【京都市山科区/滋賀県大津市】タモリさん大絶賛の三差路!東海道の分かれ道とは
2024年3月にレギュラー放送を終了したNHKの教養番組「ブラタモリ」が、11/2(土)から3夜連続の特番形式で放映されました。
今回の旅は「東海道“五十七次”の旅」!
歌川広重の浮世絵「東海道五十三次」が有名なので、“五十七次”と聞くと違和感があるかもしれません。
「東海道五十三次」とは、江戸時代に整備された五街道の一つ、東海道にある53の宿場を指します。
起点は東京(江戸)・日本橋。そして終点は京都・三条大橋です。
一方で、「五十七次」とは、江戸時代にあたる元和5年(1619年)、幕府直轄領となった際に、伏見、淀、枚方、守口の4宿が新たに設けられた街道です。
東京(江戸)・日本橋から大阪市中を結びます。
ということは…?
途中で東海道が、分岐しているんです!
まさに、もうひとつの東海道!
東海道の分岐点。
それが、今回紹介したい「髭茶屋追分(ひげちゃやおいわけ)」です。
髭茶屋追分は、古くより近江国と山城国の国境であり、現在でも【京都市山科区】と【滋賀県大津市】の府県境にあります。
番組でタモリさんは「道の曲がり具合、高低差、しかも三差路、大好物がそろっている」と大絶賛でした!
引いて撮ってみると、三差路までの道が、絶妙に高くなっていっていることがわかります。
三差路から京都・三条大橋方面への道が少し下がっています。
この絶妙な高低差と絶妙な角度の三差路に、筆者も思わずテンションがあがってしまいました!
古くから国境というのも、テンションが上がるポイントだなと個人的に思っております。
ちなみに「追分(おいわけ)」とは、街道の分岐点を意味する言葉で、各地に地名として残っています。
追分には道標があり、右は京道、左は伏見道と書かれていましたが、今は原物は滋賀県立安土考古博物館に保存されています。
近年、代わりに置いてあったレプリカが破損してしまったそう…。
『蜻蛉日記』には、安和2年(969)年に藤原道綱母が石山詣に向かうとき、逢坂峠で休憩したことが記されています。
逢坂峠を越える旅人の休憩場所として最も知られていたのが、この「髭茶屋追分」だったのでした。
髭茶屋追分で人気だったお土産、「大津絵」。
大津絵ゆかりの地として、京阪追分駅と大谷駅では、大津絵が駅ホームに飾られています。
そう、百人一首で有名な、蝉丸の「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」の「逢坂の関」も「髭茶屋追分」の近く。
京から出て行く人も帰る人も、行き交う逢坂の関。
そして、東海道を分ける、髭茶屋追分。
さまざまな人が出会い、そして別れた場所なのかもしれないなあと想像すると、ちょっぴり切なくもなってしまいます。
タモリさんも大絶賛だった、東海道の分かれ道、髭茶屋追分。
ブラタモリの影響で、三差路の写真を撮りに来ている方に数名お会いました。
「ブラタモリ見ました?」「見て、気になって来ました~」なんて会話も。
行く人も帰る人も。別れてはまた会い、別れてはまた会う。
その記憶の断片に、触れに来てみませんか。
参考文献:
小林丈広「第12章 牛馬の道ー東海道と山科」『京都の歴史を歩く』(岩波新書、2016年)
場所:
髭茶屋追分
滋賀県大津市追分町4−8
(京阪追分駅から徒歩すぐ)
逢坂山関跡
滋賀県大津市逢坂
(京阪大谷駅から徒歩2分)