「お寺を取り戻す」 起業家マインドの僧侶が行う子どもの貧困対策とは?
除夜の鐘を聞いたり、初詣をするとき、こんなお坊さんもいることを思い出してくれれば幸いだ。
僧侶を嫌って東京へ
その人は僧侶になることを期待されていることが何よりもイヤだった。
自分が自分の人生を生きられないような気がした。
「ふつうの人生」を送りたいと思った。
「絶対にここを出てやる」と思い続け、実際に大学で上京した。
ITで世界を変えると夢想した。
Windows95が登場した翌年、1996年のことだった。
ビットバレーからITベンチャーへ
当時のITのメッカ、ビットバレー(渋谷)に通い、孫正義の講義を聞いた。
寺の住職だった祖父が亡くなった年に、跡取りになることを期待する周囲を裏切ってNTTデータに就職した。
その後、仕事でつきあいのあったITベンチャーに転職した。化粧品の口コミサイト運営会社だった。
会社は後に一部上場を果たし、その人は管理職になっていた。
そして僧侶へ
しかしあるとき、思った。
「自分は『ふつうの人生』を目指してきたが、この業界はユニークな人間で満ちている。自分の『ユニークさ』とは何か?」
そのとき、あれほど嫌がっていた僧侶への道がまったく違う形で見えてきた。
そして出家。
13年ぶりに帰った故郷のお寺で住職としての仕事を始める。
こうして、松島靖朗さんは浄土宗・安養寺(奈良県田原本町)の住職となった。
仏縁をつなぐ「おてらおやつクラブ」
自分のユニークさを追求して僧侶となった松島さんが、ふつうの僧侶で終わることはなかった。
ただちに「お寺と人々のご縁(仏縁)をつなぐ」活動を始める。
現在、その主軸になっているのが、主宰する「おてらおやつクラブ」だ。
支援団体を通じて、ひとり親などの困窮家庭にお寺のお供え物をおすそわけする活動。
きっかけは餓死事件
松島さんは、2013年5月24日に大阪市で起こった母子餓死事件を知ったことから「おてらおやつクラブ」の着想を得た。
言葉を失うような悲劇に心を痛めていた松島さんは、支援団体と出会い、僧侶の自分にできることとして、お寺のお供え物をおすそわけした。
僧侶仲間にも声をかけて協力を求める中で「おてらおやつクラブ」は誕生した。
「本来のお寺の姿を取り戻す」
「おてらおやつクラブ」は、今後NPO法人化を検討している。
ただその食料支援の位置づけは、ふつうの支援活動とは異なる。
松島さんは「おてらおやつクラブ」を、「本来のお寺の姿を取り戻す」活動の一環と位置づける。
住職としての本業の傍らで慈善活動・社会貢献活動を行っている意識はないと言う。
どういうことか。
仏様は誰一人見捨てない
カギは「仏縁」だ。
お寺は、古くから地域コミュニティの主要拠点の一つだった。
しかしそれは、無色透明の「たまり場」ではなかった。
お寺の住職は常に、集まった人たちに仏法を説いた。縁日などのお祭りに集まるのはツール、目的は仏法の普及にある。
それが宗教だ。
そして仏法は、仏様による衆生の救済を説く。仏様は誰一人見捨てない、と。
仏法を説き、仏教を普及する真摯な活動によって、仏様におすがりしよう、たたえようという人たちがお供え物を持ち寄る。
仏様が召し上がった後、そのお下がりを必要とする人たちにおすそわけする。
それは仏教の営みそのものであり、「おてらおやつクラブ」の活動は、僧侶が「おつとめ」を果たした結果として成り立つところが重要だ、と松島さんは言う。
CSVとしての「おてらおやつクラブ」
いわゆる「共通価値の創造」の発想だ。略して、共創、CSV(Creating Shared Value)とも言う。
お寺の本業とは別に社会貢献をする(いわゆる「企業の社会的責任(CSR=Corporate Social Responsibility)」)のではない。
それでは「おてらおやつクラブ」の活動が活発になると、本業を圧迫してしまうことになる。
そうではなく、本業が盛んになれば「おてらおやつクラブ」の活動も活発になり、本業をおろそかにすれば「おてらおやつクラブ」の活動も停滞する、という関係に立たせる。
本業に精を出すことがそのまま支援活動に
だから松島さんは「おてらおやつクラブ」は、ふつうのNPOによる支援活動とも、またお寺がイベントをやって人を集めるのとも違う、と強調する。
