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紳助さんが語った「鑑定団」の真実!ベッキー騒動にも言及

井上公造芸能リポーター

一部女性誌の報道で突然、表沙汰となったテレビ東京の人気番組「開運!なんでも鑑定団」の司会・石坂浩二さんの降板問題。2年ほど前から石坂さんの発言がほとんど使われていなかったことも判明したが、その理由に関しては、諸説が飛び交う状態だ。真相を確認するため、同番組を立ち上げ、石坂さんと共に司会を担当した島田紳助さんに電話をしてみた。

友人としてならしゃべるよ

突然、電話した理由を伝えると、紳助さんは「取材やったら勘弁して。次々に取材に来られたら、たまらんから。でも、友人としてなら何でもしゃべるよ。あくまでも友人としてだけど、そのことをテレビで正確に伝えてね」。紳助さんは、2011年の芸能界引退以来、個人的に交流を続けてきたボクを信じて、口を開いてくれた。

まず、10年前の忘年会で石坂さんと制作会社のチーフプロデューサーが口論になったという報道に対しては、「言われてみれば、『あったかな?』という程度の記憶。大騒ぎじゃなかったはず。正直、そのチーフプロデューサーの顔も思い出さないし、個人的には食事や飲みに行ったこともなかったから」。

さらに、石坂とチーフプロデューサーの間に確執を感じなかったかを聞くと、「僕がやっていた間に、石坂さんがしゃべりにくい雰囲気はなかったはず」と断言した。

特別な思いがあるのは当然

紳助さんによると、同番組は紳助さんにとって初めてのテレビ東京でのレギュラー番組だった。予算が少なかったため、ギャラも他局の番組と比較すると、かなり安かったという。

「僕は骨董品などに関する知識がなかったし、博識で知られる石坂浩二さんにどうしても出演してほしかった。でも、番組には予算がない。僕のギャラを半分渡すから、司会を受けてもらえないか頼みに行ってもらったら、石坂さんは快諾してくれた。たぶん、石坂さんの普通のギャラの半分以下だったはず。それでも受けてくれたのだから、石坂さんが番組に対して特別な思いがあるのは当然でしょう」。

電話を切って、10分ほどして、紳助さんからメールが入った。

そこには「石坂浩二さんなしでは、あの番組が成功しなかったのは、絶対的な事実です。品位と格が番組につきましたから。僕だけでは、単なるバラエティーで失敗してました。確実に」と書いてあった。

この内容を、ボクが出演する「情報ライブ ミヤネ屋」(日本テレビ系)で放送した日の夜遅く、再び、紳助さんから長文のメールが入った。冒頭は、「ありがとうね、思いを正確に伝えてくれて、感謝です」。

そして、その後にベッキー騒動に関しての見解も書かれていた。

僕は素敵に思えます

「芸能界と関係ない僕が言うのもなんやけど、俺がいたらイライラすることあるよね。ベッキーもかわいそう。他人にヤイヤイ言われて。スポンサーやスタッフにはお詫びをしないといけないけど、すべてを失っていいと思って人を好きになるって、すごいやん。あんたらできるのか?そんな恋したことあるのか?と言いたいね。俺が現役なら、そう言ってましたわ。悪いのは男です。絶対守らないといけない男が、ゆるすぎる。写真撮られたり、離婚してないのに親に会わせたり。男が100%いかんよな。ロクに恋もさせてもらえなかった31歳のベッキーが、人生かけた恋を、人生かけて恋したことない人間には、理解してもらえないよね。タレントとしてはダメなベッキーかもやけど、僕はすべてをかけたベッキーが素敵に思えます。モラルやルールは分かるけど、それを超えた恋をした人は、3%もおらんよね。だから、世の中の97%に拒否される。でも3%は分かってくれる。ただ、相手間違えたかな?ずるい女の子なら、気がついてた。あー、現役なら伝えたかった!」。

いかにも、紳助さんらしい目線。最後に「公造さん、ブログなどで伝えて」と付け加えられていた。

芸能リポーター

福岡市出身。大学卒業後、フリーライターや雑誌編集長を経て、サンケイスポーツ文化社会部記者として事件・芸能取材を担当。1986年に故・梨元勝氏の「オフィス梨元」に入り、芸能リポーターに転身。テレビ朝日「モーニングショー」などに出演した。その後、フリーとなり、98年「有限会社メディアボックス(現・株式会社KOZOクリエイターズ)」を設立。現在、日本テレビ「スッキリ」、読売テレビ「情報ライブ ミヤネ屋」、朝日放送テレビ「おはよう朝日です」など、数多くの情報番組に出演中。モバイルサイト「井上公造芸能」では、毎日ホットな芸能情報を配信している。

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