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【京都市山科区/滋賀県大津市】タモリさん大絶賛の三差路!東海道の分かれ道とは

あおいwebライター(京都市)
髭茶屋追分 2024年11月7日 筆者撮影

2024年3月にレギュラー放送を終了したNHKの教養番組「ブラタモリ」が、11/2(土)から3夜連続の特番形式で放映されました。

引用:NHK「ブラタモリ」
引用:NHK「ブラタモリ」

今回の旅は「東海道“五十七次”の旅」!

歌川広重の浮世絵「東海道五十三次」が有名なので、“五十七次”と聞くと違和感があるかもしれません。

「東海道五十三次」とは、江戸時代に整備された五街道の一つ、東海道にある53の宿場を指します。

起点は東京(江戸)・日本橋。そして終点は京都・三条大橋です。

歌川広重「東海道五十三次 京師 三條大橋」(東京都立中央図書館 TOKYOアーカイブ)
歌川広重「東海道五十三次 京師 三條大橋」(東京都立中央図書館 TOKYOアーカイブ)

一方で、「五十七次」とは、江戸時代にあたる元和5年(1619年)、幕府直轄領となった際に、伏見、淀、枚方、守口の4宿が新たに設けられた街道です。

東京(江戸)・日本橋から大阪市中を結びます。

ということは…?

途中で東海道が、分岐しているんです!

まさに、もうひとつの東海道!

国土地理院地図
国土地理院地図

東海道の分岐点。

それが、今回紹介したい「髭茶屋追分(ひげちゃやおいわけ)」です。

髭茶屋追分は、古くより近江国と山城国の国境であり、現在でも【京都市山科区】と【滋賀県大津市】の府県境にあります。

番組でタモリさんは「道の曲がり具合、高低差、しかも三差路、大好物がそろっている」と大絶賛でした!

引いて撮ってみると、三差路までの道が、絶妙に高くなっていっていることがわかります。

三差路から京都・三条大橋方面への道が少し下がっています。

この絶妙な高低差と絶妙な角度の三差路に、筆者も思わずテンションがあがってしまいました!

古くから国境というのも、テンションが上がるポイントだなと個人的に思っております。

ちなみに「追分(おいわけ)」とは、街道の分岐点を意味する言葉で、各地に地名として残っています。

破損した道標「右は京道、左は伏見道」
破損した道標「右は京道、左は伏見道」

追分には道標があり、右は京道左は伏見道と書かれていましたが、今は原物は滋賀県立安土考古博物館に保存されています。

近年、代わりに置いてあったレプリカが破損してしまったそう…。

三差路に描かれている、追分のかつての様子
三差路に描かれている、追分のかつての様子

『蜻蛉日記』には、安和2年(969)年に藤原道綱母が石山詣に向かうとき、逢坂峠で休憩したことが記されています。

逢坂峠を越える旅人の休憩場所として最も知られていたのが、この「髭茶屋追分」だったのでした。

京阪追分駅のホームに飾られた「大津絵」2024年11月7日 筆者撮影
京阪追分駅のホームに飾られた「大津絵」2024年11月7日 筆者撮影

髭茶屋追分で人気だったお土産、「大津絵」

大津絵ゆかりの地として、京阪追分駅と大谷駅では、大津絵が駅ホームに飾られています。

そう、百人一首で有名な、蝉丸の「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」の「逢坂の関」も「髭茶屋追分」の近く。

逢坂関跡 2024年11月7日 筆者撮影
逢坂関跡 2024年11月7日 筆者撮影

京から出て行く人も帰る人も、行き交う逢坂の関。

そして、東海道を分ける、髭茶屋追分。

さまざまな人が出会い、そして別れた場所なのかもしれないなあと想像すると、ちょっぴり切なくもなってしまいます。

タモリさんも大絶賛だった、東海道の分かれ道、髭茶屋追分。

ブラタモリの影響で、三差路の写真を撮りに来ている方に数名お会いました。

「ブラタモリ見ました?」「見て、気になって来ました~」なんて会話も。

行く人も帰る人も。別れてはまた会い、別れてはまた会う。

その記憶の断片に、触れに来てみませんか。

参考文献:

小林丈広「第12章 牛馬の道ー東海道と山科」『京都の歴史を歩く』(岩波新書、2016年)

場所:

髭茶屋追分

滋賀県大津市追分町4−8

(京阪追分駅から徒歩すぐ)

逢坂山関跡

滋賀県大津市逢坂

(京阪大谷駅から徒歩2分)

webライター(京都市)

京都市の歴史を中心に、学びをお届けします。