【光る君へ】陰陽師・安倍晴明にはすべてお見通し?光源氏の一生も左右した言葉の力とは(家系図/相関図)
NHK大河ドラマ『光る君へ』。世界最古の小説『源氏物語』の作者・紫式部(まひろ)(演:吉高由里子)と、平安時代中期に藤原氏全盛を築いた藤原道長(演:柄本佑)とのラブストーリー。
長保元年(999年)、いよいよ道長の娘・彰子(演:見上愛)が一条天皇(演:塩野瑛久)に入内し、女御(身分の高い側室)となった。
中宮定子(演:高畑充希)は一条天皇の第一皇子(敦康親王)を産む。そしてまひろもほぼ同じころに娘を出産。夫の宣孝(演:佐々木蔵之介)は喜んで、その子を「賢子」と名づける。
これから波乱の予感しかない展開である。
◆道長政権の陰の実力者はカリスマ陰陽師・安部晴明
◎彰子の入内も一帝二后も陰陽師のアイデアだった?
日本史の授業で習った藤原道長のイメージは、娘を次々と天皇の后にして外戚となり、専横を極めた「腹黒い権力者」ではないだろうか。
しかし、この大河ドラマでは、道長のイメージは従来とは全く異なる。道長が企てたとされる「一帝二后」はもちろん、彰子の入内までもが、陰陽師・安倍晴明の言ったとおりになっているのだ。
「道長が一の人になる」「定子の皇子出産」など、これまでの安倍晴明の発言はことごとく的中してきた。最初は「そんなことはありえん!」と抵抗しながらも、結局道長は晴明を信用するようになる。やがてほとんど陰陽師の「言いなり」になっていく。
道長を描くこの新しい視点・解釈が今後の歴史をどう描いていくのかは見ものである。
定子の産んだ皇子も加えた新しい家系図がこちら。
◆光源氏の人生に大きな影響を与えたものとは?
◎帝位の相を持った皇子が臣下に下った理由
平安時代には「予言」や「占い」をどう捉えていたか、紫式部の書いた『源氏物語』をもとに考えてみたい。
『源氏物語』の主人公・光源氏の人生は「予言」「占い」に大きな影響を受けている。
桐壺帝の第2皇子として生まれた光源氏。最初の予言は源氏がまだ皇子だったころ(第1帖「桐壺」)。
来日していた高麗の人相見に父の桐壺帝が源氏を見せると「この子は帝位に就く相だが、帝になると世が乱れる。かといって補佐役という相でもない」といわれる。
悩んだ父帝は、源氏に源性を与えて臣下としたのである。
のちに光源氏は、冷泉帝より「准太上天皇」の待遇を受ける。これによって、「帝位には就かないが補佐役ではない存在」となるのだ。
なお、『源氏物語』で光源氏が得た「准太上天皇」とは、現実社会で三条天皇(演:木村達成)の皇子、敦明親王に与えられたものを紫式部が参考にしたと考えられている。
長和5年(1016年)、敦明親王は一条天皇と中宮彰子の子・後一条天皇の春宮(皇太子)となるが、翌年道長の圧力に負けて帝位を辞退。その結果、「准太上天皇」待遇となり「小一条院」と呼ばれたのである。
◎「3人の子の予言」から妻の不義密通に気づく源氏
話を『源氏物語』に戻す。
光源氏に一番影響を与えるのが、第14帖「澪標」に登場する宿曜占(しゅくようせん)という当時の神秘的な天文占いの占いである。
「(源氏には)子が3人生まれる。1人は帝に、1人は后に立つ。もう1人は太政大臣として位を極める」
この予言の通り、父帝の中宮藤壺との不義の子は冷泉帝として即位し、源氏の長男・夕霧は太政大臣、娘の明石の姫君は今上帝の中宮となる。
光源氏の人生はこの予言の通りに進む。そこへ正室・女三宮の懐妊。「あの占いの通りならばもう子は生まれないはず」疑問に思う源氏。
源氏の疑念は当たり、次男・薫は女三宮と柏木との不義の子だったのである。
因果はめぐる。源氏はあらためて自分の犯した罪を思う。(が、父帝が自分を許したようには柏木を許せず、いじめ殺すのだが…怖っ)
現代のわたしたちの感覚でいえば、占いや予言のままに物事が進むなんてありえない。
しかし、平安時代の人々にとって占いは非常に重要で、「予言は当たるもの」と信じられていたことが、『源氏物語』からは伝わるのだ。
◆病は呪い、治療は祈祷だった時代
◎貴人のお産では大規模な祈祷
まひろの夫・藤原宣孝を演じる佐々木蔵之介さんの「睡眠時無呼吸症候群」らしき演技がうますぎると評判である。
史実の宣孝は式部と結婚後3年ほどで亡くなる。その伏線として持病があることを描いているのだろう。残念ながら、平安時代の医学ではこの病気は治せない。
医学というほどのものもなかった時代である。病になっても冷やしたり温めたり薬を飲むくらいしか手立てはなく、結局は神仏に祈るほかはなかったのだろう。
当然病の原因もよくわかっていなかったため、すぐに「祟り」や「呪い」だと恐れられた。
出産も命がけだったため、中宮定子の出産では大規模な祈祷がおこなわれ、伊周・隆家兄弟(演:三浦翔平・竜星涼)が「魔」を打ち払うために矢を放った。
余談だが、紫式部の遺した『紫式部日記』は、中宮彰子のお産の記録から始まる。難産だったと伝わるお産の最中は、道長が集めた都中の高僧による読経や祈祷の声が24時間休まず響き渡ったという。
定子の出産シーンはその日記を彷彿とさせた。しかし、3度目のお産では読経や祈祷もむなしく定子は崩御。
一方そこまでの貴人ではないまひろの場合は、従者の乙丸やいとの彼氏・福丸が熱心に念仏を唱えていた。この対比も興味深い。
定子の子・敦康親王の誕生が、さらにこの先ドラマを産む。さらに道長とまひろの子・賢子(史実はもちろん宣孝の子)の存在は、道長とまひろの関係をどう変えるのだろうか。
(イラスト・文 / 陽菜ひよ子)
◆主要参考文献
フェミニスト紫式部の生活と意見 ~現代用語で読み解く「源氏物語」~(奥山景布子)(集英社)
ワケあり式部とおつかれ道長(奥山景布子)(中央公論新社)
紫式部日記(山本淳子編)(角川文庫)
源氏物語(与謝野晶子訳)(角川文庫)