だんだんジャズ~Gの巻~リーダーを知ればスウィングの魅力は倍増しちゃう
毎回3曲ずつジャズの曲を聴き比べながら、なんとな~く、だんだんジャズがわかってきたような気になる(かもしれない)というシリーズ企画『だんだんジャズ』の7回目はGの巻です。
●Gの巻のポイント
拙著『頑張らないジャズの聴き方』「StepG」の章タイトルは「ギャングが暗躍する歓楽街のBGMにはジャズが合う――ニューヨークが育てたアメリカ独自の文化『スウィング』――」。
20世紀初頭に流行した「スウィング」という音楽スタイルは、ブルースやラグタイム、ニューオーリンズ・ジャズなどの要素を“いいとこ取り”して成立し、全米規模で支持されるまでに発展しました。
なぜそこまでウケる音楽になったのか――には諸説ありますが、ボクは時代的な背景に着目して、禁酒法や世界大恐慌が与えた世相を反映した空気感が重要だったのではないかと指摘してみました。第一次世界大戦後に経済発展を遂げて世界の枢軸たる地位を手に入れたアメリカでは、めまぐるしく変化する世相に対応した娯楽が必要であり、それにふさわしい音響を担ったのがスウィングというスタイルのジャズだったというわけです。
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♪グレン・ミラー・オーケストラ|In The Mood
経済発展によって中流階級が増えたアメリカでは、その中流階級にふさわしい娯楽が求められるようになりました。ヨーロッパの社交界で一般的だったダンス=ワルツに代わるような、“躍進するアメリカ”らしいダンスはないだろうか――。そう考えていたアメリカ人は、リンディホップ、ジャイブ、ジルバといったダンスを編み出して、時代の要求に応えました。その伴奏音楽として発展したのがスウィング。ボールルームと呼ばれた広いダンスホールを舞台に演奏されたスウィングには、エンタテインメント性がたっぷり含まれています。軽快に踊ることができて、しかも聴き応えのある演奏をという“新たな富裕層”のワガママな要求が、ジャズを育てたわけですね。スウィングを代表するグレン・ミラー・オーケストラの「イン・ザ・ムード」は、まさにそのことを示しているのではないでしょうか。
♪Duke Ellington & His Orchestra- Take the "A" Train
まだまだ人種的な差別が残っていた20世紀初頭のアメリカでも、高い演奏能力を備えているアフリカ系アメリカ人のミュージシャンはいち早く注目され、音楽を中心とした文化の担い手として活躍していました。なかでもデューク・エリントンが遺した功績は大きく、ダンスの伴奏に終始して流行音楽の域にとどまる可能性も大だったジャズを、ヨーロッパの現代音楽に匹敵する芸術性をもたせるまでに“意識改革”したのが彼だと言えます。エンタテインメント性を重視しながらも、楽器のもっている特性をフルに発揮させる作曲や演出など、20世紀という新しい時代のアメリカという新しい国にふさわしい音楽作りを担った天才アーティストのエッセンスが、この曲に詰まっています。
♪One O'Clock Jump- Count Basie (1943)
デューク・エリントンと並んでスウィング隆盛期の立役者となったアフリカ系アメリカ人のカウント・ベイシー率いる楽団による代表曲「ワン・オクロック・ジャンプ」です。時代の最先端を切り拓いていったジャズ・オーケストラは、一種の“養成所”の役割を果たしていたのですが、とくにベイシー楽団からは次代のジャズを担う人材が輩出しました。1940年代のベイシー楽団はスウィングのお手本のような演奏で魅了してくれますが、1950年代になると“ニュー・ベイシー”と呼ばれるアレンジの凝ったスタイルに転換。1960年代後半にはサミー・ネスティコをアレンジャーに迎えて伝統的なカンサスシティ・ジャズのスタイルを踏襲したサウンドによってジャズ・シーンに刺激を与え続けました。こうした変遷を追っていくのもおもしろいでしょう。
●まとめ
ギャングが暗躍するハーレムを生み出したのは、戦争による好景気と禁酒法のようなアメリカ独自の施策でした。しかし、そこを“温床”にして育ったジャズは“あだ花”に終わらず、さらに大きな発展を遂げていきます。それを可能にしたのが、ビッグバンドというジャズ独特のオーケストラ編成による楽団と、溢れる才能に強烈な個性を兼ね備えたリーダーだったのです。つまり、スウィングをひもとくにはバンド・リーダーが大きなカギ。お気に入りのリーダーを見つけることで、スウィングへの興味は一気に倍増するはずです。
ここに挙げた3曲は、2012年に上梓した拙著『頑張らないジャズの聴き方』の「ステップ編」で欄外に掲載していたものを参考にしながら、新たにYouTubeを探し直して選んだものです。