熊本地震から5年、ラストワンマイルの教訓はワクチン接種に生かされるのか?
未曾有の被害をもたらした東日本大震災から5年が経過した2016年4月、この国の災害対応力がどこまで高まったのかを問うように発生したのが熊本地震だった。しかし当初から大きな問題が立ちはだかった。いわゆるラストワンマイル問題である。災害が起きると、全国から被災地に水や食料、生活支援物資が次々に届けられるが、熊本地震では、体育館など物資を一旦集めた場所から被災者が待つ避難所までモノを運ぶ最後の区間で支援物資が滞った。そして熊本地震から5年がたった今、再び同じような問題が起きようとしている。新型コロナウイルス感染症における国民へのワクチン接種である。過去の教訓をどう生かせるのか、対応力が再び問われようとしている。
東日本大震災では、自治体庁舎や職員が被災し、避難所で必要な物資や数量が把握できないなどの課題が生じた。その経験から、熊本地震では、国が、被災地の要望を待たずに支援物資を調達・輸送する、いわゆる「プッシュ型」の物資支援を初めて本格的に実施した。政府の災害対策本部に物資調達・輸送班を設置し、関係省庁が集まり一元的な調整を行い、物資を調達・搬送した。
ところが、支援物資の到着状況などの情報共有が、国・地方公共団体で十分行われず、広域物資輸送拠点から先の避難所までの「ラストマイル輸送」が混乱し、支援物資が届かないなどの課題が顕在化した【※1】。これが、ラストワンマイル問題と呼ばれるようになった。
いくつかの問題が明らかになった。
国土交通省総合政策局参事官(物流産業)室が平成31年3月にまとめた「ラストマイルにおける支援物資輸送・拠点開設・運営ハンドブック」には、その要因として、①物資の需給調整、②物資拠点の適切な選定と運営、③輸送車両の確保、の3点が挙げられている。
①では、不確実な需要予測と物資の大量・過剰供給、不定形物資の流入が物資輸送のボトルネックとなったこと、②では物資拠点の選定ミス、非効率な荷役作業、物流ノウハウの欠如が物資の輻輳・停滞をまねいたこと、そして③では輸送車両の不足や非効率な作業、車両運転・待機時間の拡大が物資供給の遅れをもたらしたことなどが指摘された。
また、受け入れ先となる自治体の機能が大きく損なわれている状態での国や都道府県の被災自治体の支援の在り方も課題とされた【※2】。
これらの問題を防止するために、①需給調整では、「必要な物資数量の予測・算定」「物資支援チームの編成」「低需要・不定形物資の受け入れ抑制」、②物資拠点としては「適切な物資拠点の選定」「フォークリフトなどによる荷役の合理化」「拠点運用手法の習得」、③輸送車両では「物流事業者との協定、輸送車両の手配、自衛隊への輸送手配」が重要とされた。
特に組織体制については都道府県、市区町村それぞれが連携をとることが重要とされ、その枠組みイメージも例示され、それを実現するための継続的な訓練の必要性などが指摘されている。
こうした課題が解決されないまま、日本は今、ワクチン接種の課題に直面している。災害のように、形状が異なるさまざまな物資がバラバラに現地に届くことはないだろうが、河野大臣が自ら公言するように「ワクチンや注射する医師は厚労省、冷蔵庫は経産省、物流は国交省、使った針などは環境省、学校を使えば文科省、自治体の関係は総務省、予算は財務省等々」【※3】といった具合に、災害時以上に連携は複雑になる。さらに、ワクチン接種は地震災害のように複数の市町村だけを対象にするのではなく、1740余りの全国自治体に同時に共通に行わなくてはならない。
厚労省の自治体への説明資料によれば、昨年秋から同省が構築を進めてきたワクチン接種円滑化システム(V-SYS)が運用されるとのことだが【※4】システムだけで解決できるような問題ではない。そのシステムも、平井大臣はマイナンバーを活用して情報管理を行う意向を示しているものの、V-SYSとシステム的に連携が可能かどうかも今のところ示されてはいない【※5】。さらに、温度管理が極めて難しいとされるファイザー社のワクチンはその運搬はもちろんだが、取扱においても1ケース30キログラムという重さに加え、取り扱いには耐冷手袋の着用、ドライアイス取り扱い用メガネの着用が求められ、接種可能な時間的制約がある等々、あまりにハードルが高い。加えて、今後他のワクチンが次々と出てきた場合のオペレーションの切り替えのタイミング、方法なども詳細な検討が求められる。アベノマスクでさえ、全国民に配するのに2カ月を要したことを考えれば、数カ月で実施できるような規模ではないことは容易に想像がつく。
