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「ミックスジュースでなく、フルーツポンチ」よさ生かしあえる「共生社会」へ。河合純一がJPC委員長就任

佐々木延江国際障害者スポーツ写真連絡協議会パラフォト代表
ロンドンパラ直前合宿で仲間とくつろぐ。2012年8月 写真:PARAPHOTO

 バルセロナ(1992年)からロンドン(2012年)までパラリンピック6大会連続出場、金メダル5個を含む21個のメダルを受賞、日本人で初めてIPC(国際パラリンピック委員会)殿堂入り(2016年)を成し遂げた河合純一(44歳)が、令和2年1月1日、JPC(日本パラリンピック委員会)の委員長に就任、10日、記者会見が行われた。初めてのパラアスリート出身のJPC委員長が誕生した。

 JPCはこれまで、アスリート経験のあるリーダーを選手団団長に据えるなどアスリート中心体制への試みをしてきた。昨年10月、選手会であるアジアパラリンピック委員会アスリート委員会副委員長、日本パラリンピアンズ協会会長を始め、日本身体障がい者水泳連盟会長、JSC(日本スポーツ振興協会)研究員、ナショナルトレーニングセンター副センター長など国の主要スポーツ組織やリーダーと交流のある河合氏へ、委員長のポストを提示した。

 パラリンピックまで300日をきるタイミングで、山脇康氏(IPC理事)に代わり選手の視点や経験を生かした体制改革、東京五輪・パラリンピック成功、それによる活力ある共生社会の実現を願うJPCスタッフの総意である。

北京パラリンピック(2008年)100mバタフライ(銅メダル)の河合純一の泳ぎ 写真:PARAPHOTO/一ノ谷信行
北京パラリンピック(2008年)100mバタフライ(銅メダル)の河合純一の泳ぎ 写真:PARAPHOTO/一ノ谷信行

 「よくオリンピックは平和の祭典といわれるが、パラリンピックは、人間の可能性の祭典。(選手が)もっている可能性を発揮することで、想像をこえるパフォーマンスに触れた方々が無意識のうちにもっていた心のバリアを取り除く。そんな力のあるパラリンピックに、全力で取り組んでいきたい。

 2020東京オリンピック・パラリンピックは、本当に多くの皆さんが注目する舞台になります。世界中のアスリートにとって最高の舞台であり、パフォーマンスを発揮できるよう全力で支援することが我々に課されている。IPCとして「フルスタジアム(満席にする)」「ベストパフォーマンス(選手の大活躍)」と言ってきた。自国開催のNPC(=National Paralympic Committee)に与えられている職務と認識している。

 同時に、私自身の任務は、2020年の大会後の方向性や将来像を描いていくということも課されています。日本障がい者スポーツ協会は2030年にむけたビジョン「活力ある共生社会の実現」を掲げており、これを達成するために多くの関係者の方としっかりと議論しながら取り組みたい。

 私自身が委員長につく大きな理由の一つは「アスリートセンター」な体制の構築をすすめていくことと考えています。練習や選手選考の厳しさを自分自身が経験してきた立場を生かして皆さんとすすめていきます。

1月10日、記者会見のフォトセッションでの河合純一 写真:PARAPHOTO
1月10日、記者会見のフォトセッションでの河合純一 写真:PARAPHOTO

 (日本の)スポーツ界において、JPCが多様性をあらわす象徴になっています。こういったアピール力があるJPCですので、この想いを、さまざまなスポーツ団体の皆さんとしっかりと連携していきたい。とりわけJOC(日本オリンピック委員会)など関係機関と連携しながら、よく山下泰裕会長もいってますが『オリパラ一体となったスポーツ界から、多様性社会の実現にむけたメッセージを発信していく』ということが、我々に求められていると思っています。自分自身の経験を生かし、微力ではありますが、熱意をもってこれらの任務にあたっていく覚悟でいます。

 本日、大変多くの(メディアの)皆さんにお集まりいただいていますが、皆さんの力をおかりしながら、JPCがより発展し、究極の目標である「活力ある共生社会」を実現していきたい。ご意見をいただきながら、パラリンピック大会の成功、その先を見据えた整備に取り組みたい。簡単ではありますが挨拶とします」と河合氏は語った。

アテネパラリンピック(2004年)50メートル自由形S11決勝の泳ぎを終えた河合純一/著書「夢への努力は今しかない(新風舎)」より 写真・PARAPHOTO/森田和彦
アテネパラリンピック(2004年)50メートル自由形S11決勝の泳ぎを終えた河合純一/著書「夢への努力は今しかない(新風舎)」より 写真・PARAPHOTO/森田和彦

 記者会見後の質疑には河合委員長のほか、JPC事務局長、JPSA(日本障がい者スポーツ協会)強化部長の井田朋宏氏が同席して応じた。以下、質疑より抜粋。

ビジョン;共生社会について

 ーーJPCのビジョンでもある「活力ある共生社会」への進捗状況はどうですか。

河合「この10年とても大きく進捗している。ナショナルトレーニングセンターイーストができたり、周辺もアクセシビリティ調査をし、より理想的な状態にしようとしている。変わってきていると感じています。その反面、さまざまな格差もあるという認識もあります。年齢であったり、興味のある層と無関心層との大きな開きがあります。東京都市部と地方との違いなどに問題を感じています。

 今年の東京パラリンピックが、世界ではじめて2度目に行われる夏の大会ということをしっかりと伝えながら、当事者感をもって、皆さんとともに楽しんでもらえるような、大会にしていく、まさにビッグチャンスという認識をしております」

