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「チケット転売」「ダフ屋」は悪か? あるいは、日本の生産性が低い理由

太田康広慶應義塾大学ビジネス・スクール教授
(ペイレスイメージズ/アフロ)

チケット転売とダフ屋行為抑制のための報告会

「チケット高額転売とネットダフ屋行為」を抑制するための現状報告会に、『ライブ・エンタテインメント議員連盟』に参加する石破茂議員のほか、音楽業界関係者が参加したという。サカナクションの山口一郎氏は次のように述べた。

僕たちを支えてくれているファンの方が一番被害に(ママ)受けている。チケットは、演出や場所の価格など細かいことを考えて決定している。それを何も関係のない方がその何倍、何十倍の価格で転売して利益を得ていて、ミュージシャンとして許せない

チケット転売&ダフ屋対策、法整備に本腰 サカナクション・山口が切実訴え

ファンが一番被害に遭っているというのは、コンサートに行きたいファンが転売目的の購入者のせいでコンサートに行けないということだろう。その一方で、最初からコンサートに行く気がない人がチケットを大量購入して、これを転売して儲けているのが心情的に許せないということのようだ。

ファンクラブの抽籤に漏れたファンが、チケットを買えなくて残念がっている。まさにそのときに、そのファンが欲しがっていたチケットがオークション・サイトに高値で売りに出る。割り切れない部分が出てくるのはわかる。

主催者の値付けのミス

しかし、転売目的でのチケットの大量購入がビジネスとして成り立つためには、チケット価格が低すぎて売り切れ状態になっている必要がある。もし、希望の席が正規料金で手に入るなら、誰もオークション・サイトで高いチケットを落札したりはしない。つまり、主催者がチケットの売れ行きを見誤って、値段を安く付けすぎたという失敗がないと転売は儲からない。

コンサート会場の座席数には限りがあり、チケットの総数は決まっている。人気のグループで、多くのファンがチケットが欲しいと思っているなら、ちょうどぴったりチケットが捌けるようにチケット価格を高めに設定すればいい。

まちがって、チケット価格を安くつけすぎれば、チケットは「売り切れる」(ソールド・アウト)。そして、コンサートに行きたかったファンのなかにはコンサートにいけない人が出てくる。その人たちは可哀想だ。

一方で、首尾よくチケットを手に入れたファンは、そのチケットの本当の価値よりも安い値段で買うことができ、コンサートを楽しめる。ラッキーである。

本当は値段で調整すべきところ、売り切れにしてしまうというのは、価格調整するべきところ、数量調整にしてしまうということである。数量調整になれば、販売開始時刻には、販売窓口の電話やネットが通じにくくなり、本当にチケットを欲しがっている人にチケットが行き渡らなくなってしまう。

戦後の闇市と同じ

昔、共産主義の国で、日用品が安く手に入るように価格統制をしていたことがあった。日用品が高騰しては困るので、値段があらかじめ低めに決められていたわけである。

こういう状態で、天候不順があって野菜の生産量が落ちるとどうなるか。スーパーの食料品売り場からあっという間に野菜がなくなってしまう。育ち盛りの子供がいたりして、どうしても野菜を書いたい人も野菜を買えなくなってしまう。

あるいは、食糧の配給制度がある状態を考えよう。育ち盛りの子供がいても十分な食糧が手に入らない。配給を受けて、家に帰っても、子供に満足にご飯を食べさせられない。

こういう情況では、闇市が発達する。ブラック・マーケットである。違法だし、値段は高い。しかし、背に腹は代えられない。

確かに、人の弱みにつけ込んで、人が欲しがるものを高値で売りつけて儲けようとするなんて人が悪いかもしれない。倫理的に問題があるかもしれない。反社会的勢力の活動資金源になるかもしれない。

それでも、必要な食糧が手には入って、子供がご飯を食べられて、餓死しなくてすむのなら、ないよりはマシである。

価格統制がある場合でも、配給制度の場合でも、本当はそこまで食糧が必要でない人が安い値段で食糧を受け取った。それはラッキーだった。

そして、その人たちのラッキー分が、本当に食糧を必要としている人たちの不幸を深くする。

最初から、値段で調整していれば、どうしても食糧が必要な人は高くても買うし、必要性の低い人は高い値段なら買わない。こうして、その食糧を切実に必要としている人が、その食糧を手に入れる確率が高くなる。