NPOによる支援活動は、支援活動自体が目的だが、「おてらおやつクラブ」の活動は仏教が説く慈悲の実践活動を通じて生み出された価値の共有である。
音楽イベント等でお寺に人を集めるとき、人々はイベントを目的にお寺に集まった「ついでに」仏法を聞くが、「おてらおやつクラブ」は仏法を聞く目的でお寺に集まった人たちから生み出される。
松島さんにとって「おてらおやつクラブ」の活動は、「仏縁」を広げるお寺の本業と切っても切り離せない。
急速に広がる支援の輪
お寺の本業に根差すこの活動が、仏道をひたむきに追求するお寺の僧侶や檀家・信徒に受け入れられやすいのは、明らかだろう。
「一国一城の主」と言われ、住職個々人の裁量が大きいとされるお寺の世界だが、「おてらおやつクラブ」の活動は、発足3年足らずで500寺が協力するに至っている。
「『おそなえ』を『おさがり』として『おすそわけ』できるのは、お寺が仏法を説く場所になっている証」だと松島さんは言う。
お釈迦さまの教え、実践を大切に思えば思うほど、参加したくなる支援活動だ。
「おすそわけ」は支援団体を通じてなされるが、「おてらおやつクラブ」に登録する支援団体も150を超えた。
これまでに支援した物資は、トータルで約35トンにのぼる(参加寺院からの報告をもとに集計)。
「おてらおやつクラブ」が縁をつなぐ
当初は予期しなかった事態も生まれている。
生活に苦しむご本人から「おてらおやつクラブ」に直接SOSが届くようになったのだ。
そのため、松島さんは現在、SOSを送ってきたご家庭の近くの支援団体を探し、そこに連絡をとって支援団体とご本人をつなぐ役割も果たし始めている。
民間の支援団体が見つからない場合は、ご本人の了解の上で行政につなぐこともある。
「仏縁」は思わぬ形でも広がっている。
「葬式仏教」とアマゾン「お坊さん便」
「本来のお寺の姿を取り戻す」と言う松島さんの視線の先には、いわゆる「葬式仏教」があり、アマゾンの「お坊さん便」がある。
人口が減少し、血縁も希薄化し、お寺との檀家的つながりを持たない人が増えた。
特に都市部では、葬儀も読経もお墓も商品化し、少なからぬ人たちにとって、それらは肉親の死という人生の一大イベントに際して、死者への敬意を示すために「買いそろえるもの」となっている。
暮らしに余裕なく、死者を悼む気持ちは「形」でないとすれば、買いそろえるものにお金をかける必要はない。
葬儀も家族葬、お墓も納骨堂、位牌も持ち歩けるコンパクトなものをとなってくれば、むしろ読経サービスに「お坊さん便」が登場してくるのは必然であり、何の不思議もない、と松島さんは言い切る。
むしろ「葬式仏教」と揶揄されるこれまでのやり方をそのままに「お坊さん便」をけしからんと言う方に無理がある。
定期的な供養も難しくなって「墓じまい」も珍しくなくなった現代において、向き合うべきは「お寺のあり方」そのものだ、と。
巨大インフラ「お寺」の行方
もちろん「おてらおやつクラブ」がお寺のすべての課題を解決しくれるなどとは、松島さんも考えていない。
しかし「おてらおやつクラブ」はその一歩であり、そして正しい一歩だと信じている。
お寺の未来に危機感を抱きつつ、そこから目を背けて「これまでどおり」を続けるのか、
向き合いたくない危機感と向き合い、お寺の未来のために「お寺の本来の姿を取り戻す」試みを、小さくても始めるのか。
75000か所あると言われる巨大インフラ「お寺」がどうふるまうかは、子どもの貧困問題はもちろん、地域コミュニティのあり方そのものに影響するだろう。
お寺の潜在力に期待
お寺のもつ伝統の力、地域を糾合する力、地域への波及力は、新参者のNPOがマネできるものではない。
お寺がその潜在力を十全に発揮すれば、地域は変わる。
松島さんの取組は、それが「何か新奇なことを始めること」ではなく、ある意味ではお寺自体が長い歴史の中で人々とともに大切に守ってきたはずの「本来の姿を取り戻す」ことだと教えている。
「自分のユニークさ」を追い求めて「お寺本来の姿」にたどりついた松島さんの活動の射程は広く、遠い。
「おてらおやつクラブ」のこれからの展開に、注目したい。
(注)本稿執筆に際しては、以下を参考にした。記して感謝する。
杉本恭子「仏さまの“おさがり”で子どもたちを笑顔に! ひとり親家庭支援活動「おてらおやつクラブ」代表・松島靖朗さんと考える、100年続く活動のかたち」