ハマス襲撃、旧ジャニーズ事務所性加害、BLM… 世界中の「母の気持ち」に思いを馳せる
今月イスラエルで発生した「ハマスによる襲撃、人質誘拐」、そして日本で話題になった「旧ジャニーズ事務所の性加害問題」、さらに20年にアメリカで発生した「BLM(ブラック・ライブズ・マター)」。これら一見接点がない3つの出来事から、「息子を持つ母親の心の痛み」を考えてみました。
ハマスに息子を連れ去られた母の悲痛
「あなたは母親ですか?」
この質問に、記者は「いいえ」と答えた。
「そうですか。でもあなたは母親がいますよね。もしあなたに何かが起こったら、母親がどのような気持ちになるのか容易に想像できますね」
この会話は、今月20日付のニューヨークタイムズのポッドキャスト、Hamas Took Her Son(ハマスが私の息子を連れ去った)での冒頭のやりとりである。この回は、イスラム組織ハマスに息子を連れ去られたエルサレム在住のレイチェル・ゴールドバーグさん(53)が、司会進行を務めるサブリナ・タヴァニシ記者に逆質問をするところから始まる。
レイチェルさんの息子、ハーシュ・ゴールドバーグ-ポリンさん(23)は今月7日、イスラエル南部のガザ地区との国境付近で開かれた屋外音楽祭に行ったまま行方不明になっている。
レイチェルさんがハーシュさんと最後に会ったのは音楽祭の前夜のこと。家族や友人とテーブルを囲んで食事し、挨拶のキスをして別れたという。ハマスによる攻撃が起こったのは7日の土曜日、つまりユダヤ教の安息日だ。ユダヤ教徒だとされるレイチェルさんはいつものように携帯電話の電源をオフにしていた。夫がシナゴーグに出かけた後、お茶を飲んでいたら午前8時ごろ警報サイレンが鳴り、娘2人を起こしてシェルターに避難した。ハーシュさんの安否を確認するために携帯の電源を入れると、ハーシュさんから2通のテキストメッセージが8時11分に届いているのが確認できた。最初のメッセージは「愛しています」。二つ目は「ごめんなさい」だった。
早朝に息子からそのようなメッセージが届くのは尋常ではない。ごめんの意味について「子が母に心配をかけ、多大な苦痛を与えることへの謝罪」と汲み取ったレイチェルさんは胸騒ぎがした。ハーシュさんに電話をかけたが、あの日から応答がない。その後、事件の真相が明らかになるにつれて、レイチェルさんは「半狂乱になり、パニックに陥った」。
その後のレイチェルさんは救済チームを組み、事件を世界中に伝えるなど、息子の救出に繋がる活動をしている。さまざまなルートでたぐり寄せた情報から、ハーシュさんらは事件発生直後にシェルターに避難したようだ。午前8時30分ごろテロリストによって手榴弾のようなものが投げ込まれ、多くの若者が負傷した。ハーシュさんの肘から先も吹き飛ばされたという目撃証言がある。結局ハーシュさんら生存者はテロリストによって人質として連れて行かれたと見られている。
「息子が腕の治療を受けていますように。そして息子がここに戻ってきますように」
「生きて息子に再び会えることを願っています。彼を家に連れて帰りたい」
母として悲痛な思いを静かに訴えたレイチェルさん。インタビューの中で、彼女が息子だけでなく、ガザにいる罪のないパレスチナの民間人が犠牲になっていることにも煩悶する様子が伝わってくる。
タヴァニシ記者がレイチェルさんに「ハマスに何を望んでいるか?何を理解してほしいか?」と質問すると、「理解してもらいたいことは何もない。逆に彼らがどんな人なのか、何を求めているのかを私が理解したい」と答えたのも印象的だった。「単にイスラエルにユダヤ人が住んでほしくないだけなのか? それともユダヤ人自体が生きてほしくないのか?何が彼らの最終ゴールなのか、知りたい」とレイチェルさん。
10月7日以降、ハマスは人質として多くの人を連れ去った。ここに来てアメリカ人親子や79歳、85歳の高齢者など現時点で4名の人質(すべて女性)の解放が伝えられる中、依然200人以上が行方不明になったままだ。その中には生後9ヵ月の乳児も含まれる。
残念ながらハーシュさんをはじめ、男性は一人も解放されていない。そしてハマスは人質に暴力を振るい、攻撃の際に「人間の盾」として利用しようとしている。囚われの身になった人々の安否が心配されており、残りの人々の早期の解放に向けた働きかけが、中東の近隣諸国の協力のもと行われている。
元ジャニーズ事務所の性加害問題 被害者の母の心情は?
イスラエルとハマスの衝突が開始し冒頭のポッドキャストが放送された時期、日本ではジャニーズ事務所(現SMILE-UP.)の性加害問題の報道が目白押しだった。メディアやSNSでは連日、被害者の救済と補償などについての議論が活発に行われていた。
私は遠くアメリカから、毎日のようにニュースサイトを賑わせるこのニュースを傍観しながら、いくつか思ったことがあった。その一つは、被害者の母親の存在が葬り去られていることだった。被害に遭った本人以上に、母親とて愛する息子を傷つけられ相当辛い思いをしているだろうに、母としての心的外傷や痛み、心のケアといったものが議論の俎上に載ることもなく完全スルー状態で、補償問題が語られていた。
「寝室でパンツを脱がされ…」「テレビ局のトイレで…」と、衝撃的な証言が次々に出てくる中、「あぁ、これは母親が聞いたらやるせないだろうな」と筆者は感じた。信用した事務所や大人に大切な子を預け、外泊を許可していた母親(もしくは保護者)は、衝撃的な事実を知り、たまったものじゃないだろう。きっと中には、自責の念を持つ人もいるだろう。そんなことをニュースサイトを開いてはぼんやりと考えていた頃に、冒頭のイスラエルの母の思いが耳に入り、日本とイスラエル、全く別世界の出来事ではあるが、筆者の頭の中で「母と息子」「息子の傷は母の傷」という共通項で繋がったトピックだった。元ジャニーズ事務所から被害者本人への補償は今後進められていくようだが、どうか傷ついたであろう母親や家族のことにも思いを馳せ案じながら、十分な被害者救済や補償、心のケアを進めてほしいと願うばかりである。
息子の痛みは母の痛み。アメリカでも
冒頭のレイチェルさんが記者に投げかけた質問「あなたは母親ですか?」の質問に対して、筆者の答えも「ノー」であるが、なぜ母親でもない私が、そのような母の心情に寄り添う気持ちになったのかについては、これまでアメリカで取材した体験がベースにある。
中でも2020年5月にミネソタ州ミネアポリス市で発生した、白人警官による黒人男性ジョージ・フロイドさんの死亡事件の取材が一番思い出される。当時全米では、BLM運動が日に日に拡大し、私はこの時期に多くの黒人男性や黒人ミックスの男性、そして母親にも取材をした。生の声を拾い上げる中で、ある母親の叫びが聞こえてきた。それは息子を殺された、または殺されなくても暴力を振るわれ傷つけられた黒人男性の痛々しい母親の姿だった。
「自分の息子が、ジョージ・フロイドのように殺されたらと考えるとゾッとする、おぞましい」
「将来この子が成長し、警官から暴行を受けるのではないか、いつか被害に遭ってしまうのではないかと、非常に危機感を持っている」
母親がこのように口を揃えて語ったことが忘れられない。この取材を通し、息子とは一心同体の母親の存在を改めて認識した。息子を思う母(親)の気持ち、心の叫び、「息子の心の傷=母親の傷」を強く実感したのである。
(Text by Kasumi Abe)無断転載禁止