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【京都市】上京区「此附近 藤原定家 一条京極第跡」『小倉百人一首』編纂など行われた聖地(推定)♪

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

藤原定家」という人の名前を教科書で一度は目にしたことがあるかと思います。

鎌倉時代初期の公家・歌人で、「新古今和歌集」の撰者の一人である「藤原定家」(1162~1241年)。

2つの勅撰和歌集『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』『小倉百人一首』などを撰進したほか、「源氏物語」「土佐日記」などの古典の校訂・研究者としても知られる人です。

定家作で「百人一首」に収められているのは、「来ぬ人を まつほの浦の夕凪に 焼くや藻塩の 身もこがれつつ」。

藤原定家の邸宅であった「一条京極第」の顕彰碑と解説版が、京都御所のすぐ東を通る道(寺町通)沿いにある「京極小学校」前に設置されています。

一条京極第」は定家の晩年の邸宅で、彼は亡くなるまでここで過ごしたそう。

説明書には…

古稀を過ぎて権中納言に任じられ、翌年に出家(法名は明静)した。

歌聖と呼ばれた藤原定家は、晩年は、僧侶になられたのですね!

京極小学校(旧京極尋常小学校)は、ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士の母校でもあります(1919年卒業)。

藤原定家の父、藤原俊成(しゅんぜい)も名だたる歌人でした。

京都にある『新玉津島神社』は、こじんまりとした神社ですが、五條大路(現在の松原通)烏丸から室町にかけてあった藤原俊成の邸宅地に、和歌山県 和歌浦の玉津島神社に祀られている歌道の神「衣通郎姫」を勧請したことに由来する「和歌の神」が祀られている神社です。

玉津島神社の和歌の神・衣通姫尊(そとおりひめのみこと)を祀る神社。歌人・藤原俊成が、玉津島神社から勧請(かんじょう)し創建しました。

過去記事をご参照くださいませ→ 「和歌の神」が祀られる『新玉津島神社』

京都御所からすぐのところに、藤原定家が住んでいて「小倉百人一首」が編纂されたと思うと、感慨深いですね♪

藤原定家一条京極第跡

(京都市立京極小学校)

〒602-0844 京都市上京区寺町通石薬師下ル染殿町658

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。フォトジャーナリスト、写真映像家、音楽・イベントプロデューサー、特殊ツアープロデュース・ガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。日本映画の発祥時より美術に携わってきた”ジャパニーズハリウッド”京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深め世界進出を夢見る毎日。

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