博士課程修了者のキャリアパス創出に関する問題の所在(前編)
(ブログ過去エントリを加筆修正して再録)
2012年の4月に立命館大学に赴任することになったのは、以前にもどこかで書いたかもしれないけれど、博士課程修了者、とりわけ人文社会科学系の博士課程修了者のキャリアパスを大学、そして社会のなかで創出し、かつそのために必要なプログラムを作るためだ。ぼくの仕事のエフォートのなかではとても大きなウェイトを占めている(博士課程キャリアパス推進室(2013年度には「大学院キャリアパス推進室」に改組予定。大学院全体のキャリアパスを総合的に検討・支援)という部署の運営委員ということになっている。http://www.ritsumei.ac.jp/ru_gr/g-career/about/outline.html/)。着任しておよそ1年が過ぎ、この分野の現況と立命館の固有の事情についてもだいぶ棚卸ができたので、少しばかり所感をまとめてみた。
「高学歴ワーキングプア」という言葉が一時期メディアを流通したが、大学院の博士課程を終えても、そして学位を取ったとしてもなかなか就職することができない。事実としてそのような状況が存在することは、文部科学省や経済産業省等が公開してきた報告書などを中心にさまざまな資料が示唆している。最近のものでは経済産業省が日本総研に委託した『平成23年度産業技術調査事業 中小中堅企業におけるポスドク等高度技術人材の活用可能性等に関する調査報告書』 などがある。同調査によると、一年間の大学教員採用者数と博士課程修了者を比較した数字があるのだが、1997年にはじめて後者が前者を上回った。
もちろん大学教員のポストは、その年博士課程を修了したものと対応するわけではなく、過年度に修了したものも応募するから単純には比較できないが、大学教員というポストを人材の需要と供給という関係で見ると、供給が需要を上回ったことを示唆している。その後、現在に至るまで、需給状況のギャップは拡大し続けている(2000年時点で約2000人の需給ギャップ、2003年で約4000人、2006年で約4500人程度)。
また同調査は、大学の本務教員数自体は増加しているものの、37歳以下の若手教員が占める割合が、2007年で21.3%であり、1998年の25.2%から下降基調にあることを示唆している。一般に博士課程を修了するのが、27〜30歳頃であるとことを考慮しても、厳しい数字だということが示唆される。
さらにポストドクターの延べ数が、約18000人であることや、本来テニュア・トラックが一過的なキャリアパスでありながら、ポスドクの転職状況を調べると、もっとも高い割合を占めているのがポスドクからポスドクというキャリアであることなどが記されている(調査対象者の約60%が同一機関でのポスドク継続、それに次ぐ約14%が他機関でのポスドク継続、そのあとにようやく大学教員が約8%で続いている)。
たしかに大学院博士課程を修了しても全体のトレンドとしては、厳しい就職事情が待っていることがわかる。需給ギャップが生じることになったのは、1990年代以後の大学院重点化の施策(1996年からの「ポスドク1万人計画」)にその起源があるが、そのほかにもCOEなど大学院を重視した施策が相次いだ。大学院関連の教員の採用と、それに伴った博士課程の定員拡大が同時並行で進んだというわけだ。
こうした一連の高等教育行政の責任の所在についてもいずれは考えなくてはならないものと思われるが直接の問題解決には貢献しないので一旦置いておくとして、現在気がついた(ものの、あまり世間で気づかれていないように思われる)阻害要因と思しき要素をマクロなものから列記してみたい(※ただし、これらはいうまでもなく暫定的な仮説に過ぎず、かつ、ごく個人的な整理・見解であって、ぼくが所属するあらゆる組織等の公式見解では一切ない)。
1.そもそも政策当局と(多くの)大学が抱える諸問題のなかで相対的に見ると、大学院博士課程とPDのキャリアの問題は「規模の小さい問題」であるため、問題解決の優先順位があまり高くない?
