ベトナムのにぎやかなクリスマスが懐かしい 帰国のめど立たず取り残される実習生ら
「私の育ったベトナムの村ではクリスマスは一番大きなお祭りなんです。家族皆で教会に行き、ミサにあずかり、大勢の人たちと一緒にお祝いをします。もうずっと前に帰国しているはずでしたがコロナの影響で帰れなくなってしまいました。とても寂しいです」と話すのは26歳のベトナム人トゥイさん。
仏教国として知られるベトナムだが、キリスト教人口も増えており、キリスト教徒は仏教徒に次いで多い。
トゥイさんは留学生として来日。夜は弁当工場でパック詰め、週末は運送会社で荷物の仕分けをしながら日本語学校で学び、修了後は日本での就職を探していた。しかしコロナウイルス蔓延により就職どころではなくなってしまったという。帰国を考えたが、ベトナムー日本間の便は少なく、ままならない。8月にはわずかな蓄えも底を付き、路頭に迷ったトゥイさんが訪ねたのがカトリック教会だった。
現在トゥイさんは帰国便に乗れるまでの間、東京・調布のカトリック修道院の一角にある「ドンボスコ・オラトリオ」で生活している。「ドンボスコ・オラトリオ」は、サレジオ会が日本に急増している外国籍の若者のため、月1回開いている集いの場でコロナ禍前の昨年末に始まったものだ。
「ベトナム出身の若者が増えているので、ベトナム人神父や修道士と協力し、ベトナム語のミサを始めました。親元から離れ、一人でいる彼らの精神面のケアができればと考えていたのですが、劣悪な労働現場で働かされていたり、日本語が出来ないことにより、さまざまな不条理に巻き込まれてしまっている若者が想像以上に多いことに驚きました。そのため週2日夜間に日本語教室を開くなどの活動を始めたのです」と田村宣行神父は話す。
さらに3月以降は、コロナによる影響で仕事がなくなった、食べるものがないなど、生活に困るベトナム人の若者からの相談が押し寄せるようになった。SNS等を通して食糧支援を求めたところ、教会関係者らを中心に全国からたくさんの物資が集まった。そこで田村神父らはドンボスコ・オラトリオに集う若者たちと共に生活に困窮する外国人やフードバンクに配布する活動を開始。現在も食糧支援を続けている。
ビンさん(31歳)は技能実習生として札幌で3年間、鉄筋の組立工として働いてきたが、今年8月に期間満了とともに住まいも仕事も失った。
「突然に放り出され、どうすればいいかわかりませんでした。帰国もできず、ビザの関係で仕事をすることも許されない。実習先は残業代も出さず、仕事に必要なものも給料から支払わされるなどいいところではありませんでした」
ビンさんは3年間日本にいるが、日本語をほとんど話すことができない。修道院で掃除や営繕などを手伝いながら、帰国費用を貯めて、帰れる日を待っている状態だ。
「クリスマスなのに帰国できないから悲しいという感情はもはやありません。今は食べるものがあり、眠るところがあるだけで安心するし、助けてくれる人がいることをありがたく思います」と話してくれた。
コロナ禍は日本人だけでなく、たくさんの外国人にも大きなダメージを与えている。満足な食べ物がなく、寒い中、孤独に過ごしている人も少なくない。
冒頭に紹介したトゥイさんは4ヶ月前に食べ物も家もなく路頭に迷った時のことを振り返り、「本当に大きな試練だった。ずっと孤独で、何のために日本に来たのだろうと思うこともあるけど、いつかこの経験が役に立つ時があるのかな」と微笑む。
「ドンボスコ・オラトリオ」では、27日にベトナム語によるクリスマスミサが予定されている。帰国を待つ間、最後にたどり着いた場所で、彼らがほんの少しでも安らぎを得られることを祈りたい。
「ドンボスコ・オラトリオ」では、現在も食糧支援の活動を行っている。詳しくは電話042-482-3117またはvinhnuhuynh[at]gmail.com([at]=@に置きかえてください)まで。
※現在は特例措置としてビザ期間が終了した後も帰国ができない外国人は就労可能となっている。しかしコロナ禍で仕事そのものがないのが現状だ。
※ベトナムへの帰国便は飛んでいるが非常に少なく、価格が高騰している。大使館経由で帰国便を申し込めるが子連れの家族などが優先のためなかなか順番がまわってこない状況があるという。