コスタリカ戦で2戦連発へ。ドイツ撃破弾の浅野拓磨は中学時代から変わらぬ心優しきヒーローだった。
カタールW杯のドイツ戦で大金星をもたらした決勝弾を叩き込んだ日本代表FW浅野拓磨。
ジャガーと呼ばれるほど爆発的なスプリントと屈強なフィジカルを持った彼は、1−1で迎えた83分にそのスピードで相手を振り切って、名GKエマニエル・ノイヤーが反応できないような強烈なシュートを突き刺し、一躍ヒーローとなった。
三重県出身の彼は中学時代から心優しきヒーローだった。
彼は中学時代、クラブチームではなく菰野町立八風中学校サッカー部に所属をしていた。能力が高い選手や経験者が集まるクラブチームと違い、通っている中学校のサッカー部であるがゆえに、部員の中にはサッカー未経験者やそれに近い実力の選手たちがたくさんいた。浅野はその中でもトップレベルで県選抜にも選ばれており、数人の仲間も同等のレベルにあった。
そうなるとどうしてもチーム内での実力格差がありすぎて、紅白戦をするにしてもバランスが取れないし、サッカーが上手い選手からすればイライラすることもあるかもしれない。しかし、浅野は全く違った。
未経験者の選手たちがミスをしたりしても文句を口にしたり、苛立つような態度を一切見せなかった。誰とでも仲良く、そしてフラットに接する。そんな浅野に人望が集まらないわけがない。
紅白戦の際、力が同等の選手とジャンケンをしてチームが別れるのだが、浅野のチームになると実力が劣っていてものびのびとプレーをする環境を彼が作ってくれた。だからこそ、紅白戦の組み分けをする時、未経験者やうまくはない選手たちの多くは口を揃えて「拓磨のチームに入りたい」と口にしていた。
「もし僕が厳しく指摘をしたり、イライラしていたら、周りの選手たちは怯えながらサッカーをしてしまう。『ミスしたらどうしよう』という気持ちが芽生えてしまって、プレーがますます萎縮をしてしまって、せっかくサッカーが好きでサッカー部にいるのに楽しくなくなってしまう。それは絶対にしてはいけないと思うんです」。
いいプレーは賛辞を送り、ミスをしても「俺がなんとかするから思い切りプレーしろ」と鼓舞をする。浅野のチームが相手より劣っていても、浅野チームが勝つこともあった。
浅野の心優しさの結果、逆に浅野のプレーの幅を広げることに貢献していた。仲間をフォローしながら自分のストロングを出すという日常をしていたことで、彼は自然と献身性や運動量、そしてスピードを生かす術を身につけていった。
「僕はそうやっていろんな選手と組んで、考えながらプレーすることが出来た。それに変に自信のある選手って、周りにその自信を押し付けて怒るじゃないですか。『何でそんなんも出来やんのや』とか言うけど、僕はそれを聞いて『あ、あいつ自分で自分の価値を落としているな』と思ってやっていました(笑)」。
仲間想いがサッカーの技術を向上させ、彼は名門・四日市中央工業高校で全国準優勝を経験するまで成長し、高卒でサンフレッチェ広島に入ってから世界に羽ばたいていった。
「人への思いやりや気配りって、結局自分に帰ってくるんですよ。小学校の時に遠征でホテルに泊まる時にコーチから『来たときよりも綺麗にしよう』とさりげない言葉を言われたんです。僕は『あ、これって将来プロサッカー選手になるためにめちゃくちゃ大事なことなんじゃないかな』と感じて、もちろん来たときよりも綺麗にするのは不可能ですが、寝た布団をしっかり畳んで帰る。タオルを畳んでで角において、ゴミ箱もまとめて、履いたスリッパも揃えて帰るとか、今も大事にしています。僕はサッカーの神様に見られている気がするんですよ」。
「神は細部に宿る」。サッカーの神様はちゃんと見ていた。だからこそ、W杯という世界最高峰の舞台で全世界に衝撃を与える決勝ゴールを奪うことができた。
だが、これで日本の2大会連続の決勝トーナメント突破が決まったわけではない。コスタリカ戦に勝たなければいけないし、仮にコスタリカ戦後に行われるスペインvsドイツの一戦でドイツが勝利をすれば、ドイツも突破の可能性が出てくる。
まさに油断は一切できない状況に変わりはないことは浅野自身が良く理解している。
細部を疎かにしない。これからもサッカーの神様に見てもらい続けるために、何より仲間や信じてくれる人たちのために、心優しきヒーローとして浅野拓磨は全身全霊で己を表現する。