娘の死、無駄にできない…【葛飾・父娘死傷事件】父は220人の交通捜査官を前に何を語ったか
■すべての体験を伝える
「今日は、娘の無念と魂にかけて、できる限りのことをお話しさせていただきます」
2月13日、警視庁主催の講演会に招かれた波多野暁生さん(45)は、落ち着いた口調で語り始めました。
会場となった東京・神田運転免許更新センターのホールには、警視庁管轄の各警察署から約220人の交通捜査官が集まっています。
壇上の暁生さんの傍らには、3年前、交通事件で亡くなった一人娘の耀子さん(当時11)の遺影が置かれていました。
「刑事裁判が終わってからも、絶対にこのままでは済ませないと、毎日、毎日、考えてきました。毎日、毎日、考えて、考えて、それでも娘は生き返りません。娘は交通犯罪の啓蒙のために生まれてきた訳ではありません。しかし、娘に起きたこと、私に起きたことを絶対に無駄にできないと考えてきました。今日は、そのことがひとつかたちになり、実現した日だと思います」
そして、しばし声を詰まらせながら、こう続けました。
「一人娘でした。大変に寒い日でした。今思えば、私があの日娘と出かけさえしなければ、このようなことにならなかったでしょう……。娘を連れて行かなければよかったと、今も悔いています」
■父娘は青信号の横断歩道を横断中だった
事件は2020年3月14日、午後8時45分、東京都葛飾区で発生しました。
耀子さんは父親の暁生さんと共に青信号の横断歩道を歩いて渡っていたところ、赤信号を無視して交差点に進入してきた軽トラックにはねられ、亡くなったのです。
本件の詳細については事故から約1年後、以下の記事でレポートしました。
<亡くなった娘と撮った家族写真 赤信号無視の車に断ち切られた未来>(Yahoo!ニュース個人/2021.3.21)
加害者の男(当時68)は、「自動車運転死傷行為処罰法違反(過失運転致傷)」の容疑で逮捕されました。
しかし、暁生さんは、男が「赤信号とわかっていて無視した」と供述していたことから、「本件には危険運転致死傷罪を適用すべきだ」と東京地検に要望。それを受けた地検は発生から1年後、男を同罪で在宅起訴し、2022年3月22日、東京地裁で懲役6年6月の実刑判決が言い渡されたのです。
(*判決については以下の記事をご参照ください)
【葛飾父娘死傷事件】赤信号無視の被告に懲役6年半の実刑確定 娘亡くした父の思い(Yahoo!ニュース個人/2022.4.7)
私は本件の刑事裁判を傍聴し、レポートを続けてきました。そして、波多野さん夫妻の思いを伺ってきました。それだけに、今回警視庁で実現した、交通捜査官に向けてのこの講演会は、ぜひ取材させていただきたいと思っていたのですが、司法記者クラブに所属していないフリーランスの立場での入室は残念ながら許可されず、暁生さんに提供いただいた講演の原稿を読むことしかできませんでした。
それでも、私は暁生さんのこの講演を一人でも多くの人に伝えたいと強く思ったのです(警視庁からは私が記事に書くことは全く問題がないと言われました)。
被害者遺族の体験を、これだけの数の警察官が一堂に会して聴くことは異例のことです。暁生さんは、東京都内の現場で日々交通捜査に当たる警視庁の捜査官たちに何を伝えたのか……。
以下、少し長くなりますが、波多野暁生さんの講演からその一部を抜粋してご紹介したいと思います。
■赤信号無視の車が横断歩道の父娘に衝突
あの夜、私たちは四つ木5丁目交差点で、横断歩道の信号が青に変わって数秒してから横断を開始しました。私の右側には運転が荒そうに見える男性が乗った自転車がいました。私は右側を通るその自転車を娘に近づけたくないと思い、ブロックするつもりで右側に意識を置いていました。
そのとき、加害車両が赤信号無視をして交差点に進入してきました。時速57km、フルアクセルだったそうです。右側に意識を置いていた私は加害車両に全く気が付かず、轢かれたときのことは全く覚えていません。
