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秦剛前外相は解任されたのに、なぜ国務委員には残っているのか?

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
中国の秦剛前外相(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

 7月25日に秦剛(しん・ごう)前外相が解任され、後任に中国外交のトップである王毅(おう・き)政治局委員が任命された。秦剛氏解任に関してはさまざまな噂が飛び交っているが、「なぜ国務委員には残っているのか」に関する回答を持っている人はいないようだ。答えは実に簡単。中国政治を真に理解している人なら、すぐにわかるはずだ。

◆秦剛氏が外相を解任されながら、国務委員に残っているわけ

 7月25日、習近平国家主席は<中華人民共和国主席令(第八号)>を発布して、「中華人民共和国第十四期全国人民代表大会常務委員会第四次会議」の結果として、「2023年7月25日を以て、秦剛が兼任している外交部部長の職務を解任し、王毅を外交部部長に任命する」という旨の決定を公表した。

 ここで重要な言葉は中国文字で書くなら「兼任的」で、秦剛は「(外交部部長を)兼任していた」のである。

 では、他のどのような職務に就いていたかというと、「国務委員」だ。

 秦剛は、外交部部長(日本の外務大臣=外相に相当)に関しては2022年12月30日に開催された第十三期全国人民代表大会常務委員会第三十八回会議において任命されることが決議された。

 国務委員に任命されたのは今年3月12日で、第十四期全国人民代表大会第一回会議においてだ。

 このことからも分かるように、中国では国務委員は「国務院総理がノミネートして、全国人民代表大会で投票により決議され任命される」ことになっている。職務は「国務院総理を補助すること」で、言うならば「副総理(日本語的には副首相)」に相当するほどの高位の職位である。

 その任命権は全国人民代表大会にしかなく、罷免権も全国人民代表大会にしかない。したがって、もし秦剛の国務委員職を解任したいと思うのならば、来年(2024年)3月に開催される全国人民代表大会まで待つしかないのである。

 つまり、全国人民代表大会常務委員会には国務委員に関して任命権も罷免権もない。だから現段階では国務委員の職位を保ったままでいるのだ。

 中国政治の基本中の基本を知らないらしい、日本の一部の「中国問題専門家」やメディアは、「なぜ国務委員には残っているのか、不思議だ」と言い、あたかも、そこに解任劇の謎を解くカギがあるような口ぶりで報道している。

 その程度の見識で、さまざまな「噂話」に花を咲かせているわけだ。

◆秦剛氏はなぜ解任されたのか?

 ではなぜ外相を解任されたのかに関して決定的なことを言うのは控えたいが、それでも、「それはないだろう」と思われる憶測に関しては述べたい。

 それは「中国の外交部(外務省)内部における権力闘争」という憶測だ。

 秦剛のスピード出世が妬まれ、王毅一派が密告したという手の噂だ。秦剛はまだ若いのに(56歳で)、2歳年上の謝鋒(駐米大使)を差し置いて外相になった。そのことに不満を持った謝鋒らがアメリカにおけるスキャンダルを、秦剛と対立する(と位置付けている)王毅に告げ、王毅が習近平に密告したという流れの憶測だ。スキャンダルというのは秦剛が香港メディアのフェニックスで「風雲対話(Talk with World Leaders)」という番組を担当していた女性キャスター・傅暁田(ふ・ぎょうでん)氏と不倫関係にあったという噂を指す。

 傅暁田が2022年11月に秦剛の子供を出産したという噂は秦剛が外相に抜擢される前から流れていた。彼女は2022年3月放送の番組で、当時駐米大使だった秦剛を取材している。その後キャスターを降板し、渡米して2022年11月にアメリカで出産。今年4月には飛行機の中で子供を抱いて自撮りした写真と共に、秦剛を取材したときの写真を同時にツイッターに投稿したことがスキャンダルの証拠として世間を騒がせた。

 これらの情報はカナダやアメリカにいる華人華僑系列の評論家たちから出たもので、その中の何名かは筆者の知人でもあるため、直接メールで知ることも少なくない。このたびの秦剛の解任劇に関して、中国外交部内での権力闘争だと言い始めたのも、実はこの華人華僑系列だ。

 それに飛びついたのが日本の一部の中国問題専門家である。その見解をNHKの第一報で報道したので、日本中に一気に「中国外務省内での権力闘争」説が広がった。

 しかし、中国における大きな流れの本質を見れば、概ね何が原因だったのかは見当がつくはずだ。

 7月3日のコラム<習近平が反スパイ法を改正した理由その1 NED(全米民主主義基金)の潜伏活動に対抗するため>や7月4日のコラム<習近平が反スパイ法を改正した理由その2「中国の国内事情」 日本はどうすべきか>に書いたように、中国が反スパイ法の改訂版を実施し始めたのは今年7月1日だが、4月26日に開催された第十四期全国人民代表大会第二次会議で「改正反スパイ法(新修訂反間諜法)」が可決されていた。同時に<中華人民共和国主席令(第四号)>が4月26日付けで習近平国家主席の名において発布され、内容が公開された。

