天気予報は当たるようになってきているのか?
明治17年(1884年)6月1日に、国内で天気予報がはじまって約130年。
「全国一般 風ノ向キハ定リナシ 天気ハ変リ易シ 但シ雨天勝チ」と全国を一つの文章で表現してはじまった天気予報は、一人一人に合わせた情報を出せるまでになりました。
適中率は85%超え
気象庁が公表している適中率(夕方時点の予報で、翌日の1ミリ以上の降水の有無が当たったかどうか)を見ると、2012年の東京地方は87%。翌日の最高気温の誤差が1.7℃。年による変動はあるものの、少しずつ精度は上がっています。
近年は、スーパーコンピューターを使った数値予報の発達によるところが大きく、2000年頃と比べただけでも、「この狭い範囲に降る雨を、前日から分かるようになってきたのか」と驚かされることが、今はよくあります。
情報の精度は?
一方で、そんなに当たっているの?と感じられる方も多いはずです。その原因の一つは、粗い情報です。
天気マークが10個ほど並んでいる日本地図で最寄りの都市の予報を見る…数百キロ離れた所の天気がいつも自分の地域と同じなわけがありません。「晴れときどき曇り、所により一時雨」など、当たっても当たった感じがしない予報…粗い表現がまだあふれています。
せっかくエンジンは高性能になっても、タイヤが昔のままなら、性能の良さほど結果は良くなりません。
天気マークの独り歩きもハズレの一因
天気マークも曲者です。一目で分かり利便性が高い一方、見た目の印象が強すぎます。晴れマーク一つだけの予報を見て、暴風が吹いたり、ごく短い時間の雨が降ったりすることを想像できる人は多くありません。でも、そういう天気の日もあります。
言葉による解説がセットでない天気マークは、いわば不完全な予報です。画面上や街中のディスプレーで天気マークが独り歩きをしているかぎり、いくら予測精度が上がっても、同等の「当たった感」にはなりません。
今後、天気予報が当たるようになっていくかは、コンピューターの予測精度もさることながら、情報や表現など伝える技術の向上しだいなのかもしれません。