる作業だ。今回衝撃的だったのは、これが最大手である講談社から刊行されたものであったことだ。『進撃の巨人』などのヒット作や学術専門レーベルも擁する業界最大手なのに「どうして」というのが筆者も含めメディア関係者が感じた率直な印象だ。
縮む出版市場・省略/簡略化される校閲
出版社勤務の経験があり、これまで10冊以上の書籍を刊行してきた筆者も、この校閲の有り難さが身に染みている。もちろん書き手としての基本的な事実誤認はあってはならないが、取材者の記憶違いや、原稿執筆から出版まで時間が経ってしまい、古い資料を参照してしまっていた時など、校閲者の指摘を受けて修正したことは何度かあった。
校閲に係るコストはジャンルによって様々だが、例えばある専門業者では1文字あたり0.715円~2.2円という価格を提示している。10万字の書籍原稿ならば20万円前後ということになるが、ヒットコミックを除く雑誌・書籍の出版市場は縮小傾向が続いており、この程度のコストも圧縮できるならそうしたいというのが実情のようだ。
ヒットコミックのメディア展開によって、業績が堅調な講談社のような大手であっても、例えば2月には「イブニング」が休刊になるなど、雑誌・書籍は厳しい状況が続いている。とにかく売上を立てようと、矢継ぎ早に刊行される新書などを読んでいても、校閲されていないのではないか、と首を捻るような内容のものも目にする機会が増えた。
「ゲームの歴史」は(書籍のジャンルからも違和感があるが)講談社の児童書レーベル「青い鳥文庫」を抱える児童図書出版部から刊行されており、恐らくゲームのようなコンテンツカテゴリに詳しくない編集者の「校正」のみか、もしくは非常に簡易な校閲のみで刊行されてしまった可能性が高いと筆者は考えている。
この点を確認するために、筆者は4月14日に講談社青い鳥文庫編集部「ゲームの歴史 読者対応窓口」に対して、校閲実施の有無についてメールにて問い合わせたが、本記事公開時点までに回答は得られていない。
エンタメを「記す・遺す」ことの難しさ
「ゲームの歴史」に対する批判としては、「ゲームが舐められているのではないか」という指摘もあった。現代では誰もがゲームをプレイした経験があり、自己の体験に基づいて何かを語ることが出来る。だが、それが一定の説得力を持つためには、その背景にある理論・データ・証言といった論拠(エビデンス)の提示が不可欠だ。
芝浦工業大学教授で『日本デジタルゲーム産業史』などの著書をもつ小山友介氏は、自身のブログで以下のように述べている。
実はこの指摘は、ゲーム以外のエンタメコンテンツ全般に当てはまる。アニメや音楽、映画など誰もがアクセスしやすいが故に、例えば哲学や科学といった分野に比べて「熱い思い」を語りやすいが、多くの人が目にすることになる商業メディアの記事にしたり、書籍として刊行するのであれば(ひろゆき氏のいう「それってあなたの感想ですよね」ではないが)「わたしはこう思う」では全く足りない。
大学教員でもある筆者は学生の論文指導に当たるときも、必ず先行研究や文献を探してもらい、「わたしはこう思う」を「誰それは、こう述べている」で補強してもらうことから始めるが、実のところこういった訓練を十分に受けないまま、文章を扱う仕事をしている人も少なくないのではないかと感じている。
また、今回の一件が明らかにしたのは、ゲームについてのアーカイブの不存在だ。美術史や演劇史をイメージすれば自明だが、情報量や解釈を巡る議論は膨大で各分野の専門家が集まり、多くの資料を検討しなければ「通史」を記すことは不可能だ。伝統的なコンテンツ領域では、図書館や美術館、博物館に資料が蓄積され、そこでは司書、学芸員といったアーカイブの専門家(アーキビスト)が日々研究を続けている。ところがゲームだけでなく、アニメにおいてもこういったインフラは未整備のままで、通史としての「アニメの歴史」を誰かが纏めようとしても同様の困難が待ち受けていると言わざるを得ない。今回の一件は日本のポップカルチャーコンテンツのアーカイブの必要性も示していると捉えるべきだ。
「無かったこと」にするのではなく検証と記録が重要
産業としてのアニメを専門とする筆者も、こういった問題とは無関係ではない。文春オンラインに先日寄稿した記事も、一部のアニメーターの方からご批判を頂いている。アニメ制作に関わる複数の関係者の証言を元に構成した記事だったが、当事者であるアニメーターへの聞き取りが不十分だったと考え、別媒体で追加取材を行った経緯がある。現在進行形の事象を扱う以上、こういった異論・反論はむしろ有り難く、記事も批判と共に記録に残して検証可能にしておくことが重要だ。
今回『ゲームの歴史』は販売中止となり、今後、絶版となると予想される(※先の問い合わせ時点では絶版扱いではないとの回答を得ている)。「回収」と異なり、すでに納本済みの図書館などから姿を消す、ということは無さそうだ。
何が間違いであったかが検証・確認可能な状態であることが、歴史をアーカイブするうえでは欠かせない。実際、怪我の功名ではないが、本書の登場によって上記のような貴重な反論記事が出てくること自体に価値を感じている人は少なくないはずだ。「偽史もまた歴史」であり、本来は(膨大な量となってしまうが)正誤表を提示しアクセス可能な文献として残しておくのが版元や著者の責任ではないかと筆者は考えている。