『週刊東洋経済』「貧困の罠」特集が指摘する、政府のデフレ脱却論と厚労省の生活保護基準引き下げの矛盾
『週刊東洋経済』誌が、2015年4月11号で「貧困の罠」特集を組んでいる。早々に購入しようと思いつつ、ついつい買うのが遅れた。先日ここでも取り上げたが、最近、経済誌が相次いで貧困特集を組んでいる。
必要なのは福祉「と」投資――『日経ビジネス』「2000万人の貧困」特集から- Y!ニュース
http://bylines.news.yahoo.co.jp/ryosukenishida/20150326-00044242/
同誌の特集の目次は、以下の通り。
あなたを待ち受ける貧困の罠
国際比較で見た「生活保護」 日本の特徴は家族まかせ
[ルポ1]追い込まれる弱者たち
年金だけでは暮らせない 老後破綻の恐怖
6世帯に1世帯が貧困 困窮する子育て世帯
東京・豊島区 住民の「おせっかい」が子どもを貧困から守る
辞めたくても辞められない バイトに潰される苦学生
(元AV女優・日経記者が歩く) 女性の貧困最前線
[政策を問う]迷走を続ける貧困行政
生活費も家賃もカット 改悪続く生活保護制度
あの芸人の親は不正受給ではなかった はびこる生活保護への誤解
厚労省が物価を偽装? 揺らぐ保護費削減の根拠
新たなセーフティネット 自立支援法は機能するか
[独自推計マップ]貧困のない県も! 広がる地域格差
INTERVIEW| 私ならこうする!
竹中平蔵/慶応義塾大学教授
「もっと規制緩和を進めるために貧困対策が必要だ」
阿部 彩/首都大学東京教授
佐野章二/ビッグイシュー日本代表
[ルポ2]広がる労働者の格差
増え続ける派遣・パート ワーキングプアの蟻地獄
進む親の高齢化 就職氷河期世代ひきこもりの憂鬱
ケースワーカーも不安定 悲鳴上げる非正規公務員
ワーキングプア解消の切り札? 広がる公契約条例の実態
([(http://store.toyokeizai.net/magazine/toyo/ http://store.toyokeizai.net/magazine/toyo/]より引用)
経済誌における非経済的話題は余興と過去の実績に基づくルーチンワークと見られがちだが、同誌の特集は43ページを割り当てており、ボリュームのみならず、なかなか充実した、出色の企画だった。同誌読者が関心を持ちやすいように、同誌の佐藤優氏の連載の言葉を借りれば「がっついたビジネスパーソン」と思しき、年収1000万の人が貧困に陥るまでの経緯を描くルポを入り口におきつつ、データや事例を見せていくといった工夫もなされている。
貧困のスティグマ制や欧州との比較、自己責任論の誤謬、子どもの貧困等々、最近の話題がよくまとめられているので、ぜひ手にとって欲しい。貧困が意外と生活者にとって身近なものになってしまっていることがよく分かるだろう。
個人的に見所の一つと思えたのは、脱デフレと、生活保護制度における生活扶助費の引き下げの矛盾を取り上げた、中日新聞編集委員の白井康彦氏による「厚労省が物価を偽装?揺らぐ保護費削減の根拠」という記事である。生活扶助とは厚労省の定義によれば、「日常生活に必要な費用(食費・被服費・光熱費等)」ということになる。
生活保護制度 |厚生労働省
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/seikatuhogo/
この生活扶助の算定基準の見直しが進められている。その理由は、「物価の下落」だという。他方で、よく知られているとおり、最近は物価の値上がりが顕著になっている。デフレの象徴と目されていた牛丼の値段も各社が値上げを始めている。
牛丼はさておくとしても、安倍政権の成果の最大の目玉は「脱デフレ」のはずである。やはり厚労省だけが、計算方法や期間の取り方によって物価が下がり続けている、ということを強弁するのはさすがにおかしい。独自の方式ではなく、総務省の「消費者物価指数」を利用しない、合理的理由があるのだろうか。
厚労省の「生活扶助基準の見直しに伴い他制度に生じる影響について」(リンク先PDF)という文書を読むと、生活扶助以外にも、さまざまな制度で見直しが始まっていることがわかる。とくに、子どもの医療費等に関する分野を中心に、生活保護世帯の負担額が増えていることがわかる。こうした見直しは言うまでもなく、医療機関にかかるインセンティブを損なう可能性がある。
子どもの貧困などの問題が社会的に取り上げらている昨今、この辺りはきちんと説明しないと、さすがに納得できない。政治でも、もっと取り上げてみてほしい分野である。
セーフティネットの脆弱性は、社会を毀損する。確かに、生活保護という制度自体にも見なおすべき点はある。ただし、それは生活扶助基準の引き下げといった対症療法ではなく、もっと原理主義的なものになるはずだ。同誌の特集も指摘しているが、世帯や親族関係のなかで貧困を規定することは、今後ますます難しくなるだろう。制度自体が複雑化して、一般に理解しにくくなっているという問題もある。とはいえ、生存権の保障は、憲法25条が規定し、また国家が存在する、もっとも重要な理由のひとつである。明らかな機能不全に直面しているいま、やはり「貧困」の定義や、「最低限」の定義も見直す原理主義的な議論も必要であろう。
同誌の特集も含め、最近、相次いだような一般誌での貧困特集は潜在的な国民の不安感を浮き彫りにする。だが、それと同時に、貧困が社会のなかできちんと取り上げられるきっかけとなるはずだ。議論が一般化するという意味でも歓迎すべき傾向だが、強いていうなら、同誌の特集では、もし貧困であると感じたら、まずどうすればよいか、という点がやや手薄に感じた。前述の政策のあり方の議論を含めて、今後そのような議論も期待したい。