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社会的質のバロメーターとしての血液循環。「たかが献血、されど献血」。

にしゃんた社会学者・タレント・ダイバーシティスピーカー(多様性語り部)
学生による献血の呼びかけの一コマ(撮影:にしゃんた)

 日本で輸血用に1日3000人の血液が必要とされている。そんな中、1年で最も献血者が激減するのは冬場である。寒さと献血者数が綺麗に反比例する。

 「ボランティア論」の授業を担当するようになったこともあり、この課題に向き合おうと、日本赤十字社の協力のもとで学生と共に毎年献血推進イベントを主催している。今年は、1月13日と14日の2日間で開催。全国的に大寒波に覆われた週末だったが、116人の大学生が現場に集まった。至って地味な活動で、具体的にはプラカードなどを手に、ポケットティッシュなどを配りながらの献血の呼びかけである。自ら献血する学生も多い。

 そろそろ10年近く続けているこの活動だが、これは私にとって日本社会を客観的に捉える良い機会にもなっている。「日本はスゴイ!」などの賞賛の言葉がメディアを中心に飛び交うが、この場に立つと見えるこの国の姿は、必ずしもそうではない。というよりも、むしろほど遠い。

 私たちの活動場はいつも決まってとある大都会の駅前であるが、ここはいつも、違法駐輪でいっぱいになっている。学生は、駐輪で狭くなった歩道に立ち、自転車をそっと動かし、やっとの思いで足場を確保しながら献血の呼びかけをしている。呼びかけている間も例の駐輪所の出入りは激しい。目の前の人混みの中で歩き煙草しながら通る人も決して少なくない。極論すればここは社会と反社会が同居している空間でもある。さらには献血協力に関しても、諸事情はあることを鑑みても、献血の呼びかけに対する反応は決して喜べるものではない。声を張り上げるほど、自分たちの活動が不毛に思えて押しつぶされそうになる。

 持続可能性を考えた際、日本は様々な課題などを抱えているが、血液の確保が中でも大きいのではないだろうか。日本の多くの課題は少子高齢化に起因するが、社会における血液の循環も大きな過渡期に差し掛かっている。健康や安全確保に十分な配慮をしている点、気持ちがあっても献血ができない者も大勢いるが、絶対条件としての献血出来る年齢は16歳から69歳(65歳以上の献血については、献血される方の健康を考え、60~64歳の間に献血経験がある方に限る)までとなっている。

 少子高齢化に伴う人口構成の大変化の中で今後も提供者が減る一方を辿ることになる。日本社会における血液の恩恵を受ける、つまり被輸血者の大半は実は癌患者である 。癌はまさに日本社会の長寿化に伴う副産物でもあるといえる。日本の少子高齢化によって社会の血液循環において大きなミスマッチが生じていることは目に見えて明らかである。このまま放置すれば、2027年には日本において年間85万人の血液不足が生じる計算になっている。

 人口構造が作り出すミスマッチに輪をかけている要因がもう一つある。若者の献血離れである。10代と20代において特に目立っている。学生にその理由を聞くと、「針が怖い」が理由として圧倒的に多い。むろん学生に限らず、同じ理由で敬遠する大人も多い。背景には、彼ら彼女らの周りには、親や知り合いなども含め献血者がおらず 、習慣や文化として献血に馴染みのないまま今 に至って成長し生きてきたことも大きい。献血は強制するものではないので、結果として血液確保において現場が困っているのが現状である。

 日本において「針が怖い」が、「献血協力」の呼びかけに対してのれっきとした答えになっている。だが私のような者からすると、とてもではないが、コミュニケーションが噛み合っているとは思えない。両者が別次元の話をしているのである。

 今の世の中で、生きる上で針にお世話にならずに人生を全うすることはほぼあり得ない。自分、自分の家族や愛する者などの関係者で他者の血液にお世話にならずに人生を歩むなどはほぼ不可能ではないか。となると献血はしないが、輸血にはお世話になるほど格好悪すぎる生き方はないということになる。繰り返しになるが、もちろん献血をしたくても出来ない人がいることを理解している。

 だが改めて言いたい。献血は、針が怖いという理由で敬遠しているならそのような次元の話ではない。献血にはもっと深いメッセージが込められている。社会人としてはもちろん、人間として、人間らしく生きるとは何かを確認できるメッセージがそこに凝縮されている。大きく分けて、1)人間を助けられるのは人間だけである。2)人間関係は継続が求められる。3)人間は人間である。の3つである。

1)「人間を助けられるのは人間だけである。」

我々人類は多くのものを研究し、生み出してきた。しかし、血液は人工的に作られ普及するところまでいまだ至っていない。つまり、人間を助けられるのは人間だけであるということが解る。

2)「人間関係は継続が求められる。」

上と同じではあるが、人類はあらゆる技術の恩恵を受けている。しかし、血液を永久保存できるところまで至っていない。つまりここでいうと一回献血それで十分とはならず、人間関係は、継続が求められることを実感できる。

3)「人間は人間である。」

人間は互いに多くの垣根を作って生きている。国籍、宗教、肌の色、性別、職種などなど無数に存在している。しかし、血液は型さえ合えば人間が作ってきている不毛な垣根すべてを潜り抜け、乗り越えるのである。

 献血は、おそらく、多くの人がかかわれる人間にとって最も尊くかつ人間としての基本中の基本の自覚を伴う大切な行いである。針が怖いなどの稚心で片づけてはならない深い世界がそこにある。この国の地域ごとの滞りない血液の循環が国としての日本の質、そして日本人の人間力のバロメーターでもある。

社会学者・タレント・ダイバーシティスピーカー(多様性語り部)

羽衣国際大学 教授。博士(経済学)イギリス連邦の自治領セイロン生まれ。高校生の時に渡日、日本国籍を取得。スリランカ人、教授、タレント、随筆家、落語家、空手家、講演家、経営者、子育て父などの顔をもっており、多方面で活動中。「ミスターダイバーシティ」と言われることも。現在は主に、大学教授傍ら、メディア出演や講演活動を行う。テレビ•ラジオは情報番組のコメンテーターからバラエティまで幅広く、講演家として全国各地で「違いを楽しみ、力に変える」(多様性と包摂)をテーマとする ダイバーシティ スピーカー (多様性の語り部)として活躍。ボランティアで献血推進活動に積極的である。

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