阪神・巨人戦での金本監督の激怒は「コリジョンルール」よりも「ビデオ判定」の問題
今季から導入されたコリジョンルールが適用された判定をめぐり阪神・金本監督が激怒、メディアでも大きく取り上げられファンの耳目を集めた。この件にはとても不快な気持ちが残った。
ぼくにとって、この問題はコリジョンルールそのものではない。あれが、適用の範囲かどうかは阪神や阪神ファンには申し訳ないが、審判の裁量の範囲ではないか。同ルール適用の認識のすり合わせは、今後事例を積み上げ議論を重ね果たして行くしかない。問題は、それよりもビデオ判定だと思う。
ぼくは、金本監督が激怒するのを見ていて違和感が残った。ビデオ判定を導入している以上、本来その結果は「最終判定」として受け入れるのがルールであり、モラルだと思うからだ。別に審判団は説明する必要がないと思う。実際、 メジャーでもビデオ判定(これを申請することをチャレンジと呼ぶ)の結果に違を唱えることは認められていない。
それでは、なぜ メジャーではビデオ判定結果はいわば「神の声」であるのに対し、NPBでは翌日以降も監督が判断に不満を述べるケースが生じるのか。それは、金本監督のキャラの問題ではなく、突き詰めればビデオでの確認を通じた判断を当事者である審判団に委ねているからだろう。MLBではビデオでの確認は全試合、ニューヨークにあるMLBの施設内で専門の担当者が行っている。
ビデオで確認させるということは、審判員の目視のおよぶ域を超えた正確な判断を求めることであり、その確認責任と権限は審判員以外に属するべきだ。ビデオ確認担当者も人間であるからには過ちを起こす可能性は皆無ではないが、当事者ではない以上少なくとも両軍とも「それは絶対にして受け入れるべし」ということは道理だ。
しかし、NPBのようにもともと精神的にバイアスがかかっている審判員という当事者に確認させることは、公正中立な確認を阻害するものであり、審判の権威を失墜させることにも通じると思う。
何も金本監督に限ったことではないが、受け入れられないジャッジを下した者によるビデオ確認結果に対しては、やはり素直に受け入れられないものだと思う。
ビデオ判定は、その結果をすべての当事者が受け入れることが前提であり、そのためには確認担当は当事者以外でなければならない。それが、諸々の事情で実現できないNPBはそもそもビデオ判定を導入すべき段階にはないのだ。
それを理解していないにもかかわらず、「とりあえずMLBが導入したもの真似る」NPBの体質が今回の混乱を招いたのだと思う。