5月4日で終わってしまった日記 飲酒事故で愛息奪われた両親が法廷で訴えたこと
2019年5月4日、富山県の小学校に通う心誠(しんせい)くん(当時9)が綴った日記は、こんな一行で締めくくられていました。
『あしたはもっと楽しくなるといいです』
そこには、担任の先生によって、赤色の傍線が引かれ、“はなマル”がつけられています。
先生はさらに、こんなメッセージを書き入れました。
その最後には、小さなスマイルマークが添えられていました。
ゴールデンウィークの只中、福井にあるお母さん方の祖父母の家で、大好きなミニチュアダックスとふれあい、いとことカードゲームやドッジボールをして楽しく過ごした心誠くん。9歳の彼は、「あした」という日に、どんな楽しい夢を描いていたのでしょう。
けれど、心誠くんの日記に「明日」の出来事が綴られることはもう、永遠にありません。
突然の交通事故が、一瞬にして、心誠くんの未来を奪ったのです。
■飲酒運転の逆走車に、激突されて……
事故は、2019年5月5日午前0時50分ごろ、滋賀県大津市北比良の国道161号志賀バイパスで発生しました(下記のニュース参照)。
<大津の国道で衝突事故 家族旅行中の小4男児死亡4人負傷 - 産経ニュース >
助手席に妻、後部座席に長女と次男・心誠くんを乗せて、京都に住む長男のもとへとワゴン車を走らせていたお父さん(48)は、その瞬間をこう振り返ります。
「突然、目の前にセンターラインをはみ出して迫ってくる対向車のライトが見えました。危険を感じたときには約50mまで迫っていたと思います。私はとっさにブレーキを踏みつつ、ハンドルを左に切りました。しかし、対向車は回避行動を取ることもなく、私の車の運転席側面に当たり、そのまま後部座席右側のスライドドアに斜めに衝突したのです」
一瞬の出来事でした。お父さんが運転していたワゴン車の右後部スライドドアは、その衝撃で吹き飛び、車体は左側に倒れかかりました。しかし偶然、道路上のクッションドラムに左側面が当たったことで体勢を立て直し、なんとか横転だけは免れました。
車が停止すると、お父さんとお母さんはすぐ、後部座席に乗っていた長女と心誠くんに駆け寄りました。
子どもたちはきちんとシートベルトを装着していたため、車外に放出されることはありませんでした。しかし、運転席の後ろでスライドドアにもたれながら眠っていた心誠くんは、頭部に衝突の衝撃をまともに受けていました。
「心誠! 心誠!」
お父さんは何度も呼びかけましたが、反応はありません。
心誠くんはすぐに救急病院へ搬送されましたが、脳挫傷で間もなく死亡が確認されたのです。
この日は「子どもの日」でした。心誠くんは、京都の大学に進学した大好きなお兄ちゃんと、京都で遭うことを楽しみにしていたそうです。
■加害者は飲酒運転。2か所で酒を飲んだあとだった
事故から4日後、両親は思わぬ事実を知ることになります。加害者の男(事故当時39)は、勤務先とスナックで、自身が勤める会社の社長(妻の父親)と飲酒したうえ、車を運転し、社長を自宅まで送った帰りだったというのです。
心誠くんの両親は、怒りを込めながら語ります。
「加害者は事故当日も、そして、2日後に謝罪に来たときも、飲酒のことは一切話しませんでした。しかし、5月9日にかけてきた電話ではっきりと、『オーナー(社長)と酒を飲んでいました。記憶のある限り、生中(生ビール中ジョッキ)3杯、ウイスキーのロック3杯は飲みました』と自ら説明したのです。まだ9歳の心誠は、ルールを守らない大人に命を奪われてしまいました。加害者が飲酒運転さえしなければ、この事故は発生せず、心誠の未来が奪われることはなかったのです」
車を運転していたのは京都市伏見区の会社員・菅宏史被告(42)です。菅被告は、自動車運転処罰法違反(危険運転致死)などの罪で起訴され、2021年11月5日には大津地裁(大西直樹裁判長)で、論告求刑公判が開かれました。
検察側は、「被告は反対車線を逆走するなどの異常な走行を続けており、アルコールの影響で正常な運転が困難だったことは明らか」と指摘し、懲役6年を求刑。また、予備的訴因(*以下注)として挙げられている「道交法違反(酒気帯び)」と「過失運転致死」が適用された場合は、求刑を懲役4年にすると述べました。
■危険運転致死で起訴された加害者。しかし「酒の影響はなかった」と主張
一方、菅被告の弁護側は現在、「この事故は危険運転致死罪には当たらない」として、執行猶予付きの判決を求めています。
その理由として、
「事故を起こす前、被告が84キロにわたる長い距離を走行できていた」という事実を挙げ、『事故原因は過労による居眠りによるものであり、酒が原因ではない。アルコールの影響はない』
と主張。懲役3年、執行猶予5年の判決が相当としているのです。
心誠くんのお父さんは、こうした被告の主張を受け入れることは、到底できないと言います。
「実は、被告は事故から半年以上も経ってから、突然、飲酒量に関する供述を翻してきたのです。取り調べの際には警察にも、『生中3杯、ウイスキーロックで3杯』と説明していたのですが、公判が始まると、『最初の説明は最大限の量を説明しただけ。記憶を整理したら1杯程度ずつだった』と。私は強い不信感を抱きました。事故直後の記憶に勝るものがあるのでしょうか。そもそも、被告人が主張しはじめた『居眠り』の話なども当初は皆無だったのです」
もちろん、「居眠り運転」(過労運転)も、ほぼ意識のない状態で走行するのですから、極めて危険な行為です。しかし、仮に居眠りだったとしても、その行為に「飲酒」が影響を及ぼしていないと、どうすれば言い切れるのでしょうか。
■「子どもの骨を拾う絶望、わかりますか……」
11月5日の論告公判では、心誠くんのお母さん(46)が法廷に立ち、遺族としての心情をこう訴えました。
「毎日書いていた日記、本当なら、今頃何冊になっていたでしょう。5月4日、心誠が人生の最後に書いた日記には、たくさん遊んで楽しい1日だった、と書いてありました。最後のページは、『明日はもっと楽しくなるといいです』と締めくくられていました。でも、心誠に明日は来ませんでした。かわいい心誠、骨になってしまった……。心誠はもう戻ってこない。子どもの骨を拾う絶望、あなたにわかりますか。出生届を出した同じ窓口に、子どもの死亡届を出す父親の無念、あなたにわかりますか」
続いてお父さんも以下のように強く訴えました。
「交通事故というのは、大切な命を奪われ、さらには精神的にも殺されるということを身をもって実感させられました。私は、飲酒運転をして死亡事故を起こしたにもかかわらず、酒の影響はないという反社会的な主張を繰り返す被告人を決して許すことはできません。危険運転か否かを判断するために、飲酒量や酔いの程度を争うことに意味があるとは思えません。刑を軽くしようと主張してくる被告人との議論に時間を割くことが、無駄に思えてならないのです。少量の飲酒でも運転に悪影響を与えることが明らかになっている以上、飲酒運転をして死傷事故を起こしたら、『危険運転』として扱うべきです」
判決は12月21日16時から、大津地裁で予定されています。
変遷した被告の供述を、裁判官がどう判断するのか。注目したいと思います。