Yahoo!ニュース

「君たちはどう生きるか」楽しめる観客/楽しめない観客に二分してしまう理由

まつもとあつしジャーナリスト・コンテンツプロデューサー・研究者
(写真:ロイター/アフロ)

7月14日(金)に『君たちはどう生きるか』は、タイトルがあしらわれたポスタービジュアルが1つというほぼ事前の情報がない状態で公開された。特報や予告編といった伝統的な宣材はもちろん、出演俳優の情報バラエティ番組への登場もなしという徹底ぶりは、逆に話題となり、公開当日にはNHKはじめ多くのニュースで公開初日の劇場に詰めかける人々の様子が報じられている。初週の興行収入は21億円超と「宣伝なしでここまで集客できるのか」と関係者を驚かせた。しかし、その勢いは2週目以降特に地方部では失速も見られ、これまでの「ジブリ映画」には及ばないという観測もある。何が原因なのだろうか?

(※以下作品の内容に言及しています)

求められる「リテラシー」――2週目以降は勢いに陰りも

本稿執筆時点(2023年8月3日)で、興行収入は46.9億円(305万人動員)を超えたが、筆者の周りの識者からは「しかし失速した/100億円を超えるのは難しいだろう」との声も聞こえる。筆者は新潟を拠点としているが、特に地方での認知度や評価の低さは気になるところだ。週末足を運んだ劇場では客席の半分も埋まっておらず、今後公開規模の拡大は難しいと感じる(ただし、あとで述べるように筆者はこれは本作にとっての失敗だったとは考えていない)。

作品自体は本当に素晴らしい。冒頭の火災のシーンはまさに「圧巻」で、これを観るために劇場を繰り返し訪れているアニメーターもいる。エンドクレジットでは自身の監督作品を持つ方々が原画などを担当したことも確認できる。アニメーションとしての宮﨑作品の最高峰であり、至宝といっても過言ではないと思う。

ときどき目にするような難解という感想もあたらない。しかし、それはあくまで時に「陰」と評される部分も含めて宮﨑駿監督の歩みを知っている、ということが前提となる。例えば本作では「後を継ぐ」というテーマが分かりやすく提示されており、孤高の大叔父から後を継いで理想の世界の創造主となることを提案されるも、そこに悪意があると見抜いた主人公は現実世界に帰るという選択をする。監督自身の後継を巡る様々な経緯などを想起せざるを得ないシーンだ。

吉野源三郎『君たちはどう生きるか』の羽賀翔一氏によるコミカライズより。本作ではあるべき姿を信じて表現に邁進し続けた宮﨑監督の孤独や痛み、そして僅かばかりの希望を読み解くことが求められる。
吉野源三郎『君たちはどう生きるか』の羽賀翔一氏によるコミカライズより。本作ではあるべき姿を信じて表現に邁進し続けた宮﨑監督の孤独や痛み、そして僅かばかりの希望を読み解くことが求められる。

こうしたテーマは、実のところこれまでの宮﨑監督作品にも込められてきた。ただ例えば「大空を翔ぶ」「災害などの大きな問題を解決する」といった描写によって、たとえそれが読み解けなくても多くの人が作品を楽しむことはできた。ところが『君たちはどう生きるか』では、そういった要素は限りなく抑えられており、ひたすらテーマを――それも配信のようにスマホ片手に一時停止や巻き戻しをせずに――読み解いていく必要がある。

本作で表現されているものは、宮﨑駿監督を師と仰ぐともいわれる庵野秀明監督の『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズ同様、極めて自己言及的で、しかも本作からは過去の「宮﨑作品」を包み込んでいた「ジブリ映画」的なエンタテインメント要素は排除されている。いわゆる「ジブリ映画」からイメージされる「楽しさ」を求めて劇場に足を運べば、SNS上でも散見される感想のように「意味が分からなかった」という結果に終わってしまうだろう。読み解きのためのリテラシーが求められる作品であり、それだけに読み解けた時の感慨も深く、まさに観客一人一人に「どう生きるか」を鋭く問う作品にもなっている。

国語力の低下も指摘されるなか、作品読み解きのリテラシーを広く観客(いわゆる大衆)に求めるのは難しい。比較的それを備えている人々が集まっている都市部の一部で話題となり、熱心に支持されるも、その勢いは地方には波及していないというのが現状ではないだろうか。

シネコンでの違和感。単館系で長く愛されるべき作品では?

