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鎮守の森は「本物」か

田中淳夫森林ジャーナリスト
鎮守の森は、照葉樹林が多い。神聖な、人の手が入っていない植生だと言われるが……。

近年、鎮守の森に対する関心が高まっている。

鎮守の森とは、神社の本殿や拝所、参道などを囲むように存在する樹林地である。本来は敷地内だけでなく、神社周囲の自然地帯を含む。また社寺林という言葉もあるように、寺院や沖縄の獄(ウタキ)のような場所も含み、一般に聖域とされる土地の植生全般を指す場合もある。

鎮守の森が注目されるのは、ここに失われつつある地域の古い植生が残されていると信じられたからだ。

現在の日本列島は、ほとんど人為の影響を受けている。里山も、農地はもちろん森林や草原、小川や池などは人が作ったものだ。とくに森林は、人が常に草刈りや伐採を行い維持してきた雑木林か、木材収穫のため植えられた人工林である。

その中で鎮守の森だけは、神域ゆえに人の手が入らなかったと考えられた。そのため周辺とは違った草木が生え景観も独特である。

人為が加わらずに成立した自然は、その土地の気候や土壌などの環境に合致した「潜在自然植生」だから「本物の植生」であり、災害に強く、維持管理の手間もかからない……という主張も出てきた。

しかし鎮守の森は、果たして本当に昔から変わらぬ植生で、管理を必要としない自然なのか。

潜在自然植生という言葉は、自然環境に対して人間の干渉が完全にない状態が維持されたときに、気候、水分、地質、地形などの環境条件によって成立する植生だと定義漬けられている。1956年にドイツの植物学者ラインホルト・チュクセンによって提唱された。いわば人類の存在しない世界に成り立つであろう植生である。

たとえば日本の場合、西日本から東日本太平洋岸にかけて多くが暖帯域に入り、しかも降水量が多い。そうした地域の環境では、照葉樹林が潜在自然植生だとされている。そして鎮守の森には、照葉樹林が非常に多い。

だから「鎮守の森=照葉樹林=潜在自然植生」という図式が生まれた。そして照葉樹林を「本物の自然」という主張が成されたのである。

ところが、その前提に疑問符がついてきた。昨今の研究により、鎮守の森が本当に古来からの植生なのか怪しくなってきたからだ。

1935年に、農林省山林局が「社寺林の現況」という調査報告を出している。調査対象となったのは、全国の177万3730余の神社や寺だ。境内面積は3万9000ヘクタール余で、樹林地は、そのうち約7割を占める。

その報告によると、関東地方はスギやヒノキ、マツが代表的で、そこにケヤキが混じる。

信越地方は、カラマツが多いほかヒノキ、ケヤキの混じった森。

中国、近畿、東海地方は、スギ、ヒノキ、マツが優占しつつ、カシやシイが混じる。

四国、九州地方は、カシ、シイ、クスノキ。次いでマツも混じる。

全体として、関東以西の鎮守の森に多い樹種は、マツ、スギ、ヒノキなど針葉樹だった。落葉広葉樹も比較的あるが、照葉樹はあまり確認できなかったのである。どうやら四国と九州を除いて、照葉樹林主体の鎮守の森はあまりなかったようである。またマツのような先駆種(裸地に最初に生える種)が目立つ点から、手つかずの森とはとても言えないだろう。

さらに文献を調べると、鎮守の森にも頻繁に人の手が入っていることがわかった。落ち葉や枝葉を肥料や燃料として採取された記録があるのだ。なかにはマツタケを採取する権利を売買していたところもあった。

また木材を得るためにスギ、ヒノキやケヤキを植栽することも少なくなかった。サクラやウメなど花を愛でるため植えられた木々も少なくない。またクスノキも、関東では自然に生える木ではなく、おそらく移植したものと思われる。

そして照葉樹林が目立つのは明治以降、とくに戦後であることがわかってきた。

では、なぜ鎮守の森に照葉樹が増えたのだろうか。

戦後は伐採が減り、落ち葉の採取もなくなった。理由は、化学肥料や石油・ガスなど化石燃料が普及したからである。用材も外材やコンクリートなど非木材が多く使われるようになった。そのため鎮守の森に人の手が加わることが減った。すると、それまで人の手で排除されたり育つ環境になかった照葉樹が伸び始めたのである。つまり、鎮守の森の照葉樹林は、案外歴史が浅いことになる。

だから、今の照葉樹林がどうなるのかわからない。今後も十分に育つのか。後継樹も照葉樹が生えて、長く保たれるのか。まだまだ未知である。

最近の緑化事業で、潜在自然植生が早く成立することを期待して、最初から照葉樹を植えるケースが見られる。だが、これは植生の遷移を無視している。最終的に行き着く(かもしれない)植物を、最初に植えても現在の環境条件に適応しない。

東日本大震災の津波に洗われた土地に、震災瓦礫で防波堤をつくり、そこに照葉樹林を作ろうという動きもある。だが照葉樹が、その土地の条件に合うのかどうか怪しいし、津波に強いかどうかも極めて疑わしい。もっと、冷静で緻密な行動を望みたい。

昨今、一つの植物や動物、微生物などに注目して「この種は本物」「世界を救う」だと持ち上げる傾向がある。なかには癌の特効薬になるとか、ダイエットに効果的とか……。だが少し考えれば、それらの主張は馬鹿げていると気づくはずだ。

世界はそんなに単純にできていない。多くの種が相互に干渉し合って成り立つのが生態系であり、それには地域の広がりや時間の経過も絡んでいる。たった一つの種や方法に頼り、手っとり早く問題を解決しようとする発想こそ危険だと断じておこう。

森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、自然科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然と人間の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『絶望の林業』『虚構の森』(新泉社)『獣害列島』(イースト新書)など。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』。最新刊は明治の社会を揺り動かした林業界の巨人土倉庄三郎を描いた『山林王』(新泉社)。

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