佳子さまの思い出がよみがえる青春の日々 障がい者の皆さんと心通わせたダンス・コンサート
世界中のあらゆる民族には、独自の文化の象徴として音楽とダンスが伝承されている。情念がほとばしるスペインのフラメンコ、官能的なアルゼンチン・タンゴ、軽やかなステップのアイリッシュ・ダンス…などなど、あげればきりがないほどだ。それほどまで人間にとってダンスは、心の内からこみ上げる、抑えようのない本能的な衝動なのだろう。
言葉にならない感情をダンスによって表現し、内なる思いを発散することで不安や悩みから解放される場合もある。何より体を動かすこと自体、健康にも良い。
ダンスの楽しさを知る人びとは世界中にあふれているが、実は秋篠宮ご夫妻の次女・佳子さまもその一人だ。
去る6月12日、佳子さまは「第20回記念東京都障害者ダンス大会ドレミファダンスコンサート」に出席し、参加した障がい者らのダンスパフォーマンスを見守られた。オープニングでは「マツケンサンバⅡ」の曲に合わせたダンスが披露され、一気に会場中が盛り上がったという。
佳子さまは観覧席から熱気に包まれたステージの模様をご覧になり、表情はマスクで目元しか見えなかったものの、手拍子をしたり何度も手を振って応えたり、終始笑顔で楽しまれている様子であった。
佳子さまご自身もダンスをされているとあって、一生懸命に踊る参加者たちの躍動する姿に、感情移入されていたことだろう。
◆佳子さまが所属されていたダンスサークルは超体育会系
拙書『佳子さまの素顔 可憐なるプリンセスの知られざるエピソード』でも触れているが、ICU(国際基督教大学)に入学した佳子さまは、学内のダンスサークルで活動されていた。
“ダンス”と聞くと、趣味程度に興じているのだろうと思われがちだが、それはまったくの見当違いである。佳子さまがメンバーの一員となられていたのは、体力的にも技術的にもレベルの高い超体育会系サークルだ。
完成度の高いダンスに仕上げるため、日頃からサークルのメンバーたちは、筋トレなどの基礎トレーニングを欠かさず、疲れてクタクタになるまで練習を重ねていたという。練習が終わった後も、メンバーたちが残って遅い時間まで自主練習が続き、アスリート並みの厳しさであった。
そうしたハードな特訓に励むことができたのは、メンバーの皆が思いを共有し、感動的なダンスパフォーマンスを実現したいという目的を持っていたからに他ならない。寸暇を惜しんで研鑽に努め、大学の授業の空き時間さえ、よりレベルアップするためのレッスンに充てていたと聞く。
ダンスサークルでの練習は、仲間たちと情熱を注ぎ、かけがえのない達成感を得られた経験として、今も佳子さまの心の中に鮮やかに刻まれていることだろう。
今回のコンサートでダンスを披露した参加者たちは、この日に向けて一生懸命に練習してきたに違いない。その汗と情熱を、佳子さまはご自分の大学時代と重ね合わせ、深く共感されたのではないだろうか。
◆佳子さまが大切にする公務への姿勢
佳子さまがこの大会に初めて出席されたのは、平成29年。お母様の紀子さまとお二人で招かれ、参加者たちにお声をかけた時には、佳子さまが握手をして激励されるシーンもあった。
当時、佳子さまは22歳。ICUに通いながら学業と公務に取り組んでいらっしゃった。その後、令和元年にはお一人で訪れ、今回は3回目のご出席となる。
佳子さまの公務への取り組みについて、去年、紀子さまは以下のように綴られた。
「次女は、引き続き、一つひとつの公的な務めに誠実に取り組んでいるように思います。そのうち、いくつかの行事については、以前に私が携わっていたものでもあり、行事を引き継いで心をこめて務めてくれていることを、うれしく思っております」
そう語られた紀子さまが感じているように、今回のイベント終了後に参加者らと懇談した佳子さまは、心から感動した思いをこめて、「今日は素敵なダンスを見せていただいてありがとうございました」「すごく楽しませていただきました」「皆さん一緒に踊ると楽しいですよね」と声をかけていらっしゃったという。
振付を覚えた上で一人ひとり息を合わせるため、何度も何度も繰り返し練習をしてきた参加者の、その努力の過程を十分知る佳子さまのお言葉は、大きな励ましとなったことだろう。
ダンスを通じて、お互いの心がつながった一日となり、参加者の皆さんにとっては生涯忘れられない日となったのではないだろうか。