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28年ロスで五輪復活を「日本のソフトボールといえば後藤」上野超える存在に  後藤希友インタビュー

元川悦子スポーツジャーナリスト
1年前の東京五輪金メダル獲得からさらなる進化を遂げている後藤(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

東京五輪の金メダルから1年

 2021年7月27日、横浜スタジアムで行われた東京五輪ソフトボール決勝・アメリカ戦。日本が2-0でリードして迎えた6回、ノーアウト1塁とされた場面で、エース・上野由岐子(ビックカメラ高崎)に代わってマウンドに立った20歳の後藤希友(トヨタ自動車)は、1アウト1・2塁、一発出れば逆転という絶体絶命のピンチに直面した。

 アメリカの3番・チデスターが放った打球はヒット性のライナー。そこで出たのが、”世界一の守備”だ。サード・山本優(当時、ビックカメラ高崎)の腕に当たって弾かれたボールをショート・渥美万奈(当時、トヨタ自動車)がダイレクトキャッチ。即座にセカンド・市口侑果(ビックカメラ高崎)に送球し、ダブルプレーに仕留めるミラクルプレーで、日本は勝利を引き寄せたのだ。

「まさに日本の真骨頂。あれがなければ自分の人生も終わってた。みんなに感謝してます」

 感動の金メダルから1年。世界の頂点に立った若きサウスポーは、どんな思いで大舞台のマウンドに立っていたのか。そして今、ソフトボールの未来に何を思うのか。新エースに本音を聞いた。

金メダル獲得の瞬間。その感動は今も鮮明だ
金メダル獲得の瞬間。その感動は今も鮮明だ写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

激闘を制し13年ぶりの金メダル ソフトボール決勝ハイライト 日本×アメリカ

窮地をチャンスに 金メダルをもたらした後藤の原動力とは

──コロナで1年延期になり、無観客開催された東京五輪の金メダルから丸1年が経ちました。

「物凄いセキュリティの中でやらせていただいたんで『これが世界の規模か』と感じることは多かったですね。一方で『有観客でやれていたらどうだったんだろうな』と思うこともありました。

 ただ、私自身は1年延期がなかったら五輪には出られなかった。あの1年があって日本リーグで多くのことを学べたから、素晴らしい舞台を経験できた。出場できて、本当に感謝しています」

──五輪の中で印象的なシーンは?

「個人的な一番は(第2戦、7月22日の)メキシコ戦です。(2-2になった)7回のノーアウト1・2塁から登坂した時と、タイブレークに入ってノーアウト2・3塁とされた状況は、本当にヒヤッとしましたね。正直、メチャクチャ緊張していたんですけど、窮地に立たされている状態で投げさせてもらえることはこの先ないだろうと。できることを全力でやるしかないと強い気持ちで挑みました」

──宇津木麗華監督は「ピッチャーは経験」と口癖のように言いますが、後藤選手はその若さで度胸や駆け引き術をどのように身につけたのですか?

「五輪前に2カ月間合宿していたので、周りの選手から学んだり、他チームとの練習試合で『自分の何が必要とされているのか』を考えたりしましたね。メキシコ戦は『とにかく流れを変えないといけない』と思っていました。2-2に追いつかれた状態だったので、自分がゼロに抑えないと負けてしまう。それだけは防ぎたいと」

──7回は2者三振、タイブレークでも3三振を奪って抑えきりました。

「今までの五輪でも1球のミスで長打を食らうことはあったので、何よりもコントロールが大事だと思った。キャッチャーの我妻(悠香=ビックカメラ高崎)さんが配球されているところへ投げれば、結果は自ずとついてくると信じていました。自分が唯一、持ってる武器は若さと怖いもの知らずで戦っていける精神。それでぶつかりました。

メキシコ戦で吹っ切れて、成長できた。そこから(五輪の舞台でも)自分自身の底力を発揮できるようになったと思います」

後藤の快投は日本中をくぎ付けにした
後藤の快投は日本中をくぎ付けにした写真:ロイター/アフロ

──そして、第4戦・カナダ戦(7月25日)でも7回からリリーフして6者連続三振という快投を見せ、銀メダル以上が確定、日米決戦に弾みをつけました。

「三振はあまり気にしてなかったです。後から『そういえば三振だったな』というくらい(笑)。ただ、『後藤はノーヒットノーランするんじゃないか』『完全試合できるんじゃないか』といった期待を持ってもらえると『期待に応えよう』というパワーが出てきます。プレーが始まってしまえば、うまい具合に調整できるタイプかなと感じますね」