 2014年の反スパイ法との違いは主として、2023年版第二条に書いてある「国家安全観」に関してだ。「国家安全観」というのは基本的に、【外部からの干渉と「カラー革命」の扇動に脅かされないこと】を指している。これはアメリカがネオコン(新保守主義)の主導下で1983年に設立したNED(全米民主主義基金)の暗躍のことを指す。

 この大きな国家方針の線上で、「さらにもう一歩進めた綿密な身体検査」が細部にわたって実施された。その中の一つが秦剛事件であって、三期目の国家主席の職位を手にするほどの絶大な権力を持っている習近平が、外交部内部の権力闘争ごときに左右されると思うのは、中国政治の実態を知らな過ぎるとしか言いようがない。

 もっとも、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』の第一章で書いたように、中共中央委員会委員や中共中央政治局委員あるいは中共中央政治局常務委員会委員(チャイナ・セブン)をノミネートする段階で、どれだけ長期間かけて身体検査をし適性を協議するか、その念の入れようは尋常ではない。その後に投票にかけるという筋道を通しながら、反スパイ法改正案が発布された4月以降に再チェックを行った結果、次から次へと不適合者が出ている。

 秦剛も、不倫相手がスパイ活動を行っていたというのを事前にチェックし切れなかったことが主な原因だろう。習近平の落ち度と、身体検査を担った関係者の落ち度は、計り知れないほど大きく、秦剛を信頼した習近平としては大きな痛手を受けているはずだ。

◆NED(全米民主主義基金)の中国における暗躍

 台湾や香港を含めた「中国」において、NEDがこれまでどれだけ暗躍してきたかに関しては拙著『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』の第六章で詳述した。ここで「CIA」と書いたのは、NEDが「第二のCIA」と呼ばれているからで、「NED」と書いたのでは知名度が低く、日本の読者には伝わらないかもしれないと危惧したからだ。

 第六章の【図表6-2 「第二のCIA」NEDが起こしてきたカラー革命】や【図表6-8 「第二のCIA」NEDの活動一覧表】をご覧いただければ一目瞭然なように、NEDは何とかして中国政府を転覆させるべく、中国に深く潜って「民主化運動」を支援してきた。

 それらのデータは、すべてNEDのウェブサイトから拾い出したものだが、実はこのたび新たにNEDが出している年次報告(Annual Report)があるのを発見したので、既に削除されているものもあるが、何とか見つけ出して新たなデータを入手することができた。

 その中の中国に関する2021年版のデータによれば、NEDのプロジェクト対象は「中国本土、香港、チベット、新疆ウイグルおよび中国全域」となっており、「中国本土(mainland china)」には5,576,268米ドル、「香港(hong kong)」には434,450米ドル、「チベット(tibet)」には1.048,579米ドル、「新疆ウイグル(xinjiang)」には2,578,974米ドル、「中国全域(china regional)(各地域をつなぐもの)」には600,000米ドルが、それぞれ民主化運動資金として注がれている。2021年の対中国プロジェクトの合計は10,238,271米ドルだ。この年次合計は習近平政権になってから増えており、特に2020年における香港やウイグルでの民主化運動支援金が多い。

 民主化運動支援金は、今から民主化運動を起こして現存の政府を転覆させるために使われるものなので、台湾に関しては、むしろ2003年にNEDにより「台湾民主基金会」を設立したので、台湾に資金を出させる形でアメリカ寄りの政権を誕生あるいは維持させるためにNEDと共同で大会を開催したり、アメリカの政府高官を派遣したりするなどの活動を行っている。

 中国に対するNEDの活動の推移に関しては、追って別のコラムでご紹介したい。

 以上より秦剛事件は、大きな枠組みとしては、習近平政権とNEDとの闘いの結果であることが見えてくるが、外相というのはあくまでも中共中央外事工作委員会の結果を受けて実務的に動くだけなので、誰が外相になろうと、中国の外交方針が変わることはない。

 なお、もし中央紀律検査委員会の調査の結果、嫌疑が固まれば、解任した理由などを公表するのが中国のこれまでの慣わしなので、解任理由を現段階で明らかにしないのは少しも不思議なことではない。ただ嫌疑の如何(いかん)によっては、国務委員職を含めた全ての公民権の剥奪もあり得る。

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『中国「反日の闇」 浮かび上がる日本の闇』、『嗤(わら)う習近平の白い牙』、『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。

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