娘は加害車両と私の間にサンドイッチになるかたちになり、ほぼ即死でした。自宅まであと300m弱の場所でした。
我々の帰宅が遅いことを心配していた妻は、娘のキッズ携帯の緊急ブザーが鳴ったことに異変を感じ、現場に駆け付けました。そして、道路に倒れている私を発見しました。
私の目線の先を見ると沢山の救急隊員に囲まれた娘らしき姿が見えたそうです。
妻は絶対に取り乱さないことを約束させられ、娘の救急車に同乗しました。救急車の中では呼吸微弱という絶望的な言葉が飛び交っていました。輸血をし、開胸手術をして心臓マッサージもしましたが、娘は助かりませんでした。
首をやられたことが致命傷だったそうです。
■「一緒に私たちも死のう…」と妻は言った
その頃、私も救急車で運ばれていました。「何があったのか、娘はどうしたのか」と聞くと、救急隊員は「車に轢かれ引きずられた、娘さんは別の病院に運ばれている」と絶叫されたのを覚えています。
緊急手術を受けた私は、気が付くとICUのベッドに寝ていました。事件の夜から2日が経過していました。「耀子はどうした」と、うわ言のように言っていたそうです。後で聞くと、私がショックで暴れ出すことを懸念して、娘の死を伝えるタイミングを皆で悩んでいたそうです。
「耀子はどうなった!」と言う私に、妻は黙って首を横に振るだけでした。病室には私の両親も来ており、父から「耀ちゃんはダメだったよ」と聞きました。
私は、全く信じられない思いでした。
『娘が死ぬ? 俺は生きてるのに? なんで……』
そのときに私の心は死にました。
妻に「一緒に私たちも死のう」と言われました。返す言葉がありませんでした。
私は重症を負っており、通夜には出ることができませんでしたが、どうしても葬儀には参列すると言い、医者から許しを得て介護タクシーに乗って車椅子で葬儀場に向かいました。
入り口に「波多野家」という看板を見たとき、現実なのだと改めて思いました。
棺に入った娘は花に埋もれていました。全く受け入れられない光景でした。
自分のただ一人の娘が、死んで、冷たくなって、花に埋もれて棺に入っている。『何なんだこれは』と、そのことだけが頭をグルグルと巡りました。
娘が火葬され、かけらのような骨になったときには、何も感じないと言ってよいくらい、現実感がありませんでした。
ここまでが事件の概要と、その後の1週間の出来事です。
■危険運転致死傷罪「信号を殊更に無視」の意味とは
捜査員から、赤信号無視の事故で、加害者は逮捕されていることを聞きました。私は税理士として、普段から法律に沿って仕事をしていることもあり、まずは赤信号無視という犯罪の取り扱いを定めている法令をスマホで調べました。すると「過失運転致死傷罪」と「危険運転致死傷罪」があるとのこと。しかし、どう考えてこれが過失のわけがないだろうと思いました。
「危険運転致死傷罪」の条文を見ると、
<【法2条7号】赤色信号又はこれに相当する信号を殊更に無視し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する行為。>
と書いてありました。なんて簡単な条文なんだと思いました。
私はこのときまだ「危険運転致死傷罪」の難しさを全く知らなかったのですが、引き続き入院先で、法務省のホームページから赤信号無視の裁判例を調べ、ノートにまとめ続けました。
病院には検察から副検事が調書を取りに来ました。当時は副検事と正検事の違いすら知りませんでした。
私は調べた裁判例を副検事に見せ、「うちの事件とどう違うのか」と食ってかかりました。副検事は明らかに慌てていました。手元のハンドブックらしきものをめくり、付け焼き刃で対応しようとしていることが明らかでした。
葛飾警察署で遺族調書録取の際に、事件現場に最初に臨場したという捜査員の方と話す機会がありました。まだ若い青年でした。彼は泣いていました。
