女性コンピューターにしてパイロットが目指す『宇宙へ』
空想の1952年3月3日朝、アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.近海に小惑星とみられる巨大隕石が落下し、東海岸一帯は衝撃波と津波で壊滅する。隕石の被害は合衆国の首都機能喪失だけでなく、全世界的な気候変動を引き起こし、ソヴィエト連邦崩壊をはじめ各国の政治体制も激変。主人公の数学者にしてパイロットのエルマ・ヨークは「地球に住めなくなる日」を予見し、宇宙植民を目指すことになる。メアリ・ロビネット・コワル著『宇宙(そら)へ』は、魅力的な地球規模のディザスターで始まる架空の宇宙開発史SF作品だ。
エルマ・ヨークは第二次世界大戦中に「WASP(陸軍航空軍婦人操縦士隊)」のメンバーとして従軍し、航空輸送任務などを担っていたベテランパイロットであり、幼いころから飛ぶことを愛していた。この経歴が作品の核である宇宙植民、つまり有人宇宙開発活動の中で女性初の宇宙飛行士を目指す動機になる。現実の1950年代アメリカから分岐した作品世界では、将来は火星に人類の社会を築くという大目標があるにもかかわらず、有人宇宙飛行を推進する人々(そのほとんどが白人男性)には、「女性や有色人種も社会の成員である」という視点がすっぽりと抜け落ちている。
現実のアメリカ宇宙開発史では、物理学者サリー・ライドが初の女性宇宙飛行士としてスペースシャトルに搭乗したのは1983年、ソ連のワレンチナ・テレシコワの飛行から20年後だった。スプートニク・ショックならぬ「メテオライト・ショック」で始まった『宇宙へ』の作品世界ではそんな悠長なことは言っていられない。エルマは「共に社会を築く女性抜きで、どうやって宇宙植民を進めようというのか」という問を宇宙開発の推進組織IACのメンバーに突きつけるが、誰も正面からその問に答えようとはせず、女性を宇宙開発から締め出そうとする。
このもどかしい状況の突破口となるのが、作品のもう一つの核であり、エルマの人格を形成する計算の力、科学の力だ。数学の博士号を持つエルマは、宇宙開発の現場で絶対になくてはならない軌道計算や設計を行う「コンピューター(計算者)」として類まれな能力を備えている。エルマの仲間の女性たちも同様の能力を持ち、ゆえに男性たちも歯噛みしながらも女性を受け入れていくことになる。そして、女性がコンピューターとして宇宙開発の重要な役割を担った事実も、現実の宇宙開発史にあったものだ。
1940年代から、NASAの前身組織となった全米各地の航空宇宙研究機関では、数学の能力を持つ女性がコンピューターとして、開発に必要なあらゆる計算を担っていた。『宇宙へ』の著者あとがきにも、女性コンピューターの歴史を描いた2冊のノンフィクションが挙げられている。1冊はNASA ラングレー研究所と有人宇宙計画「マーキュリー計画」の時代の黒人女性コンピューター、キャサリン・ジョンソン氏らが登場する『ドリーム』(2016年の映画『ドリーム』の原作)。そしてもう1冊は、アメリカ初の人工衛星「エクスプローラー1号」の打ち上げを成功させ、人類に初めて火星の映像を見せたマリナー4号、今も旅を続けるボイジャー1号・2号など多数の宇宙探査機を送り出してきたNASA ジェット推進研究所の女性コンピューターを描く『ロケットガールの誕生』だ。
特に『ロケットガールの誕生』が『宇宙へ』のストーリーに強い影響を与えていることは随所でうかがえる。作品世界では1956年2月20日に世界初の有人宇宙飛行が実現するが、このときミッション管制センターで打ち上げの軌道計算を担うエルマと、同じコンピューター室の同僚ヘレンの描写は、『ロケットガールの誕生』に登場するエクスプローラー1号打ち上げのシーンとそっくりだ。また、あとがきで著者のコワル自身から言及があるが、エルマのコンピューター仲間で台湾出身のヘレンは、ジェット推進研究所のコンピューター室の2代目室長を務めた香港出身のヘレン・リン氏をモデルにしている。
コンピューターの女性たちにとって、数学は単なる仕事の道具ではなかった。困難を解決する力であり、ときには純粋な楽しみでさえあった。ジェット推進研究所では、女性コンピューターたちが自主的に計算競争を催していた様子が描かれている。課題を誰が最も速く正確に解くを競い合うコンテストで、いつも勝利を収めていたのがヘレン・リン氏だった。
『宇宙へ』の物語は、こうした現実の宇宙開発史をなぞりながら進む。主人公のエルマは、高い能力を持ちながらも、過去に能力を妬まれていじめ抜かれた経験から発するパニック障害という困難を抱えている。激しく動揺したとき、エルマは数学の課題を解いて心を落ち着かせる。「数学は美しく、科学は楽しい」という印象がストーリーとともにそっとすべり込む、そんな印象を残している本書の原題は『The Calculating Stars』という。
あえてこの作品に物足りない部分を挙げるとすれば、隕石災害から始まったにも関わらず、小惑星研究の隆盛があまり描かれていないことだろう。物理学者、天文学者たちは災害で失った人を悼みつつ1952年の3月前半に「発見」された小天体の出自、組成、軌道や母天体の解明に全力を上げるのではないだろうか。仮符号は1952 EAになるかもしれない(現実では1952年3月15日に発見された小惑星1622 シャコルナクが相当する)。火星植民を目指すとすれば、地球よりはるかに大気が薄く隕石の被害を受けやすい火星を衝突から守るための研究も進むだろう。未知の小惑星を発見するための探査計画が始まり、そこでも優れた計算能力を持つ女性が活躍しているのではないだろうか。