怪我から復帰し、アメリカJCCを優勝した石橋脩の乗り替わりを巡る物語
V字回復も、大怪我に見舞われる
1月20日、中山競馬場で行われたアメリカジョッキークラブC(G2)を制したのはシャケトラ(牡6歳、栗東・角居勝彦厩舎)。手綱をとったのは石橋脩だった。
今年で騎手デビュー17年目。開幕週で中山金杯を制したウインブライトに騎乗した松岡正海とは同期だ。
2012年にはビートブラックで春の天皇賞を優勝。前年の3冠馬で圧倒的1番人気に推されていたオルフェーヴルを退け、自身初となるG1制覇を飾った。
しかし、その後、成績が下降した。天皇賞制覇を最後に重賞勝ちからは見放され、勝ち鞍も減った。14、15年はいずれも重賞未勝利。それまで毎年40勝前後を上げていた勝利数は、いずれも20勝台に終わった。
「何もかもが苦しい時期だったけど、人と馬に助けてもらいました」
ほんの一例として、斉藤誠や堀宣行といった調教師が手を差し伸べてくれたと続ける。
「斉藤先生にはアドバイスをいただき、積極的に乗る事の大切さを教わりました。堀先生にも後にダービーを制すドゥラメンテなど、たくさん良い馬に乗せていただき経験を積ませてもらいました」
16年1月にはビービーバーレルでフェアリーS(G3)を勝利。ビートブラックの天皇賞以来となる重賞制覇を飾ると、3月にはエイシンブルズアイでオーシャンS(G3)も優勝。「悪い状況を助けてもらえました」。
終わってみればこの年は42勝とV字回復を見せると、更に翌17年には67勝を挙げ、自身最多となる年間勝利数をマーク。しかも、数だけでなく、ラッキーライラックで阪神ジュベナイルフィリーズ(G1)を優勝し、天皇賞以来のG1勝ちを記録するなど、中身も濃い1年とした。
18年もその勢いに陰りはなかった。9月を終えて59勝。前年を上回り自身最多勝記録を更新する勢いだった。しかし、10月8日、事故に見舞われる。進路妨害による落馬事故に巻き込まれ、右足首骨折の大怪我を負ってしまったのだ。
これにより翌週に控えていたラッキーライラックとの秋華賞(G1)は乗り替わりが決定した。
悲喜こもごもの乗り替わり劇
そんな石橋脩だが、今年の年頭にはターフに戻って来た。先述した通り同期の松岡が中山金杯を制した1月5日、同じ中山競馬場で復帰すると、その初戦を勝利した。
翌週にも勝ち鞍を挙げ、両目の開いた状態で迎えたのがアメリカジョッキークラブCだった。
このレース、1番人気に推されていたのは前年の菊花賞馬フィエールマン。2番人気は無類の中山巧者ジェネラーレウーノだった。
フィエールマンが菊花賞を優勝した時、石橋は病床に伏していた。同馬はデビューから3戦の間、石橋が騎乗。デビュー2連勝後、重賞でも2着した、いわばお手馬だった。
また、ジェネラーレウーノに騎乗する田辺裕信はアメリカジョッキークラブC3勝目を目指していた。彼がこのレースを最初に勝ったのは14年。ヴェルデグリーンを駆っての優勝だったが、同馬と田辺がコンビを組むきっかけが、実は石橋にあった。本来、石橋がヴェルデグリーンに騎乗を予定していた日に病気になり、急きょ田辺に乗り替わり。ここで田辺が勝利した事で、以降、ヴェルデグリーンは彼のお手馬となった経緯があった。先述した石橋にとっては苦しい時期での出来事だった。
しかし、今回は風向きが180度違った。アメリカジョッキークラブCの出馬表が発表された時、シャケトラの鞍上には他のジョッキーの名が記されていた。しかし、そのジョッキーが病気となり乗り替わり。石橋に白羽の矢が立ったのだ。
「道中は終始好手応えでした。角居先生からは『馬は仕上がっています』と聞いていたので、勝つイメージで乗りました」
石橋らしい積極的な競馬ぶりだった。前を行くジェネラーレウーノを自ら捉まえに行き、後ろから来るフィエールマンを無理に待つこともせず、追い出した。そして、早目に先頭に立ったシャケトラを鼓舞し、粘り切らせ、乾坤一擲のピンポイントショットを決めてみせた。
「チャンスをくださった関係者の皆様に感謝しています!!」
まるで群像劇のようにパズルみたいな乗り替わり劇を制した朴訥な男は、静かにそう語った。シャケトラとの物語が紡がれるのかどうかは分からないが、まずは怪我無く、今後もよい仕事を継続してくれる事を願おう。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)