「自分にも小さな娘がいる。悪いのは加害者だ。しかし交通事故の処分は軽すぎる。こうした現状を変えられるのはお父さんとお母さんだけです」
そう言われました。
葛飾警察は本件を危険運転致死傷罪で送検したいとギリギリまで粘ったそうです。しかし、例の副検事から「検察の総意だから」と言われ、過失での送検をせざるを得なかったのです。
私は直接副検事に電話をしました。副検事は「お気持ちは分かります、証拠の評価が難しい、パトカーに追われていたという状況もない、上司の決裁の前に自身の意見を伝えるのは控えたい、検察は被害者のためだけにある訳ではない」等々の説明に終始しました。
検察が被害者に対してできる限りの説明を尽くす必要があるという依命通達を読んでいた私は、その内容を伝えましたが、副検事はその通達の存在を知らないようでした。
その後も何度か電話で問い合わせました。
■弁護士を変え、新たな証拠を突き付けた
一方、私は委任していた最初の弁護士が何もしないことに不信感が溜まっていたため、弁護士を変えることにしました。この、弁護士を変えるという作業は、被害当事者にとって、大変厳しい決断になります。
新しく依頼した高橋弁護士と上谷弁護士は2人ともプロでした。高橋弁護士は当初から第2車線に赤信号による停車車両が何台いたのかを気にされていました。
私も当初から、「赤信号で交差点内に他の車がいないうちに車線変更をしてしまおう」と考えた加害者の動機からして、停止線のずいぶん手前から右車線の状況は確認していたはずだ。少なくとも、車線変更する際は右サイドミラーで隣の車線を確認しているはずだと思っていましたし、そのことを副検事にも伝えていました。
しかし、実際は第2車線の状況については捜査が尽くされていませんでした。
高橋弁護士は危険運転で立件するためのさまざまな気付きを検事に伝え、一緒にチームで闘わなくてはならないと言っていました。すると、第2車線には停車車両が4台いた事実がドラレコから分かりました。1台当たりの車の全長と車間も考量して約7m、4台だから28m、つまり実況見分時の供述と整合すると、高橋弁護士の読みは冴えました。
しかし、検事は赤信号を見た位置について加害者の供述がふらついていることに不安を感じていたそうです。供述がふらつくと、実況見分調書の証拠能力が弱くなる、すなわち客観的状況との整合性が求められるという現実的なハードルがあるようでしたが、3月31日、危険運転致死傷罪で起訴されました。おそらくは過失で起訴され、実刑がとれるかギリギリの線だったでしょう。
■被害者遺族になって初めて分かる理不尽
子を殺されるという苦しみ、悔しさ、自責の念は言葉で説明尽くせません。酒、薬、ひき逃げ、赤信号無視……、こんな犯罪行為の結果、何の落ち度も無い子供が命を失う。
はっきり申し上げて、当事者以外には絶対に分からない苦しみです。
過失犯だから、危険運転だから、執行猶予だから、実刑だから……、どの結果にしても、娘は生き返りません。しかし、親は過失なんかで子供を殺されて耐えられない。絶対に最大限の罰を与える、そのことに全身全霊をかけるのです。それが、犯罪抑止ではないでしょうか。
しかし、加害者が裁判で自分に有利に供述を変遷させ、その結果が「過失」で、そして、最悪執行猶予がつく。この悔しさ、社会からの疎外感を皆さんにはぜひ、想像していただきたいです。
うちの事件は、懲役6年6ヵ月で危険運転致死傷罪が裁判所に認められました。
飲酒やひき逃げがない赤信号無視だけのケースで「危険運転致死傷罪」が成立するのは非常に珍しいと弁護士に言われました。
優秀で正義感の強い検事、危険運転に精通した弁護士、少なからず法的な知識があった被害者遺族、これが揃ったからでしょうか? そうかもしれません。しかし、そのような現状はおかしいと思います。
法律で決まっていることであれば、その処分の結果は誰が当事者になっても可能な限り同じ結果となるべきだという私の考えは理想論でしょうか?