 ーー河合さんご自身は「日本におけるパラリンピックムーブメント」、その特徴をどのように表現しますか。

河合「社会を共生社会とか、持続可能でより良いものにしていこうと思っている人たち全てが当事者になりうるというところが、パラリンピックムーブメントの大きなポイントだと思っています。

 まさに、(記者の)皆さん自身もそうですし、積極的に取材にきていただくことが当然情報発信につながり、読んでいただいたり、みていただいた方々が、心のなかで何か変化をおこす。ソーシャルメディアでいいねを押すとか、シェアするとか、家族でパラリンピックを語りあうとか。そういったところからが(ムーブメントの)第一歩かなと思っています。この夏を究極のピークにしながら、きっかけにできると思います。

 よくレガシーという言葉が言われますが、今回のレガシーは人のなかに宿っていくだろうとおもいます。その人たちが今後も語り続けていったり、子どもたちにつたえていったり。その子どもたちが大人になり伝えていき、社会がよくなっていくとおもう。これまで以上に教育にも力をいれてムーブメントを図っていきたい」

アテネパラリンピック(2004年)閉会式での河合純一。寺西真人コーチ(左)と 写真・PARAPHOTO
アテネパラリンピック(2004年)閉会式での河合純一。寺西真人コーチ(左)と 写真・PARAPHOTO

 

東京パラリンピックへの意気込み

 ーーこれから子どもの教育ということですが、今年の東京パラリンピックが子どもたちにどういった大会になればいいと思いますか?また、どんな教育をパラリンピック以降もしていきたいですか?

河合「自分自身がもともと教員だったので教育は自分の思いのあるところです。パラリンピック教育は意義がある。I’m Possible(=IPC公認教材)は全国の小中学校で推進している。(I’m Possibleを)つうじて学んだ子どもたちが、親や先生、大人をまきこめる力になればと思う。

 また、来週から(パラリンピックチケットの)二次募集があるが、お父さん、お母さん含め「夏の思い出」として観戦していただきたい。テレビやネットを通じてでもみていただきたいと思います。そこでの驚きが成長のタネになると思います。

 何事もみてもらう。ふれてもらう。いま教材が学校にあるので、それで学んでいく環境をつくることです。

 国も、バリアフリーの法律をすすめていきたいと考えていると聞いています。まさに誰もが暮らしやすい環境としてパラリンピックが貢献できること。

 今の子供たちは10年後は大人。2030年にはその方々が社会の中心となってより良いものをつくっていくためのベースに(パラリンピックが)なっていきたい。これからも子供たちとのコミュニケーションには力をいれていきたい」

 ーー東京パラリンピックにむけて、東京を中心に大きな環境整備がされています。地方も含めて日常的に障害のある方がスポーツに取り組むことについては。

河合「格差があるという認識はあります。JPCとして何ができるか検討が必要です。それぞれの都道府県の教育委員会、スポーツ部署と連携しながらすすめていくことかと思う。世界をめざしたいが障害があるからスポーツできないということはなく、何ができるか考えたい。2020の大会を通じてまず存在を知っていもらいたい。目指したいと思う子どもたちが増えることを目指します」

1月10日の記者会見での河合純一 写真・PARAPHOTO
1月10日の記者会見での河合純一 写真・PARAPHOTO

 ーーパラリンピックが一般の社会につながっているからこそ価値があると思いますが、パラリンピックという頂点の方のメダルを支援することで、そうでない、頂点をめざすことができない人が取り残されてしまうんじゃないか?という懸念がいわれることがありますが、そういう意見について、河合さんはパラリンピックをどう説明しますか?

河合「メダルをとることが大切ではなく、選手たちが望んでいるのであればそれをサポートするのが大切だという認識であると思って欲しい。

 やはりメダルによって(記者の)皆さんも、誰々選手がメダルをとったという記事を書きやすくなるし、それで報道量が増えるというのも事実だと思いますので、そういう意味においては、それはめざすべき方向性の一つであるということは間違いないと思っています。

 ただ、だからといってそれ以外の価値を認めていないとかでは全くなく、まさに、障害のいろんな状態、パラリンピックに出場できないような障害のある方がいることも事実です。そういう方も含めて、誰も取り残さない社会をつくるためだと思います。でも、このパラリンピックっていうコンテンツがものすごい訴求力があるということは、多分皆さんも頷いていただけると思います。それを最大化することを通じて、社会変革を起こしていきます。変わっていくときには、何だかんだいって、どうしても凸凹が起こると思うんです。優先的にすすんでいくようなジャンルや分野もあれば、すこし遅れてしまうところもあると思う。全部、同じ速度ですすめていくことは難しいと思っています。

 しかしすべてを考慮しながら見つつ、いま突き抜けるべき速度で、それをひきあげなければならないということもあると思っていますので、そこを理解していただけるような説明をこれからも丁寧にしていくべきかと思っています」

<参考>

・日本障害者スポーツ協会HP;パラリンピックムーブメントに関する記述

https://www.jsad.or.jp/paralympic/what/index.html

・IPC公認教材「I’m Possible」による授業のようす

http://www.paraphoto.org/?p=13154

※「ミックスジュースでなく、フルーツポンチ」=個性をすりつぶしてわからない状態でまざりあうのではなく、食感だとか、色だとか、味わいだとか。それぞれの個性を生かしつつもまざりあっていくような社会をつくる。これが共生社会につながっていく。

国際障害者スポーツ写真連絡協議会パラフォト代表

パラスポーツを伝えるファンのメディア「パラフォト」(国際障害者スポーツ写真連絡協議会)代表。2000年シドニー大会から夏・冬のパラリンピックをNPOメディアのチームで取材。パラアスリートの感性や現地観戦・交流によるインスピレーションでパラスポーツの街づくりが進むことを願っている。

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