──まさに強心臓。それが決勝の大ピンチを乗り切る原動力になったんですね。

「そうですね。決勝のあの場面はホントに大きかった。五輪で緊張したのはメキシコ戦と決勝だけだったので。最後の7回、上野さんに代わった時は、正直、ホッとしてましたね(笑)。『上野さんだったらやってくれるだろう』という思いで託しました」

強気で前向きなメンタリティ「上野さんには負けたくない」

 東京五輪後の報道でより注目が集まったが、もとより次期エースとして期待されていたホープ。五輪を経験し、自信をつけた後藤は、今年3月から始まった女子ソフトボール新リーグ(JDリーグ)でもノーヒットノーランを記録するなどチームを引っ張り、トヨタ自動車は西地区首位で前半戦を折り返した。

 ソフトボール日本代表は宇津木監督が続投。2022年9月に予定されていた中国・杭州アジア大会で金メダルを取って、2028年ロサンゼルス五輪での競技復活への布石を打つつもりだった。が、コロナの影響でアジア大会が2023年に延期されてしまう。そういった混乱もあったが、後藤は歩みを止めることなく、7月のワールドゲームズにも参戦し、銀メダルを獲得するなどソフトボールをアピール、個人でも着実に地力と国際経験値を高めている。

金メダルを胸に達成感をにじませる後藤
金メダルを胸に達成感をにじませる後藤写真:アフロスポーツ

──五輪に出て変わったことは?

「コントロールが良くなったかな。それと、『スピードが速くなった』と周りから言われることが増えましたね。今は時速115キロくらいが最高ですけど、これが終わりではない。世界にはもっともっと速い選手がいますし、自分もまだまだ成長できる。もっと強くなって来年の世界選手権やアジア大会で一段と成長した姿を見せられたらいいですね。

 誰がバッターかで怖気づくことがなくなりました。今季は、JDリーグ前半戦でも防御率1位で、ノーヒットノーランを2回達成できたので、この先もコツコツ積み重ねていけばいい。今は凄くいい感じです(笑)」

──その強気で前向きなメンタリティはどこから来るんですか?

「自分の周りにはスポーツマンが多いんです。その1人が東海高校時代の同級生の菅原由勢(AZ)。オランダで活躍しているサッカー選手です。由勢は凄くしっかりしていて、メンタル的にもオープン。『お互い頑張ろう』って話もしますけど、『同級生がこれだけできるんだから、自分にもできないことはない』と思えて、気持ち的に楽になりますね。

 同世代の柔道の阿部詩ちゃん(日本体育大学)や水泳の池江璃花子さん(ルネサンス)もホントに凄いなと感じます。池江さんは病気も乗り越えて五輪を迎え、注目を集める中で結果も残している。そういう人たちに励まされて、強気になれた部分はあります」

──後藤選手の近くには上野、モニカ・アボットという日米の両エースがいます。非常に恵まれた環境にいるのは確かですね。

「世界で1人です。こんな経験してるのは(笑)。

 上野さんは、自分にとってプラスでしかない存在。13年越しにオリンピックに出て、38~39歳でも変わらずプレーしている姿を見た時に、正直、凄く感動して、可能性は無限大だと感じて、ワクワクしました。実際に対決する時は、上野さんには『絶対に負けたくない』と思ってます。ライバルって言うのもおこがましいけど、ライバルと見させてもらってます。でも先輩としては『持ってる全てを吸収したい』と思う偉大な存在。そのうえで『上野さんとは違う存在が出てきた』と思われたい。いつか『後藤がいるから大丈夫』と思ってもらえるようなピッチャーになりたいです。

