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【女子バレー世界選手権】井上愛里沙「クールな女子高生」が「頼れるエース」へ成長を遂げたチェコでの転機

田中夕子スポーツライター、フリーライター
世界選手権初戦のコロンビア戦でチーム最多得点を挙げた井上愛里沙(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

コロンビア戦でチーム最多の21得点

 トスが上がればすべて決まる。決して大げさではなく、世界選手権の開幕戦、緊張が伴う中でスタートしたコロンビア戦の井上愛里沙は、実に頼もしく、逞しかった。

 ボールの捉え方がうまく、コースを自在に打ち分ける技術と、ブロッカーの指先、腕、状況に応じてベストな選択をしてブロックアウトを取る技術は抜群。昨シーズンのVリーグでも日本人選手の最多得点記録を打ち立てた実力を、初の世界選手権でも存分に見せつけた。

 点を取るたびコートの中で見せる笑顔は本当に楽しそうで、放つスパイクは力強い。3対0のストレートで勝利した後のコートインタビューでも「いい準備をして臨むことができた」という表情は充実感で溢れていた。

チームで戦う楽しさを知ったU20世界選手権

 井上愛里沙という選手を初めて知ったのは、2013年。チェコで開催されたU20世界選手権だ。

 Vリーグや大学生が中心のメンバー12名の中で、井上は唯一の高校生。大会開幕当初はスタメンではなくリザーブだったが、スパイク練習の音が周囲とは違う。この子すごいな、と素人目にもわかる器用さと力強さがあったが、当の本人はどこか冷めていた。

 当時、帯同取材でチームと共に行動する中、1人だけ同級生がいない井上とは、自然に会話の回数も増えた。アリサという名前とは1つも重ならない“ショウマ”というコートネームの由来や、将来について。何気ない話をする中、ふとした時に発した井上の言葉が強く残った。

「バレー、あんまり楽しくないなって思っちゃったんです」

 バレーボールを始めて間もない頃から注目を集め、京都から岡山・就実中へ入学した。楽しむよりも勝つことを求められる、寮生活でバレー漬けの日々。「もうバレーだけが中心になるのは嫌」と高校は地元に戻り、西舞鶴高校へ進学した。

 適度に楽しくバレーをして、大学へ進学して普通に仕事をしたい。そんな人生を漠然と描いていた井上にとって、大きな転機となったのが前述のU20世界選手権だった。

 チームの指揮を執る福田康弘監督も、練習時から井上を絶賛していた。器用さとダイナミックさを備え、ゲーム形式の練習になれば勝負所でめっぽう強い。1次リーグのセルビア戦で途中出場した井上が、高さでも力でも勝るブロックに対して面白いように得点を重ねる姿に「将来の日本代表を背負う選手になる」と福田監督は確信。2次リーグからはスタメンに抜擢し、期待に応えるように2年前の11年に開催されたU18世界選手権を制したメンバーが大半を占めるトルコを準々決勝で下し、準決勝は連覇を狙ったイタリアに勝利、決勝進出を果たす原動力となった。

 試合になればチームの中心として活躍する一方、試合が終われば輪の中心にいるよりも「めちゃくちゃマイペースなので、1人で行動することも苦ではない」と自認するタイプ。そんな彼女に“チーム”で戦う楽しさを伝えたのが、同じU20世界選手権に出場した2学年上の本間真樹子だった。

 チェコでのU20世界選手権開催時は筑波大に在籍した本間も、大会開幕当初は井上と同じリザーブ組で、井上よりも試合出場の機会は限られていた。だがそこで卑下することも、不満を抱くわけでもなく、彼女は「試合に出ていない自分もチームのために働く」とばかりに、アナリストが収集するデータを見やすく形に示すなど、誰に指示されるわけでもなく自ら裏方に回った。

 選手として大会に参加しているにも関わらず、時に睡眠時間も削ってチームのためにと働く本間に「選手なのにそこまですることない」と、2つ上の先輩にも臆さず言うのが井上だった。

