火星衛星探査機MMXが「火星由来の何か」を持ち帰る確率がほぼゼロであるとわかって関係者が安堵した理由
2024年に打ち上げられ、火星の衛星を探査してその表面のサンプルを持ち帰るミッションが計画されている。JAXAの「火星衛星探査機MMX」は、これまで探査機が一度も降りたことがない火星の衛星「フォボス」と「ダイモス」を目指す。一方からサンプルを採取し、もう一方は周囲を観測する予定だ。
MMXのミッションが成功すれば、地球に帰還してサンプルの入ったカプセルを届けるのは2029年とされている。現在、人類が直接とってきた地球以外の天体の表面サンプルは月とヴィルト第二彗星、小惑星イトカワといったごくわずかな天体しかない。これからまもなく小惑星リュウグウと小惑星ベンヌのサンプルが加わる見込みだが、それでも片手で数えられるほどだ。火星圏からの物質がこれに加われば、惑星の進化の謎、地球に水がもたらされた過程がさらに解明される。
日本にとっては、1996年に打ち上げられ、往路で太陽フレアに巻き込まれ火星の軌道に到達できなかった火星探査機「のぞみ」の悲願を達成し、火星圏を探査する初めての探査機になる。
期待の大きいMMX探査機だが、持ち帰る予定のサンプルに、人類にとって大きなリスクを持つ「あるもの」が入っていたりいなかったりする可能性があった。正確には、入っている見込みは限りなく低いのだが、確実に「低い」ということがいえないとMMXの計画そのものが困難になってしまうというやっかいな代物だ。それは、火星の微生物である。
MMXの計画とは
MMXのミッションを詳しく見てみよう。MMXは計画では2024年9月に地球を飛び立ち、約1年かけて火星圏に到達する。およそ3年かけてまず最初の衛星を観測、着陸しサンプルを採取する。着陸の前には欧州のDLRとCNESが開発したローバーを着陸させ、ローバーはMMX本体が着陸できる場所を探し出すといういわば露払いの役割を果たす。欧州開発の着陸機は、「はやぶさ2」に搭載されたMASCOTの例があり、はやぶさ2で培った海外の宇宙機関との協力関係を発展させ、力を合わせてサンプルリターンに挑む構図だ。初の深宇宙スーパーハイビジョンカメラによる火星の衛星の様子も届けられる予定で、「はやぶさ2」から降りてきた未知の世界、小惑星リュウグウの様子が衝撃的な黒い異世界だったように、見たこともない景色を見せてくれる期待も高い。
そしてサンプル採取。フォボスまたはダイモスは小惑星イトカワやリュウグウよりも大きく重力があるので、はやぶさ、はやぶさ2のように一瞬で舞い降り、舞い上がるような秒速のサンプルリターンはせずに、探査機本体が着陸して腰を据えて物質を採取できる。そこで地中に筒を打ち込むタイプの採取装置と、NASAが提供するガスを吹き付けるタイプの採取装置2通りが搭載される予定だ。ただしその分、着陸の計画には別種の難しさがあり、また表面を飛び立つときには多くのエネルギーが必要になる。
2つの衛星のうち、片方は着陸、サンプル採取は行わずに観測のみとなる。フォボス、ダイモスのうちどちらに着陸するのか、MMXのチーム内では検討が進んでいるとのことだが、正式な発表はこれからだ。
火星の衛星にも「生物の痕跡」がある?