皆さんも最前線で事件を処理する中で、人の命が失われたいくつもの重大事案に出会ってこられたと思います。中には、危険運転事案で必死に捜査を尽くしたけれど、結局検察に過失で押し返されて、悔しい思いをされた方もいらっしゃるかもしれません。ベテランになればなるほど、経験値が上がれば上がるほど、そうした現実を沢山知っているのではないでしょうか。
この虚しさ、やり切れなさは現場の士気を下げると思います。そして、そのマインドは若手に伝染するのではないでしょうか
私は危険運転に関する検察のマインドに非常に問題があると思っています。そして、法律自体にも問題があると思っています。しかし、だからと言って、最前線で初動にあたる皆さんの士気が下がってしまうのも仕方が無いのか?
私はそれを何とか食い止めたいのです。
■捜査の現場で好事例を共有することの重要性
では、私はどう考えるか?
最終的に勝った事例、すなわち好事例を共有していただきたいと思っています。
好事例を頭に入れて初動捜査にあたるのと、そうでないとでは、仕事の濃度がちがうはずです。
私どもの事件で危険運転致死傷罪が裁判所に認められた最大のポイントは実況見分調書の信用性でした。では、葛飾警察はどのように調書を作ったのか? 皆さんの仲間が作った好事例を共有し、次の事件に備えていただきたいのです。好事例を知り、それを元に捜査を進めれば、チームの軸も明確になり、決裁がし易いのではないでしょうか?
私は刑事裁判が終わってからずっとこの事例共有について考えてきました。もちろん検察でも事例共有を推進せねばならないと思っています。しかし、いくら私が一人叫んだところで、その効果はたかが知れています。
そこで、学者の力を借りようと思いました。うちの事件の判例解説や論文を書いてもらい、赤無視事案ではリーディングケースとして実務で参考にしてもらえるかたちにして欲しいと考え、複数の刑法学者に連絡をとり、判決文やその他の資料をメールで送りました。
私は『ケーススタディー 危険運転致死傷罪』の著者でもある元最高検検事の城祐一郎先生にもぜひコンタクトを取りたいと思っていました。
そんなとき、東京法令出版HPに掲載されていた【著者からのメッセージ(警察・司法)】「捜査官は何のために自らを犠牲にしているのか」(2020.06.19 )という城先生の原稿を読んだのです。感動しました。
メールを出すと、すぐにお返事がありました。そこには、我々の事件について注目し、新聞記事を警察大学校での講義の際に教材として使っていること、そして、「娘さんの死を少しでも前向きなことにもっていけるよう、私が警察に娘さんの魂を伝えたいと思っています」という熱いメッセージも添えられていました。
そして、城先生は驚くべきスピードで「月刊交通 9月号」(東京法令出版)にうちの事件の解説記事を掲載してくださったのです。
捜査理論のプロ中のプロ、しかも検察OBとして実務も熟知されている城先生に書いていただいたことは、自分の方向性が間違っていないという確信を深めることに繋がり、そして今日、このように皆様にお話をさせていただくきっかけになったのです。
危険運転の事例は赤信号無視だけでなく、飲酒、薬物、超高速度、あおり、ひき逃げ等々があり、皆様の仕事には多くの事例共有が求められています。好事例は皆さんの仕事に明確なロードマップと自信を与えてくれるはずです。
最近はオンラインミーティングも身近になりました。この動きが引き続き全国区で広がり、今まで語る機会がなかった被害当事者達が、悔しい思いを語り始めるかもしれません。
事例共有に厚みが増すということを、今日もし、私が実践できたとしたら、娘の魂に誓って「絶対にただでは済ませない」という私の思いも、また未来に貢献できるのではないかと思います。
捜査官の皆さんには、魂を入れ続けて欲しいと思います。その魂は、悪質運転により突然命を断ち切られた人たちの魂が元になっていることを忘れないでいただきたいと思います。
ご清聴ありがとうございました。
*波多野さんはご自身の活動や思いを「note」で発信されています。ぜひご覧ください。