「郷愁はわかるが、それだけじゃだめだ」地元紙が報じるモントリオール球団誘致問題
盛り上がるスタンドの観客、ほとんど前進のない球団誘致。これが、今回のモントリオールでのプレシーズンマッチ2連戦を観戦した後の率直な印象だ。
現在、現地時間4月3日の午後6時。モントリオール国際空港の搭乗口近くのBAR&Restaurantで一人っきりの今回の旅の打ち上げをしながら、この原稿を書いている。
地元紙『モントリオール・ガゼット』にとても共感できる記事を発見した。それは、ジャック・トッド記者の「郷愁はわかるが、球団を再誘致するにはそれだけじゃだめだ」という記事だ。弱小時代を中心にエクスポズを取材してきた記者は、今回2試合で10万人を超える観客を集めたブルージェイズ対レッドソックス2連戦を取材した印象をこう語っている。
この記事にかくもぼくが共感できるのは、78年オフに心の底から愛して応援していたライオンズに出て行かれてしまったという経験を少年時代にしてっしまったことと無関係ではないと思う。かたがオープン戦を見るために2年連続で、カナダまで仕事を休んで出かけて行くという酔狂な行動も、これが根っこにあってのことだと思っている。
トッドは、「スタンドを埋めた人たちは、エクスポズがあんなに苦しかった時代はどこに隠れていたんだ」と記している。確かにそうだ。2004年限りでワシントンDCに移転したエクスポズの晩年は、野球開催時に軽く5万人を超す収容能力を誇るオリンピック・スタジアムにはほんの数千人しかいなかったのだ。その不入り具合は、70年代当たりのドン底時代のパ・リーグ級だった。
このあたりの記者の心理状態は良く理解できる。日本でも、2000年の開幕前に、野球用としては閉鎖が決まった川崎球場の最後のプロ野球興業となる横浜大洋対千葉ロッテのオープン戦に、超満員の観客が押し寄せたことがあった。
ぼくは、その試合を見に行かなかった。はっきり言って醒めた目でその試合を捉えていた。「何、今頃になって川崎球場に詰めかけてんだよ」という訳だ。もう無くなってしまうと思うと急に人気を集めるのは、何もプロ野球だけの話ではないが、そんなにわかファンを受け入れるほど、少なくとも当時のぼくは寛容ではなかったのだ。
また、トッド記者は今回の2連戦の初日の試合中にあのペドロ・マルティネスが記者席を訪れ多くのメディアにもみくちゃにされながらインタビューに答えたことも、斜に構えて報じている。
確かにその時はあまりに記者が多かった。ぼくもペドロのコメントを取ろうとしたのだが、記者団に阻まれて近くまで寄れない。結果的に彼が話していることはほとんど聞き取れなかった。
しかし、記者はこう述べている。「この日は50人以上のメディアに囲まれたペドロだが、彼がエクスポズに在籍していた頃は、サイ・ヤング賞を獲得するほど圧倒的な投球を披露しても、試合後のクラブハウスでは彼を囲む記者はほんの数人だった」。
記者がここまで醒めた記述をしているのは、にわかファンへの単なるやっかみではなく、実は一向に具体化しない球団誘致へのいら立ちでもあるのだろう。
生粋の政治家であるデニス・コデール市長は、野球を「ベスト・サマー・ゲーム」として、全面的にバックアップし、MLB再誘致を果たすと盛んにアピっている。あの映画『フィールド・オブ・ドリームズ』の名文句に倣って、「それ(球場)を作れば、彼らはやって来る」”If you build it, they (映画ではHe)will come”と盛んに口にした。
実際に、球場内にもこのフレーズとともに、モントリオールのダウンタウンに魅力的な新球場を合成で組み合わせた大きなバナーを目にした。
しかし、実際には新球場建設は少しも具体化していない。トッド記者は「3年連続でプレシーズンマッチには大観衆が押し寄せているが、この3年間に球団誘致に関しては何が前進したというのだ」と、辛辣だ。
それに対し、市長は「野球に5万人を超す観客が詰めかけるようになるとは、5年前には誰が予想できたか」と強気で、それこそ進歩だと臆することなく語っていた。
一度は球団に見捨てられた都市が、ベースボールタウンとして再生した例は皆無ではない。例えばシアトルがそうだ。69年に誕生したパイロッツが1年限りで転出しながら、77年にはマリナースを誕生させ、その後もしっかりと球団を維持している。また、日本にも福岡という成功事例があることは、述べるまでもないだろう。
しかし、これだけは言える。モントリオールに必要なのは、スタンドの熱気ではなく、誘致に向けた具体的な進展だ。
そろそろ、搭乗時間だ。