火星の衛星フォボスは直径27キロメートル程度、ダイモスは15キロメートルほど。2つの天体が火星の衛星となった経緯には、小惑星が火星の重力に捉えられて衛星となったという「獲得説」と、火星の表面に他の天体が衝突して大爆発が起き、巻き上げられた岩石が火星の周囲でふたたび集積して衛星になった、という「巨大衝突説」の2通りがある。どちらが真相であるのかはそれこそMMXのサンプルの分析によって明らかになる。現在ではどちらの可能性もあるが、巨大衝突説をもとに考えればフォボスやダイモスには火星の表面に存在した物質が届いている可能性があるということになる。
火星は今でも生命の存在の探査が続けられている惑星であり、微生物が存在する可能性がある。火星の表面では何度も天体衝突が起きており、もしも飛び散った物質の中に微生物が含まれていた場合には、フォボスやダイモスの表面にもそれが届くことになる。
生物が存在する可能性を持つ天体の探査は慎重さが必要だ。米NASAのアポロ計画では、月面着陸を果たしたアポロ11号の宇宙飛行士が月から帰還した際には隔離され、未知の微生物を地球に持ち込んでしまうことがないような取り扱いを受けた。また持ち帰った月の表面のサンプルは真空中で取り扱う必要があった。
これは50年前のことで、アポロ14号以降は取り扱いルールももう少し緩められたとはいうものの、「地球以外の天体から未知の生物を持ち込んでしまう」可能性に対する対策は非常に厳格なものとなっている。火星はその中でも「制限付き地球帰還(Restricted Earth Return)」という最も厳しい方針が適用されるカテゴリーに属する。
火星から何らかのサンプルを地球に持ち込む際には、探査機全体を完全に滅菌する、または完全に封じ込めて地球上のものと接触しないようにする、という対策が求められる。MMX計画よりも以前、欧州が火星の衛星からのサンプルリターンを計画した際には、火星衛星のサンプルに火星の微生物が混じっている可能性が「どの程度なのかわからない」という理由から、火星と同じ厳格なルールを適用することを検討していた。
もし、MMXが同じ考え方で火星の衛星フォボスまたはダイモスからサンプルを持ち帰るとどうなるか。制限付き地球帰還のルールでは「火星に直接または間接的に接触した、封じ込められていないハードウェアを地球に帰還させてはならない」といい、サンプルコンテナを格納容器に移送する作業は火星を出発して地球へ飛行している最中に行われなければならないという。
これを素直に解釈すると、火星またはその衛星からサンプルを取った探査機とカプセルはどちらも「直接または間接的に接触した」ものになり、地球に持ち込むためには、帰還飛行中のどこかで完全密閉できる別の格納容器に納めなくてはならない、ということになりそうだ。技術的にも、コスト的にも非常に大がかりなものになり、MMXの計画成立も危ぶまれる。
そこでMMXのチームは、「火星の衛星の表面に火星由来の微生物が届いたとしてもすでに生き残っておらず、サンプルを採取しても生きたまま地球に持ち込む心配はない」と数値で立証する作業に取り掛かった。
火星の表面には、フォボスやダイモスへ届くほど大きな爆発を起こした隕石衝突のクレーターがいくつも残っている。中でも最近のものとされる「ズニル」クレーターは10万年から100万年以内にできたものだという。
検討チームは、ズニルクレーターが形成された当時、火星の表面に、地球の中でも生物にとって非常に厳しい環境である南極の永久凍土地帯と同程度の微生物が存在した条件を元に試算していった。微生物がいたとしても、隕石衝突の熱や、火星の衛星に到達した際の衝撃、その後の10万年は宇宙放射線が降り注ぐ環境で滅菌されることになる。
こうして試算した結果、MMX探査機が30グラムのフォボスまたはダイモスのサンプルを採取した場合(目標は10グラム程度)、その中に1個でも微生物が含まれる確率は、100万分の1よりさらに低いことがわかった(実際には1億分の1程度と考えられている)。100万分の1という数字は、「制限付き地球帰還」を適用しなくてはならない上限の値だ。これを大きく下回ったことで、MMXは火星衛星のサンプルを、はやぶさ2と同じようにカプセルに入れて地球に投下する方式で持ち帰ることができるようになる。
この検討結果は、2019年1月に国際宇宙空間研究委員会(COSPAR)に報告され、国際的に認められた。日本は堂々とMMXミッションを実施できるだけでなく、NASAもESAも安心してミッションに参加できる。
2019年11月6日から8日まで徳島市で開催された第63回宇宙科学技術連合講演会で報告を行ったJAXAの藤田和央教授によれば、今回の検討は地球上の放射線耐性を持つ微生物が10万年に渡って宇宙放射線の環境を生き延びる可能性を検討したといい、その可能性は極めて低いという。
また、2011年にはロシアの探査機「フォボス・グルント」が火星の衛星フォボスの探査とサンプルリターンを目指して打ち上げられた。このとき、ロシア側は惑星保護についてどのような検討を行ったのだろうか。藤田教授によれば「検討を行ったという話は聞いたことがなく、検討しなかった可能性もある」という。実際にはフォボス・グルントは打ち上げに失敗し火星圏に到達しなかったものの、やや疑問の残るミッションであったようだ。
日本が慎重に準備を進める火星衛星探査機MMXは、火星の衛星から世界初のサンプルリターン、火星の衛星の起源や地球、火星などへ水がもたらされた過程の解明などをの解明を目指し、2024年の打上げを目標に進められている。