大学の学生は一般に、学部、修士課程、博士課程から構成されている。大学院のボリュームが大きい東京大学のようなケースはあるものの、とくに私立大学ではとくに博士課程のボリュームは相対的に小さい。全国で見ても、大学生の数は2008年時点で学部学生は約250万人それに対して大学院生は修士課程博士課程あわせても約26万人であるから、10分の1程度の規模にすぎない(博士課程に限ると、近年は7万5千人程度で推移)。
より具体的に立命館を例にとりあげてみると、学部学生が約3万2千人、修士課程が約2300人、博士課程が約430人の合計約2730人という構成になっている(「データで見る立命館」http://www.ritsumei.jp/public-info/pdf/public04_11_2-6.pdf)。余談だが、立命館は学生数が多く、日大、早稲田に次ぐ学生数らしい。そこでもう少し一般的な規模の私学として関西学院大学を例に取ってみると、学部学生が約2万3千人、修士課程が約700人、博士課程が約160人(大学院は専門職大学院をのぞく)という構成のようだ(http://www.kwansei.ac.jp/c_cppo/attached/0000023963.pdf)。大学院、とりわけ大学院博士課程の規模は学部と比べると相対的にかなり小さいということがわかる。
今更いうまでもなく現在の大学は多くの問題を抱えている。他方で若者の絶対数の減少とそれらに伴った経営基盤の悪化のなかで動員できる資金的、人的資源は相当の制約を受けている。そのため文科省や各大学の組織では眼前に存在する諸問題の解決にあたって優先順位をつけて取り組む必要がある(実態はともかく、合理的には、そうせざるをえないはずである)。だが、「合理的選択」を行うと、ともすると学生数のボリュームが大きい学部の問題解決を政策課題として優先する誘因が働いてしまうことは想像に難くない。大学院博士課程の問題は確かに一般的な意味において「重要な社会的課題」だが、政策当局やガバナンスの現場に降りてくると「必ずしも相対的に優先順位が高くない問題」になってしまうという「齟齬」が生じていることは想像に難くない。現にたとえば多くの大学において博士課程の問題に特化して取り組むスタッフはさほど多くはないだろう。
(ちなみに身内贔屓ではないけれど、立命館の事務方の、少なくともぼくが日常的に接する方々は皮肉な意味ではなく優秀で仕事が速い。ここで書いていることは彼らに対する嫌味ではないことは特記しておきたい(おもに普段一緒に仕事をしている方々に向けて)。実際、立命館は比較的早期に博士課程修了者の問題を認識し、さまざまな支援施策に取り組んできた(http://www.ritsumei.ac.jp/ru_gr/g-career/)。また博士課程キャリアパス推進室という専属の部局も設置している。もちろん現実には各種指標を参照しても、それらが十分うまく機能しているとはいえないのだが、この問題に特化したスタッフ(つまり、ぼくですが)を採用したことを鑑みても、少なくとも解決に向けた強い意欲を持っているといえる。実際大学の長期政策(『R2020』)のなかでも、ライフサイクルから見た若手研究者の支援を明記している。このような大学はなかなかないだろう)
2.決定的に需要不足にもかかわらず、供給の論理で議論を行なっている?
冒頭で見たように、大学院博士課程のキャリアの問題は大学教員しかり、民間しかりそもそも需要が不足している(日本の大学では博士課程修了者の供給削減を大学が主体的に選択することは現状ではとても難しい。したがって需要不足と捉えるしかない)。したがって何はともあれ人材に対する需要を増やさないことにはこの問題を解決することは困難に見える。ところがよかれあしかれ、大学というのは自治を重んじる組織であるから、一部に博士院生のインターン派遣の試みなどはあるものの学内中心に博士課程の問題を解決しようと悪戦苦闘しているのではないだろうか。もちろんそれは重要だが大学内での議論はあくまで供給側の論理であって、市場や社会全般から見た需要の論理と整合的とは限らない。
とくに民間における需要の不足が、博士課程修了者に対する通俗的な固定概念(「頭でっかち」「コミュニケーションが難しい」等々)や、日本における雇用就労習慣に関連する問題と、当事者が民間に就職すること=研究者としてのキャリアを断念する、という必ずしも適切ではない認識を持っていることの3点が異なった認識のなかで輻湊していることに起因するように見受けられる。学内で議論しつつも、問題の所在を把握する段階から学外主体(つまり、企業やNPO、所轄官庁等)と連携し、擦り合わせることで「誤解」をとき、かつ需要の論理を取り込んだプログラムを作る必要があるように思われる。