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偽情報の社会的影響を巡って

八田真行駿河台大学経済経営学部教授
(提供:イメージマート)

偽情報の脅威評価

偽情報(いわゆるフェイクニュース)の社会への脅威を正確に評価するのは難しい。最近、権威ある科学誌Natureに「偽情報は民主主義にあなたが思うより大きな脅威をもたらす」という論説記事が掲載されたが、さっそく英サセックス大学の研究者ダン・ウィリアムズが「偽情報は民主主義にあなたが思うより小さな脅威しかもたらさない」というタイトルの反論を書いていた。どちらもこの種の議論の現状を理解する上で示唆に富む文章だと思う。

Natureの論説は著名な偽情報対策研究者らの連名によるもので、多くの国で選挙が行われる今年、偽情報が民主主義への脅威となる危険性が高いと指摘している。彼らは偽情報の脅威が過大評価されているという一部の主張を否定し、偽情報が脅威である証拠は十分にあり、対策は正当化されると主張する。有効な偽情報対策として、ファクトチェックや事前に正しい情報を広めて啓発する「心理的予防接種」などを挙げている。

一方ウィリアムズは、Natureの主張を四つの点で批判した。第一に、論説の主張と異なり、偽情報の実際の影響力を実証的に示す証拠は乏しい。にもかかわらず過剰な警戒を正当化している。第二に、批判者の見解を歪曲し、あたかも彼らが歴史修正主義者や反科学主義者であるかのように描いている。第三として、市民が議論に参加することと、専門家による政策助言の違いを理解していない。そして第四が、偽情報対策自体がもたらしうる弊害に言及していない上、対策の有効性を立証する証拠も不十分であるという点である。

ここで注目すべきは、誰も「偽情報が民主主義に脅威をもたらさない」とは言っていないということだ。私自身も、偽情報が有害な結果を招く可能性を完全に否定するつもりはないし、先日も書いた通り、技術の進歩によって将来的により深刻な危険が生じるかもしれない。しかし個人的には、ウィリアムズ同様、現状では脅威は過大評価されているように思う。

偽情報の存在と社会的影響は話が別

偽情報が存在する、というのと、それが実際に社会的影響があるというのは全く別の問題である。このことを別の角度から最近取り上げたのが、オックスフォード大学教授でサイバーセキュリティ専門家のキアラン・マーティンによる英ガーディアン紙の記事だ。マーティンは、英国において国論を二分したブレグジット(EU脱退)の国民投票を巡り、当初他国によるサイバー攻撃かと思われた有権者登録システムの不調が、実は単なるアクセス集中によるシステム障害でしかなかった事例などを挙げ、世界的に見ても選挙へのサイバー干渉が決定的な影響を与えた例は非常に限られていること、ロシアや中国などがサイバー世論工作に力を入れているのは事実だが、それだけで有権者の行動を操作するのは容易でないことを指摘している。「ロシアの陰謀のせいでブレグジット派に負けた」というのは、敗北した残留派にとっては都合の良い言い訳だが、現実はそう単純ではないのである。昨今話題のディープフェイクについても、技術的に可能なことと現実的に達成可能なことを混同すべきではないと強調している。娯楽としてディープフェイクを楽しむ人は多いが、動画の内容を真に受ける人は意外と少ないのである。にもかかわらず、偽情報対策の名の下に権力による検閲やプロパガンダまがいの施策が行われるとすれば、そちらのほうが重大な問題だ。

偽情報と真実の曖昧な境界線

ウィリアムズやマーティンが指摘するように、偽情報が人々の実際の行動を左右したことを確実に示す証拠は、調べてみると驚くほど少ない。こう言うと、米大統領選におけるトランプ勝利が大規模な選挙不正によって「盗まれた」、という偽情報に影響された暴徒が米国の連邦議会議事堂を襲撃した2021年1月6日の事件や、日本で反ワクチンの偽情報に踊らされて暴力沙汰に走った人々の事例を思い出す向きもあるだろう。しかし問題は、彼らは本当に偽情報に騙されたのか、ということである。偽情報の訂正やファクトチェックはリアルタイムで大量に行われていた。彼らの多くはそうした情報を目にはしていた。しかし、それでも行動を変えなかったのである。これは偽情報に騙されたというよりは、偽情報が彼らの元々の世界観と親和性が高かったため、むしろ積極的に求めていたからと考えるべきではないだろうか。

そうした彼らの世界観は、政治や制度への不信、経済構造の変化や生活苦、老いや孤独による絶望など、心理的、社会的、政治的な様々な要因が複合的に作用して、長い時間をかけ次第に醸成されたと考えたほうが自然だ。それは偽情報の影響というよりは、むしろ彼らにとってのシビアな現実の反映である。

「偽情報の蔓延は原因ではなく結果」というのは、まさにこのことを物語っている。ある偽情報が広く受け入れられる一方、誰も見向きもしない偽情報というのも多く存在する。事実や真実(とされるもの)が見向きもされず、偽情報のほうが選ばれるとすれば、それにもまた、何かしらの理由はあるはずなのだ。「臭いものにフタ」というが、臭気の発生源としての深刻な社会問題を放置して見て見ぬ振りをしても、そのうち溜まりに溜まった腐敗ガスが大爆発を起こすだけであろう。思うに、偽情報という形でしか表現されない真実もまた、確かに存在するのだ。

駿河台大学経済経営学部教授

1979年東京生まれ。東京大学経済学部卒、同大学院経済学研究科博士課程単位取得満期退学。一般財団法人知的財産研究所特別研究員を経て、現在駿河台大学経済経営学部教授。専攻は経営組織論、経営情報論。Debian公式開発者、GNUプロジェクトメンバ、一般社団法人インターネットユーザー協会(MIAU)理事。Open Knowledge Japan発起人。共著に『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、『ソフトウェアの匠』(日経BP社)、共訳書に『海賊のジレンマ』(フィルムアート社)がある。

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