 モニカはチームでずっと一緒にいる仲間。つねに切磋琢磨しあえる関係。彼女のソフトボールに対する姿勢を見ながら自分も成長していけたらいいと思ってます」

「上野さんはライバル」という負けん気の強さが後藤の魅力だ
「上野さんはライバル」という負けん気の強さが後藤の魅力だ写真:YUTAKA/アフロスポーツ

──宇津木監督も「上野の近くで後藤を育てたい」とよく言っています。

「宇津木さんからは『上野を見てさらにうまくなりたいと思ってほしい』とか『上野を超えていくような存在になりたいと思うことが大事』とよく言われます。

 同時に『これからは自分が中心となって投げていくことを自覚しなさい』ともハッパをかけられますね。上野さんがいなかった7月のワールドゲームズは自分にはチャンスだった。完全アウェーの決勝で2回を投げさせてもらって、メチャメチャ楽しかったですね。

 上野さんも『若い頃は球種が少ないままガツガツ行ってたよ』と話していたので、自分も壁にぶつかったら、その時に考えようって。それまでは自分で突っ走ろうと。突っ走ってる真っ只中ですね(笑)」

「後藤がいるから大丈夫」と思ってもらえるように

 心からソフトボールを楽しんでいる後藤。2028年のロスでオリンピック競技に復活し、その大舞台に再び立つことができれば、27歳での出場となる。2008年の北京五輪で上野が「魂の413球」を投げ切った時とほぼ同年だ。「北京の上野さんのことはリアルでは見ていません。後から動画で見返しただけですね」とあっけらかんと言う後藤が6年後、上野を超える大エースになる日を待ち望む人々は少なくない。後藤も同じ思いで、成功に向かって突き進もうとしている。

宇津木麗華監督も後藤を上野のような大エースに育てたいと意気込む
宇津木麗華監督も後藤を上野のような大エースに育てたいと意気込む写真:YUTAKA/アフロスポーツ

──ソフトボールという競技は五輪に入ったり外されたりと微妙な立場にありますね。

「五輪の時は凄く注目されるけど、そうじゃない時は好きな人しか見に来なかったりするという難しい位置づけなのは事実です。でも何十年後かには野球のようなメジャースポーツになっていたい。そのためにも、競技人口を増やしていくことが大事。コツコツと時間をかけてファンを増やしたいですね」

──ソフトボールの魅力とは?

「ちっちゃい頃の夢が五輪出場だったので、そこに出られれば何でもよかったんですけど(笑)。ピッチャーをやるようになって、自分で試合を作れるところ、決められるところ、バッターを見て頭を使って投げるところ含めて全部楽しくなりましたね。

『なぜ、結果を残せてるの?』とよく聞かれるんですけど、正直、分かんない(笑)。『あ、できちゃった』みたいなことが多いんで。今までは壁や限界を感じたこともあまりないです。今は、とにかく先のことを考えずに進んでいこうと思ってます」

ここから後藤がどこまで大きく飛躍するか楽しみで仕方がない(トヨタ自動車株式会社・横井恭夫)
ここから後藤がどこまで大きく飛躍するか楽しみで仕方がない(トヨタ自動車株式会社・横井恭夫)

──2028年ロス五輪への思いは?

「東京五輪であれだけ注目されて、ソフトボールをメジャーにしていくために、4年に1回しかない五輪が凄く大事なものなんだって改めて気づきました。だからこそ、五輪にはこだわっていきたい。2028年には『日本のソフトボールといえば後藤』みたいな存在になれていたら、嬉しいですね。

 それと同時に、日本が素晴らしいチームになっていられたら理想的。1年前の東京五輪での一体感っていうのは言葉で言い表すのも難しいくらい凄かった。それを再現できるように、五輪に復活することを願って、これからもソフトボールを続けていきます」

 近未来の日本ソフトボール界を担う21歳の新エースはどこまでも明るく前向きだ。「後藤が出てきたらもう大丈夫だ」と周りに思わせたいと願うサウスポーの進化を、我々はこの先もつぶさに見続けていきたいものである。

■後藤希友(ごとう・みう)

2001年3月2日生まれ。愛知県名古屋市出身。2019年に東海学園高校卒業後、トヨタ自動車レッドテリアーズに入団。日本リーグでは2020年に新人王、2021年にはMVPに初めて選ばれた。2021年夏に行われた東京五輪に20歳で選出され、6試合中5試合に登板し、22奪三振無失点。金メダル獲得に大きく貢献した。2022年春に始まったJDリーグでは、前半戦で2度のノーヒットノーランを達成し、防御率1位。174センチ、左投左打。

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スポーツジャーナリスト

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から7回連続で現地へ赴いた。近年は他の競技や環境・インフラなどの取材も手掛ける。

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