「シャンプーハット」が30年大阪に居続ける理由。そして、胸に秘めた恩人への思い
結成30周年を迎えたお笑いコンビ「シャンプーハット」。関西のテレビで見ない日はないという状態を長年保っていますが、恋さん(48)、てつじさん(49)が東京に行かない理由。そして、今の自分たちを作ってくれた恩人への思いとは。
「芸もないんやったら、来るな!」
恋さん:もう30年かぁという感じですね。早かったなと思います。
歳を取れば取るほどさらに時間が早くなるとも言われますし、ここから30年経ったら、もうほぼ80歳ですしね。人生の短さに驚いてもいます。
個人的なことでいうと、僕は改名を二回したんです。本名が目立つ名字やということもあって、病院とかで名前を呼ばれた時に同じ姓を名乗っている家族や親せきに迷惑をかけないようにと思って。
逆に言うと、この世界に入った時にはまさか結婚して、子どももできて、ということを考えもしてなかったんですよね。そういうビジョンがあれば、最初から芸名を名乗ることも考えていたのかもしれませんけど、そのアタマがなかったということですからね。
芸人として家族を支えていく。そんな発想も全くないまま10代から走ってきたということですよね。まさか、30周年でこんな取材をしてもらっているとは夢にも思ってなかったですし。ただ、もう長男も大学生ですからね。そら、30周年で間違いないんですけど(笑)。
てつじ:気づけば長くやってきましたけど、ここまでやってこられたのは良いご縁をいただいた。これが本当に大きかったと思います。
一つ、確実にターニングポイントになったのはやしきたかじんさんとの出会いでした。たかじんさんの番組に出してもらって、プライベートでもすごくお世話になりました。
お付き合いが始まって最初の頃、カラオケも歌えるお店に飲みに連れて行ってもらったんです。若手なんで自分らが最初に歌わないといけないと思って、歌える歌を一生懸命に歌ってたんですけど、そこでたかじんさんから怒られたんです。
「芸もないんやったら、来るな!」
他にもお客さんがいらっしゃって、自分の歌を聞いてくださっている。その中で、まじめに、普通に、しっかりと歌っていてどうするんやと。もちろん、まじめに歌うということを全うするという面白さもあるでしょうし、めちゃめちゃうまかったりしたら、それはそれで面白さになるんでしょうけど、普通のうまさの人間が普通に歌う。そこに、いろいろな“芸の無さ”をお感じになったんだと思います。
芸人の仕事は何なのか。何のためにいるのか。全ては人を楽しませることに行き着くはず。そのために必要なものが芸である。
言葉としては短いものだったんですけど、根本の話が詰まっているというか。そこでハッと目が覚めた気がしたんです。
本気で、本当のことを言ってくれる人にはこちらも本気で向き合う。それもその一言から感じたことで、そこからはたかじんさんと番組でご一緒しても、一切遠慮せずにガンガンいくようになりました。
それがたかじんさんへの返答にもなると思って。そうしているうちに、ありがたいことにお仕事も増えていきましたし、今の起点を作っていただいた。心底、感謝しています。
恋さん:ほかにも、たかじんさんから言われたことがありまして。
「番組でな、オレが誰か一人をイジってるのに、ひな壇にいる若手全員が立ち上がって『ちょっと、待ってくださいよ!』とツッコミを入れてくる。アレ、なんやねん?」
確かに、言われている本人は異論があったら立ち上がってでも反論するのは自然ですけど、周りの人間も立ち上がって何かやるのは本来不自然ですからね。ただ、なんとなく「誰かが立ち上がったらみんな立ち上がらないといけない」みたいな“なんとなくのルール”がある。
たかじんさんは芸人じゃなく歌手だからこそ、そこを正面から見て「おかしい」と思われたんですけど、実はオレもそこはおかしいと思っていて。
「そういうもの」という意識を取っ払う。きちんとものを見る。周りがどうであれ、自分の感覚を大事にする。そこをたかじんさんに教えてもらったと思っています。
