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コロンビア撃破!PKで見せた香川真司の変わらぬ『強気』

安藤隆人サッカージャーナリスト、作家
2015年のPKと今回のPK。結果は違えど、信念は変わらなかった。(写真:ロイター/アフロ)

ロシアW杯の日本の開幕戦となったコロンビア戦。開始早々の3分に、日本代表の10番にいきなりのビッグチャンスがやって来た。

クリアボールに反応した10番・香川真司はDFラインの裏に出来たスペースを見逃さず、大きく縦パスを送り込んだ。

このボールを大迫勇也がDFダビンソン・サンチェスと競り合いながらもマイボールにしてゴールに迫り、GKとの1対1の場面を迎えた時、起点となった香川はこぼれ球が来ることを信じて走り出していた。

大迫のシュートはGKダビド・オスピナに阻まれるが、こぼれたボールが引き寄せられるように香川の足下に転がって来た。冷静に振り抜いた左足は正確に枠を捉えた結果、シュートブロックに入ったMFカルロス・サンチェスの手に当たり、ハンドを誘発。PKを獲得した。

このプレーで主審はサンチェスに一発レッドカード。ワールドカップ史上2番目に早い退場者が生まれ、騒然とする場内の中で、香川は「俺が蹴る」と言わんばかりにボールを持ち、ペナルティースポットに立った。

ペナルティースポットにボールを置き、鋭い眼光でまっすぐにゴールを見つめた。テレビ画面を通じてからも、彼が強烈な意志を持ってこのPKを蹴ろうとしているのが分かった。

そして、とてつもない緊張感が漂う中でのPKを、彼は冷静にGKの動きを読んでゴールに流し込んだ。ボールがゴールに吸い込まれるのを確認してから、香川はコーナーフラッグに向けて歓喜のダッシュ。大きなガッツポーズで喜びを爆発させた。

このPKを蹴る瞬間の彼の鬼気迫る表情を見たとき、筆者は過去に彼が放った『ある言葉』を思い出した。

それは今から3年前の2015年1月。オーストラリアで開催されたアジアカップの準々決勝のUAE戦。1−1のPK戦の6人目のキッカーとして登場した香川だったが、シュートは左ポストを直撃。結果、このキックの失敗により日本は準々決勝で姿を消すことになった。

この時、香川自身に大きな逆風が吹いていた。決定機を決められず、「代表では輝けない」と厳しい批判を浴びていた。この試合もそうでこの結果が出た後、Twitterやメディアからは「自信を失いかけている香川に蹴らせない方が良かった」、「弱気な香川に蹴らせたのが間違いだった」という厳しい意見が多く出るほどだった。

だが、この時の香川は世間とはまったく違うことを思っていたのだった。

それはアジアカップのあと、筆者がドイツに取材に行き、香川と1対1で話したときだった。このPKの話題を出し、本人に「こうネガティブな意見が出ていたけど、本当は何を思っていた?」と聞くと、彼はこう口を開いた。

「あれは…ね、悔しいシーンだったけど、何が悔しかったかと言うと、PKを外したことはもちろんチームに申し訳ないし、応援してくれたサポーターの皆さんにも本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。でも、僕にとって一番ショックだったのはアギーレ監督(当時)がPK戦に入る直前に、PKの順番を5人目まで読み上げたとき、そこに僕の名前が入っていなかった。『まだ信頼されていないんだな』と感じたし、そういう風にしてしまった自分に腹が立ったんです。監督は『6人目以降は決めていない』と言ったので、僕が6人目を名乗り出た。結果、PKを外してしまったことは申し訳ない気持ちで一杯ですが…」。

この言葉を聞いて、彼の心の底にある気持ちの強さと、どんなときでも自分を見失わない強さを感じた。

「弱気な香川に蹴らせるべきではなかった」という厳しい言葉を数多く浴びていたが、彼は決して弱気ではなかった。むしろ6人目で登場したことは、彼の『強気』の現れだった。結果として涙を流し、ネガティブな印象になってしまったが、彼は決して後ろ向きだったわけではなかった。

「これを今、世間に言ったところでね、実際に外しているわけだから…。テレビとかで『香川に蹴らせるべきではなかった』と言われたのは、正直悔しかったけど、これからの自分の姿勢で示していくしかないと思った」。

自分を見失うこと無く、やるべきことをやり続ける。あの時、彼はさらに決意を固めたのだった。

もちろん、あれから彼にとって決して平坦ではない道は続いた。日本の10番として常に大きなプレッシャーを背負い、時には強烈な批判にさらされながらも、彼は一度も弱気になること無く、まっすぐに前を向き続けた。

だからこそ、3年後のロシアW杯の初戦で10番を背負ってピッチに立ち、日本のオープニングゴールを決めてみせた。70分に本田圭佑と交代を告げられたが、日本の10番はそれに相応しい大きな仕事をやってのけ、2−1の歴史的勝利に大きく貢献をした。

この活躍は決して偶然ではない。PKに対する弱気は彼の中には存在しなかったし、この3年間でもがき苦しみながらも、自分を見失うこと無く、前進を続けることが出来たからこそ導き出せたものだった。

アジアカップのPKの話を聞いた後、改めて彼に「自分は日本の10番を背負ったこともないし、どんな気持ちなのかは正直分からないほど、次元が違うことだと言うことは分かっている。でも、その上で改めて日本の10番を背負うということはどういう気持ちなのか聞きたい」と素直にぶつけてみた。すると彼はしばらく考えた後、ゆっくりとこう口を開いた。

「日本の10番はね…やっぱり重いよ。本当に重い。でも、それを背負える喜びがあるし、その重さに負けたら意味が無いんです」。

彼の背中にあるプレッシャーはずっと変わらない。2014年のブラジルW杯でも、2015年のアジアカップも、そして今回のロシアW杯もずっと。

想像を絶するほど、とてつもなく重いものを背負い続けているメンタリティー。調子が悪いときも、出番を失ったときも、自身への批判が膨らんだときも、そして怪我をしたときも、どんなに逆風が吹いても彼は屈することは一度もなかった。

改めて言いたい。彼のぶれない信念が、決して平坦ではない道でも歩みを止めなかったからこそ、今がある。あのPKのときに見せた表情は、積み重ねて来た男の真の姿を映し出したに過ぎなかった―。

サッカージャーナリスト、作家

岐阜県出身。大学卒業後5年半務めた銀行を辞めて上京しフリーサッカージャーナリストに。ユース年代を中心に日本全国、世界40カ国を取材。2013年5月〜1年間週刊少年ジャンプで『蹴ジャン!SHOOT JUMP!』連載。Number Webで『ユース教授のサッカージャーナル』を連載中。全国で月1回ペースで講演会を行う。著作(共同制作含む)15作。白血病から復活したJリーガー早川史哉の半生を描いた『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』、カタールW杯27試合取材と日本代表選手の若き日の思い出をまとめたノンフィクッション『ドーハの歓喜』が代表作。名城大学体育会蹴球部フットボールダイレクターも兼務。

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