【富士宮市】さまざまな伝承の残る名刹『長遠山本成寺』 富士宮市郷土史同好会の会誌に誘われて訪れてみた
県道398号線を山梨側に向かい新内房橋で左折、2つ目の信号を右折して約400mほど行った左手に見える大きな山門。
内房たけのこまつりでは、こちらも会場の1つになっているので、何度か訪れたことのある寺院ですが、閑散とした本成寺を訪れたのは今回が初めてです。
きっかけは富士宮市郷土史同好会の会誌『月の輪』第37号の内海総比古氏の『紀州大納言徳川頼宣は日蓮宗本成寺に立ち寄ったか』という論文を読んだからです。
山門を抜けると、あまり見たことのない竜宮門があります。
こちらをくぐると歴史を感じる建物と広々とした境内がひろがっています。
本堂と庫裡を繋ぐ渡り廊下をくぐると、池や滝などがありました。
その脇を通り抜けると、階段がかなり高いところまで続いています。
階段を登り切ると、建物があり、その脇には小さな稲荷神社が祀られていました。
この建物の脇を通り越すと、さらに坂道が続きます。本成寺の背後には白鳥山がそびえ登山道入口ともなっているため、このような立地になっているのでしょう。
坂道を登り終えると、日蓮聖人の大きな像があります。
そしてここからの景色は内房一帯から富士市松野までを眺められる絶景でした。
他にも日蓮証人が使用したといわれる井戸などが残されていました。
寺伝によると、元は真言宗の胎鏡寺というお寺でしたが、日蓮証人に説き伏せられて改宗したと言われ、他宗より改宗した日蓮宗最初の霊場とされているそうです。
当時は東林坊と仏像坊の兄弟が住持していた真言宗の胎鏡寺と言うお寺だったそうで、考え方はもちろん、生活様式まですべてを変え改宗するのは、かなりの覚悟と、日蓮聖人に絶大な信伏があったのでしょう。
日蓮宗を篤く帰依していたお万の方(徳川頼宣の母)には、日頃から宗論を挑む日蓮宗側を不快に思っていた浄土宗の徳川家康が、日遠(日蓮宗の僧)を捉え処刑しようとしたとき、身を挺して守り通したというエピソードが残っています。
そんな背景を交えると、他宗より改宗した日蓮宗最初の霊場の本成寺をお万の方が外護したのも納得できます。
そして、お万の方が亡くなると、紀州家は毎年お万の方の霊地である身延町にある大野山本遠寺に詣るのを例としました。参拝のルート上にある本成寺。母の思い入れのある場所へ立ち寄るのもごく自然に思えました。
『紀州大納言徳川頼宣は日蓮宗本成寺に立ち寄ったか』の論文を読んで訪れた本成寺は、時を隔てて徳川家の軌跡を感じさせてくれました。
長遠山 本成寺
住所:富士宮市内房2931