もちろん、貧乏人はどうしたらいいんだという意見はあるだろう。どんなに切実に食糧を必要としていても、おカネがないと買えない。

しかし、食糧を渡す段階で、この点を考慮するのではなくて、ちゃんと必要最低限のものが買えるようにあらかじめおカネを渡すようにしたほうがいい。

人の弱みにつけ込んで、人が欲しがるものを高値で売りつけて儲けようとする人は悪い人かもしれないが、そのおかげで必要なものが手に入る人もいる。悪い人が、神の見えざる手に導かれて、いいことをすることがある。それがマーケット・メカニズムである。

しいていえば、ブラック・マーケットが発生してしまうように、価格統制をしたり配給制度を維持したりした人が悪い。コンサートについていえば、主催者側の値付けの失敗である。

公式の転売サイトを作ってはどうか

チケットが売り切れになっているような人気のコンサートにどうしても行きたければ、オークション・サイトなどでチケットを探すことになる。しかし、最近は、人物確認などがあって、この方法も使えなくなってきた。

きちんとした対価を払ってコンサートに行きたい人がチケットを買えないのは望ましいことではない。その一方で、チケット転売業者やダフ屋を違法のままにしていていいことは何もない。

主催者側が需要をきちんと予測して適正価格でチケットを販売するのが基本だが、それでも予測が外れた場合のために、公式の転売サイトを整備し、転売時に手数料を取って運営することが考えられる。(実際にやっているアーティストもいる。)

大量のチケットを転売しようとする出品者を特定して、排除することもできるだろう。そもそも、公式の転売サイトがあれば、非公式の転売活動は下火になる。

それに、転売サイトの運営によって、そのアーティストのファンがいくらまでならチケット代に払ってもいいと考えているのかについての情報が得られるので、次のコンサートでは、主催者が最適なチケット価格を正確に予測できるようになるかもしれない。

ソールド・アウトがお好き?

コンサートのチケットがソールド・アウトになるのは、チケットの値段が安すぎるからには違いない。

しかし、実は、主催者側がチケットの売れ行きを見誤ったからではない可能性が高いと思う。

人は失敗から学習するものなので、そんなにいつもいつも売れ行きを小さく見積もって、チケットが売り切れになって、ビジネス・チャンスを失い続けるということは考えにくい。

きっと、ソールド・アウトにすることにも合理性があるのだろう。これは、行列ができるラーメン屋が全然値上げをせず、麺がなくなったら閉店というスタイルで運営されていたりすることとも関係があるかもしれない。

ソールド・アウトや行列は、人気があることの証拠なので、そのこと自体に一定の宣伝効果があるのかもしれない。いつも品切れで入手困難な高級ブランド・バッグが消費者に飢餓感を与えて、それがさらにブランド・イメージを高めるのと同じような効果があるのかもしれない。

あるいは、ステージに立つアーティストからすれば、空席の目立つ会場で演奏するより、超満員の会場で演奏したほうが気分がよく、コンサートに来たファンの評価も高くなるのかもしれない。

また、主催者がすごくリスクを嫌っていて、ソールド・アウトになってビジネス・チャンスを失うほうが、客入りが疎らでコンサートの盛り上がりに欠けるようなことになるよりは遙かにマシだと考えているのかもしれない。客入りの疎らなコンサートは、そのアーティストの人気を一気に落としかねない...のかもしれない。

しかし、「いいものを安く」売るのはこれからの時代に合わない。デフレ脱却、労働生産性の向上のためには「できるかぎり高い値段で売る」ことである。労働生産性の分子が付加価値である以上、同じコストで作ったものを高く売れば生産性は上がる。

若い頃からずっとファンだったアーティストのチケットが何年経っても手に入らず、前から行ってみたいなと思っているお店の前にいつも長蛇の列があるのを見て諦めている筆者は、世の中、もう少し適正価格に近づけてくれればいいのにと考える。

慶應義塾大学ビジネス・スクール教授

1968年生まれ、慶應義塾大学経済学部卒業、東京大学より修士(経済学)、ニューヨーク州立大学経営学博士。カナダ・ヨーク大学ジョゼフ・E・アトキンソン教養・専門研究学部管理研究学科アシスタント・プロフェッサーを経て、2011年より現職。行政刷新会議事業仕分け仕分け人、行政改革推進会議歳出改革ワーキンググループ構成員(行政事業レビュー外部評価者)等を歴任。2012年から2014年まで会計検査院特別研究官。2012年から2018年までヨーロッパ会計学会アジア地区代表。日本経済会計学会常任理事。

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