本作は製作委員会方式を採らず、スタジオジブリ単独で製作されたとされている。通常、数億円以上の宣伝費を掛けなければ、大手全国チェーンでの配給は難しいが、ジブリというブランドバリューで、ほとんど宣伝費を掛けずに本作は東宝系を中心に全国400館以上で上映され、50億円程度の興行収入は達成することになり、純粋にビジネスとしてみればリクープ(投資回収)を果たして、すでに成功したということになるはずだ。

若年層を中心にテレビとの接触時間が短くなるなか、SNSでのあの手この手の宣伝・マーケティングが行われることも珍しくなくなったが、本作の宣伝は極めてシンプルないわば「清い」もので、ジブリ映画だからこそ可能だったという点には注意が必要だが、映画の宣伝手法としても記憶されるべきものになるだろう。

X<Twitter>上で関係アカウント間で展開された謎のやり取り。のちにモールス信号を用いた暗号だったことがわかった。
X<Twitter>上で関係アカウント間で展開された謎のやり取り。のちにモールス信号を用いた暗号だったことがわかった。

エンタメを排したいわば純文学のような本作に、派手な宣伝は似つかわしくないし、逆に本作を愛する人にとってはノイズにしかならない。筆者も本作鑑賞後は「そうそう、こういうので良いですよね」という共感をもって公式Twitterを眺めているが、本作を知らない人、あるいは鑑賞してもテーマを読み解けなかった人に対する「コミュニケーション」としては少々ハードルを上げすぎているようにも思える。

そしてやはり配給のあり方は気になるところだ。過去のジブリ作品と同じく東宝チェーンで配給されたため、特に地方ではいわゆるシネコンで上映されることがほとんどとなった。漠然とエンタメを期待する(ポップコーンとコーラを抱えた)観客と隣り合わせで鑑賞するような作品ではないことは明らかで、ミスマッチという感覚はどうにも拭えない。

本作のような作品の配給のあり方を考える上で、どうしても外せない事例が2016年に公開された『この世界の片隅に』だ。アート・単館系の作品展開に強みを持つ東京テアトルが配給し、公開当初は63館と小規模だったが、高評価に支えられ、終映までに484館までに上映館は拡大し3年以上のロングランとなった。「素晴らしい作品なのに、知られていない。応援しよう」という少数のファンから地方にも拡がったムーブメントは、作品企画時のクラウドファンディングから一貫してこの作品を支えるものだった。『君たちはどう生きるか』も本来はそういった展開がふさわしい作品ではなかったかと思う。

本作においても『シン・エヴァンゲリオン』の際にも見られたSNS上でのいわゆるネタバレ自粛のような空気があることも気になるところだ。もちろん、作品の根幹に触れるような内容を「バズる」ことだけを目的に暴露するのは避けてほしいが、作品への支持・共感の拡がりにはSNS上での言及は不可欠になっている。

シン・エヴァンゲリオン公式アカウントでは、NHKでの特番放送にあわせて、感想の投稿を呼びかけるアナウンスを行った。
シン・エヴァンゲリオン公式アカウントでは、NHKでの特番放送にあわせて、感想の投稿を呼びかけるアナウンスを行った。

前述のとおり本作は、すでに興行成績において結果を残しているが、本当に観てほしい層まで届いているのか、地方での拡がりを見ると少し残念な状況にあるのも事実だ。『シン・エヴァンゲリオン』のように今後、独占配信なども計画されているはずだが、劇場で「映像と対峙する」という体験こそが本作にはふさわしい。芸術作品として海外での評価も獲得しつつある本作についてSNS上での言及が増え、地方の独立系劇場でのロングランなど今後の配給のバリエーションが生まれることにも期待したい。

ジャーナリスト・コンテンツプロデューサー・研究者

敬和学園大学人文学部准教授。IT系スタートアップ・出版社・広告代理店、アニメ事業会社などを経て現職。実務経験を活かしながら、IT・アニメなどのトレンドや社会・経済との関係をビジネスの視点から解き明かす。ASCII.jp・ITmedia・毎日新聞経済プレミアなどに寄稿、連載。デジタルコンテンツ関連の著書多数。法政大学社会学部兼任講師・デジタルハリウッド大学院デジタルコンテンツマネジメント修士(プロデューサーコース)・東京大学大学院情報学環社会情報学修士 http://atsushi-matsumoto.jp/

まつもとあつしの最近の記事