ワクチン接種が先行するアメリカですら苦戦が報じられている。ただし、そこから学べることはある。いくつかの自治体から公表されているワクチン計画を見ると、災害対応における標準的な枠組みとされるICS(Incident Command System)を活用して、ワクチン接種が行われていることが分かる。
ICSは、1970年代に米国カリフォルニア州で発生した森林火災の現場で、組織内外の連携がうまくいかなかったという反省から生まれたものだと言われている【※6】。例えば、使っている用語が異なったり、ホースの規格が異なったり、あるいは組織の指揮命令系統が異なったことで混乱が生じた教訓から開発が進んだ。1980年代には全米の森林火災の現場で採用されるようになり、1990年代以降は、他の災害やオリンピックのような国際イベントでも採用されている。米国ではNIMS(National Incident Management System)という規格によって、全米の州政府、市政府が、このICSを根幹とした災害対策本部を設置することが決められており、まさに過去の災害対応の教訓から生まれた枠組みと言っていい。ウイルス封じ込めに失敗したアメリカだが、コロナ対応については、ワクチン接種に限らず、こうした過去の災害経験を生かして対応に当たっている点は見習うべきだ。
複数の組織やコミュニティーが共同で災害対応にあたるためには共通のルールが必要になる。既に述べたように、用語の統一、組織の体制、役割、指揮権の委譲などについて共通化しておかなくてはさまざまな不具合が生じ、ちょっとした連携ミスが大きな課題に発展しかねない。そのことは、過去に日本でも何度も課題とされてきたことだが、残念ながら日本での災害対応の共通の枠組みに関する議論はあまり進んでいない。
日露戦争のころ前線で戦う兵隊が兵站を担う輸送兵を馬鹿にして「歌輜重(しちょう)輸卒が兵隊ならば、蝶々(ちょうちょう)とんぼも鳥のうち」と唄ったとされるが、今や日常生活を支える物流は緻密に計算された無駄のないネットワークで成り立っている。渋滞や天候不良も想定しながら緊急時の物流を考えておく必要がある。
感染拡大が深刻なアリゾナ州では、州保健サービス局(ADHS)が昨年10月にCOVID-19ワクチン計画を公表し、今年1月15日には第3版を示しているが【※7】、その冒頭には、「アリゾナ州保健サービス局は、パンデミックとあらゆる危険に対応する緊急準備に継続的に取り組んできた。この間、何十回もの感染症対策訓練を実施し、何百ものコミュニティ・パートナーと協力し、ベストプラクティスと進化する連邦政府のガイダンスに従ってパンデミック対策計画を洗練させてきた」と書かれている。付け焼刃的な対策で数カ月でワクチン接種を終わらせられると考えているなら、あまりに甘い認識と言わざるを得ない。
平時にできないことは災害時にできないことは過去に何度も目の当たりにしてきた。政府の姿勢を批判するわけではないが、安全を最優先に、まずは過去の教訓を見直し、しっかりと準備をした上で日本に合ったワクチン計画を進めてもらいたい。
さらに言えば、ワクチン接種だけの仕組みに終わらせるのではなく、将来起こりうる南海トラフや首都直下地震などにも役立つオールジャパンの体制までを見据え、標準的な枠組みとなり得る協力体制の構築を目指してほしい。
※1平成31年3月国土交通省総合政策局参事官(物流産業)室「ラストマイルにおける支援物資輸送・拠点開設・運営ハンドブック」
※2平成28年12月中央防災会議 防災対策実会議「熊本地震を踏まえた応急対策・活援策の在りについて報告書」など
※3新型コロナワクチン接種推進担当 河野大臣からのメッセージ
※4第2回新型コロナウイルスワクチン接種体制確保事業に関する自治体向け説明会 資料