実際、僕はボケの中でも変わった立ち位置のことをするほうなのかもしれませんけど、そこに自分なりの理由があるし、考えがある。その根っこにあるのがたかじんさんの言葉なんです。
東京
てつじ:長くやっていると「東京には行かないんですか?」ということをよく尋ねられます。そもそもの話、この世界に入った理由が「面白いことをしたい」という思いだったので、それが根本にあるんです。
「東京に行く」が根本にあるものだったら、なんとしてでも行っていたと思うんですけど「面白いことをしたい」ので、それができるなら場所は問わない。
逆にというか、面白いことができるのが大阪以外であるならば、そこに行くかもしれませんけど、現時点では面白いことができるのが大阪なので、ずっと大阪にいる。これが一番正確に思いを表している言葉だと思います。
ずっとそう思ってやってきたんですけど、時代も変わってきたというか、今はテレビでも“関西ローカル”みたいな概念がほぼなくなりました。というのは、例えばTVerとか、全国どこの番組でもスマートフォンさえあればすぐに見られる時代になりました。YouTubeも、やれ大阪だ、やれ東京だということもない世界です。
あるのは「面白いのか、面白くないのか」という事実だけ。手前みそなのかもしれませんけど(笑)、ある意味、先取りの考え方をしていたのかなとも思います。
恋さん:結局、面白さは場所ではなく、行き着くところ“人”でしょうしね。なので、東京だ、大阪だということ以上に面白い人と絡みたい。そこは強く考えているところです。
てつじ:時代も変わってますし、僕らもどんどん歳を取っています。そんな中でこれから先のことを考えた時に、今の僕らの漫才を変わらず70歳でもやっていたら、それはそれで面白いだろうなと思いますね。70歳の僕が70歳の相方に「それでな、恋ちゃん」と話しかけるだけでも面白いでしょうし。
肉体的に老いるのは止めようがないですけど、歳を取っても極力感覚だけは今のままでいたい。それは本当に思いますね。
吉本興業の師匠方や、上沼恵美子さんもそうですけど、感覚はいつまでも驚くほど若いですから。
恋さん:先日、西川きよし師匠の60周年記念の公演に出してもらったんですけど、芸歴がちょうど僕らの倍ですからね。それでも、ウソみたいにパワフルです。入ったばっかりの若手くらいパワフルです(笑)。
そう考えたら、僕らはもっともっと頑張らないといけないし、実際にこんな師匠がいらっしゃるわけですからね。だからこそ、頑張れるとも思います。
(撮影・中西正男)
■シャンプーハット
1976年2月1日生まれの恋さん(本名・小出水直樹)と75年8月7日生まれのてつじ(本名・宮田哲児)が94年コンビ結成。2人とも大阪府出身。高校卒業後、新大阪歯科技工士専門学校で出会い、吉本興業の若手の劇場「心斎橋筋2丁目劇場」のオーディションを経てデビューを果たす。大阪NSC13期生の「野性爆弾」「次長課長」「ブラックマヨネーズ」らが同期にあたる。恋さんのボケに対して、てつじが突っ込むのではなく同意するという新たなスタイルを確立し、若手の頃から独特の存在感を見せる。ABCテレビ「おはよう朝日土曜日です」、関西テレビ「うまんちゅ」「お笑いワイドショー マルコポロリ!」、MBSラジオ「松井愛のすこ~し愛して」などレギュラー番組多数。恋さんは趣味のイラストを生かした漫画執筆や個展なども展開。てつじも、つけ麺店「宮田麺児」のプロデュース、グルメ本「関西グルメ王の人生が変わる店」の出版、米から日本酒を作っていく活動など趣味を生かした動きを展開している。30周年を迎えた同期の「野性爆弾」との初のツーマンライブ「芸歴30周年記念 野性爆弾×シャンプーハットツアー」を開催。東京公演(9月21日、ルミネtheよしもと)、福岡公演(11月2日、よしもと福岡 大和証券劇場)、大阪公演(12月13日、なんばグランド花月)を行う。