 そのたび「生意気だなぁ」と笑いながら「私がやりたいんだからやっているだけ」と言い、練習も裏方での仕事も手を抜かず、ベンチでも誰より声を出し、コートに立つ選手の背をそっと押す。

 フォアザチームを貫く本間の存在は井上にとっても大きな支えとなり、中国に敗れるも準優勝の銀メダルを獲得した最終日の夜、少し照れくさそうに井上が本間に言った。

「マキコさん、ありがとうございました。やっぱ、マキコさんすごいです。おかげで最後まで楽しかったです」

学生時代からアンダーカテゴリー日本代表でも活躍した井上だが、一時は「バレーが楽しくない」と感じた時期もあったと振り返る
学生時代からアンダーカテゴリー日本代表でも活躍した井上だが、一時は「バレーが楽しくない」と感じた時期もあったと振り返る写真:アフロスポーツ

「自分が先駆けになれれば」

 U20世界選手権を経て、筑波大へ進学した井上はユニバーシアードなどアンダーカテゴリー日本代表でも活躍。卒業後は当時の日本代表選手がずらりと揃う久光製薬スプリングス(現久光スプリングス)に決めた理由を問うと、こう答えた。

「やると決めたからには、すごい人たちがいっぱいいる中で勝負してみたいと思ったんです。そこでポジションを勝ち取れるように頑張ります」

 入って数シーズンはなかなか出場機会に恵まれずにいたが、アンダーカテゴリーでの活躍同様、近年は久光でもスタメンに定着し、攻撃の柱として得点を叩き出し、昨シーズンはMVPに選出された。そして日本代表でも古賀の対角に入るアウトサイドヒッターとして、主に攻撃面で柱となり、エースと呼ぶにふさわしい活躍を見せている。

 Vリーグでも日本代表でも、試合後に取材へ応じる機会も増え、「私めんどくさい人間なんです」と斜に構えて笑っていた頃がはるか昔に感じるぐらい、丁寧な言葉遣いで的確に勝因や敗因、自らのプレーについて述べる姿も板についてきた。

 世界選手権が終われば、フランスへ渡り、大学時代から考えていたという海外リーグでのプレーが実現する。

「アンダーカテゴリーで国際経験をつけさせてもらった頃から、世界相手に当たり前に戦いたいと思っていました。東京オリンピックを見ていても、日本代表の男子も海外でプレーするのは当たり前で、他競技の選手も海外でプレーする選手が当たり前である中、女子バレーの選手はなかなかいない。自分が率先して海外へ行って活躍することで、他の選手も海外でやってみたい、という先駆けになれれば、と思って挑戦を決意しました」

 1つ1つ着実に、成長を遂げ、進化していく。初のシニア代表として臨む世界選手権も後に振り返った時、きっと大きな転機として残る。そんな経験になるはずだ。

 数時間後に始まる第2戦、今夜の相手はチェコ。奇しくも、今につながる転機となった大会が開催された国だ。

 どんなプレーを見せるか。何点叩き出すか。その決め方は。見どころはいくつもあるが、自分だけでなくチームで得点を取るべく躍動する姿を見られるのが、何より嬉しい。

 バレー、やっぱり楽しいです。

 言葉にせずとも、見せる笑顔がすべてを物語っている。

さらなる成長、飛躍を遂げるべく自身初の世界選手権に挑む
さらなる成長、飛躍を遂げるべく自身初の世界選手権に挑む写真:YUTAKA/アフロスポーツ

スポーツライター、フリーライター

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、月刊トレーニングジャーナル編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に「高校バレーは頭脳が9割」(日本文化出版)。共著に「海と、がれきと、ボールと、絆」(講談社)、「青春サプリ」(ポプラ社)。「SAORI」(日本文化出版)、「夢を泳ぐ」(徳間書店)、「絆があれば何度でもやり直せる」(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した「当たり前の積み重ねが本物になる」(カンゼン)などで構成を担当。

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