元F1ドライバー、ティエリー・ブーツェンが魅せた!ポルシェ962Cでの衝撃的なタイムアタック。
11月16日(土)17日(日)に鈴鹿サーキット(三重県)で開催された「SUZUKA Sound of ENGINE」には晴天にも恵まれ、幅広い年齢層のモータースポーツファンが来場した。同イベントは60年代から90年代までモータースポーツの歴史を彩った名車が集うヒストリックイベントで、今年で開催は5回目となる。
その中で観衆を驚かせたのが元F1ドライバーのベルギー人、ティエリー・ブーツェンのパフォーマンスだ。
「振り向けばブーツェン」で知られた選手
今回のイベントには2人の元F1ドライバーがゲストとして招待された。一人は希少な6輪F1マシン「ティレルP34」を所有するピエル・ルイジ・マルティニ(参考記事:伝説の6輪F1マシン「たいれる」が鈴鹿を走る。独創的なティレルP34の姿を目に焼き付けろ!)。そしてもう一人がティエリー・ブーツェンである。
ブーツェンは1983年〜93年までF1世界選手権で活躍した元F1ドライバーで、F1キャリアの中で3回優勝しているトップドライバーだった。F1ブーム世代のファンには優勝を飾った1989年〜1990年の「ウィリアムズ・ルノー」に所属した時代が強く印象に残っており、1988年、1989年のF1日本グランプリ(鈴鹿サーキット)では3位表彰台にも登っている。表彰台の通算獲得回数は15台と多く、マシンが壊れずに走れば安定して入賞圏内(当時は6位以内)を走る実力があった。
当時は「マクラーレン・ホンダ」や「フェラーリ」が強さを発揮した時代。「マクラーレン・ホンダ」が16戦中15勝という圧勝を見せた1988年には「ベネトン・フォード」で合計5回の3位表彰台を獲得している。そのステディなパフォーマンスから、当時F1中継で実況を担当した古舘伊知郎が使った表現が「振り向けばブーツェン」。決して派手さはないものの、当時のF1グランプリには無くてはならない存在だったと言える。
デモ走行らしからぬ超絶な走りを披露!
そんなティエリー・ブーツェンは今回トークゲストとして招かれていたのだが、自身のヘルメットやレーシングスーツを持参していたため、個人オーナーが所有するF1マシンなどをドライブ。
自身がウィリアムズ加入時にテストドライブしたという「ウィリアムズFW12・ジャッド」(1988年)を豪快に走らせ、1分56秒726という最速タイムをマークした。ちなみに1988年当時、ナイジェル・マンセルが記録した予選タイムは1分43秒893。コース形状も若干違うとはいえ、デモンストレーション走行で当時の13秒落ちというのはかなり攻めた走りだった。
それよりも驚いたのが横浜ゴムのADVANカラーに塗られたグループCカーの名車「ポルシェ962C」での走行だった。ティエリー・ブーツェンはF3000マシンのデモンストレーション走行を終えた後、「ポルシェ962C」に乗り込み走行を開始。1周目から驚くほどスムーズなコーナリングでコースを走行し、アクセル全開のアタックを敢行。その踏みっぷりはもはやデモンストレーション走行の領域を遥かに超えるものだった。
スタンドでロータリーエンジンの「マツダ787B」などの甲高いサウンドを楽しもうと思っていた観衆の目はブーツェンの本気のタイムアタックに釘付けに。高速コーナー130R手前のバックストレートでは最高速なんと280km/h以上を記録する凄まじい走りを展開し、ベストタイムは1分59秒010をマーク。ブーツェンの現役ドライバーと変わらないパフォーマンスに鈴鹿サーキットは拍手喝采の嵐となったのだ。
1分59秒010というタイムは現代のレーシングカーのスピードからすると決して速いタイムではない。SUPER GTのGT500クラスのマシンは決勝レースでさえ1分49秒台のベストラップを刻むし、GT300でも予選16番手くらいのタイムだ。
ただ、グループCカー「ポルシェ962C」の現役当時のタイムを見てみると、1988年の鈴鹿1000kmレースでの「ADVAN ALPHA 962C」(高橋国光/茂木和男)の予選タイムは1分57秒709。現役当時の予選タイムから1.3秒しか変わらないタイムを31年後に記録したということがいかに驚異的か、お分かり頂けると思う。当時をリアルタイムで知るファンなら思い出が蘇る走りだっただろう。
【グループCカー】
1980年代〜90年代にル・マン24時間レースやJSPC(全日本スポーツプロトタイプカー選手権)などの耐久レースを走ったFIA(国際自動車連盟)のグループC規定の車両。燃料の総量だけが決められ、各メーカー自由なエンジン形式で戦われたレースで、最盛期には1000馬力を超えるモンスターマシンが登場した。当時を知るスポーツカーレースファンには今でも心に残る強烈なレースだった。
現役を退いて20年のブーツェン
ブーツェンは元F1ドライバーとして語られることが多いが、実は「ル・マン24時間レース」にも豊富な出場経験を持つ。1986年にはポルシェ962Cの先代モデルのポルシェ956でル・マンに出場。F1を去った後、1994年にはポルシェ962CをGTカー扱いで出場させたダウアー・ポルシェ962LMで総合3位を獲得。実はポルシェ956/962シリーズのグループCカーはかつて共に戦った旧知のマシンなのだ。
95年以降もブーツェンはポルシェのワークスドライバーとしてル・マンを戦い、1996年にはポルシェ911 GT1でル・マン24時間レースの総合優勝を成し遂げている。その後、トヨタに移籍してトヨタTS020でル・マンの優勝を目指したことを覚えている人もいるかもしれない。その1999年のル・マンでブーツェンはクラッシュし、重傷を負い、そのままレーシングドライバーを引退した。
引退後はビジネスジェット機の販売を手がける「ブーツェン・アビエーション」を興してビジネスマンに転身。F1ドライバー時代から航空機の魅力に取り憑かれたというブーツェンはモナコをベースに航空機ビジネスで成功をおさめているという。
選手生命が絶たれるル・マンでの事故から20年。ブーツェンはF1で2度表彰台に乗った鈴鹿ですっかり気を良くし、「F1、F3000、そしてグループCカー、色んなマシンをドライブできて幸せな気分だったよ。日に日に若くなっていく感じだったね」と語る。
「ポルシェ962Cという素晴らしいマシンに乗ったら1周1周がとても楽しくてね。エンジンの調子も良いし、タイヤはほとんど新品と言えるものだった。鈴鹿は僕の故郷ベルギーのスパ・フランコルシャンサーキットと甲乙付け難い素晴らしいコースだし、このコースでポルシェ962Cを走らせるなら、攻めない理由はないだろう」と饒舌なブーツェンは「来年、もし機会があるなら、当時のレコードタイム(最速タイム記録)を打ち破って見せるよ」と宣言した。
「振り向けばブーツェン」と呼ばれた男、ティエリー・ブーツェン。62歳になった今も変わらないジェントルな雰囲気とスピードに対するセンスには本当に驚かされる。F1優勝経験者、ル・マン24時間レースに勝つ人間はやはりタダモノではないということを改めて知らされたパフォーマンスだった。