タイガー・ウッズが目指すもの。「チャンピオンであることの再定義」
1月下旬のファーマーズ・インシュアランス・オープンで1年ぶりの米ツアー復帰を果たし、2015年8月のウインダム選手権以来、2年半ぶりに予選通過も果たしたタイガー・ウッズが、今週のジェネシス・オープンで復帰2戦目を迎える。
開幕前の13日、公式会見に臨んだウッズは明るい笑顔で詰め寄せたメディアの質問に答えた。ウッズはコースの印象、プレーヤーとしての意気込みも語っていたが、ウッズの口から初めて聞くストーリーもあり、そこには「新生ウッズ」の理想像がはっきりと見えた。
【ゴルフ界の謎の1つ?】
大会会場のリビエラCC(米カリフォルニア州パシフィックパリセーズ)は、1992年にウッズが16歳のアマチュアとして米ツアーに初出場した思い出の地。だが、そんな思い出のリビエラでウッズがどうしても勝利を挙げられないことは、以前から「ゴルフ界の謎」の1つとされてきた。
ウッズはリビエラで過去11回プレーしたが、勝利を挙げたことはなく、「ウッズとリビエラは相性が悪い」と囁かれ続けてきた。この日の会見でも「黄金時代の2000年には優勝を逃した場合でも最悪でも2位という日々が何週間も続いたが、リビエラだけは18位と悪かったことを思い出したりはしないのか?」と問われた。
すると、ウッズは「このコースは好き。レイアウトも好き。受ける印象もいいけど、ただ僕のプレーがひどかったというだけのことだ」と笑顔で答え、米メディアの笑いを誘っていた。
【なぜ、リビエラに戻ってきた?】
長年、いろんな謎といろんな噂が飛び交ってきたリビエラに、今年、ウッズはなぜ戻ってきたのか。
その理由は、もちろんウッズ自身が復活復調を目指し、試合出場の機会を増やしているからなのだが、ウッズをリビエラに立たせたもう1つの大きな理由は、ウッズが立ち上げた財団がジェネシス・オープンをサポートしており、ウッズも大会ホストとして貢献したいという思いが強いからだ。
1996年にプロ転向したウッズは、早々に「タイガー・ウッズ財団」を創設し、父親アール(故人)とゴルフを通じた社会貢献に取り組み始めた。以後は、さまざまなチャリティ事業や教育事業、ゴルフコース設計など幅広い分野のビジネスにも取り組んできた。
ウッズ財団が創設20周年を迎えた2016年の秋、ウッズは「TGRベンチャー」を立ち上げ、チャリティや教育、ビジネスなどすべての事業を「TGRの名の下で行なう」と発表。
そして、この日は「タイガー・ウッズ財団」を「TGR財団」と改名し、「地球の未来のために、地球上の何百万人もの子供たちを育てていきたい」と意気込みを語った。
【今、ウッズが最も誇りに思うもの】
ここから先は、ウッズの口から初めて聞いた話だった。
「9/11の後、僕と僕の父は財団の方向性を変えたんだ。以前は子供たちを育てるためにゴルフを活用しようと考えていた。でも、9/11の後、ゴルフやスポーツより教育こそが優先されるべきものだと思った。だから、僕の財団もゴルフより教育にフォーカスし始め、現在に至っている」
そのための教育機関、「タイガー・ウッズ・ラーニングセンター」も「TGRラーニングラボ」と改名された。2006年の創設以来、すでに卒業生は16万5000人超。STEM(S=サイエンス、T=テクノロジー、E=エンジニアリング、M=マセマティクス)を中心とした教育に注力しているそうで、ウッズが主宰する教育機関であるにも関わらず、そこにはゴルフの「ゴ」の字も出てこないところが興味深い。
そこで学ぶ子供たちは、その学校の建物の名前が「タイガー・ウッズ・ラーニング・センター(現TGRラーニングラボ)」であることは知っていても、「タイガー・ウッズが人物の名前であることすら知らない。タイガー・ウッズが誰だかも知らない」とウッズは言う。
「でも、僕はそれで構わない。この国の何百人、何千人の子供たちを育てることができ、新しいデジタル分野にも手を広げ、海外にも広めていく。そうやって何百万人もの子供たちを育てることを僕はとても誇りに思う」
会見場の壇上で、誇らしげにそう言ったウッズの後方には、出来上がったばかりの「TGR財団」の青いバナーが立っていた。
そこには、こんな文字が記されていた。
『TGR財団
タイガー・ウッズのチャリティ
チャンピオンであることの再定義』
これからのタイガー・ウッズは、そういうウッズであることを目指し、このゴルフ界、この社会、この地球上で生きていきたいと言う。
まさに、「チャンピオンであることの再定義」だ。