急転直下の英・EU離脱合意 英下院通過の可能性膨らむ
[ロンドン発]英国の欧州連合(EU)離脱交渉は11日夜、急展開し、英・北アイルランドとアイルランド間に「目に見える国境」を復活させない安全策(バックストップ)をEU側が悪用して将来の通商交渉を脱線させようとした場合、英国は仲裁を申し立てられるという内容の法的文書で双方が合意しました。
12日、英下院で2回目の採決が行われます。英国が永遠にEUの関税同盟に繋ぎ止められないよう保証する「法的文書」が作成されたので、強硬離脱(ハードブレグジット)派や北アイルランドの地域政党・民主統一党(DUP)も賛成票を投じざるを得ないと筆者は考えます。
両者の溝が埋まらず、再び大差で否決される恐れが膨らんでいた交渉は11日午後から急に動き始めました。テリーザ・メイ英首相が欧州議会のある仏ストラスブールに英空軍機で飛び、EUのジャン=クロード・ユンケル欧州委員長と会談し、法的文書で合意しました。
メイ首相とユンケル委員長の共同記者会見や公表された法的文書によると、双方の合意内容は次の通りです。
(1)離脱協定書を解釈する共同法的文書で、EU側が意図的に英・EU間の新しい貿易協定の交渉を失敗に終わらせるため英国をバックストップに繋ぎ止める恐れがないことを保証する。もし、EU側がそうした場合、英国は仲裁を申し立て、バックストップから離脱する可能性を残す。
(2)英・EUの共同声明は2020年12月までにバックストップを発動させずに済むように新しいテクノロジーを開発することにコミットする。
(3)ユンケル委員長は最初、反対したが、EU側が悪意をもって新しい通商交渉を進めようとしない場合は英国がバックストップから離脱する手続きを発動することを英国は単独で宣言する。
最後まで交渉のトゲとして残っていた北アイルランド・アイルランド国境問題(全長5キロ)。現在、車のナンバーを読み取る「目に見えない国境」は残っていますが、道路標識のマイル表示がキロメートルに変わるだけで自由に行き来できます。
この安全策について英・EU双方は次のように合意していました。
(1)2020年末までとされていた移行期間は延長できる。延長するかどうかは同年7月に判断する。
(2)移行期間が過ぎても英・EUの間で国境を復活させない解決策が見つけられない場合、解決策が見つかるまで英国全体がEUの関税同盟に残留する。
(3)北アイルランドについては単一市場へのアクセスの大半を認める。
英国がなぜバックストップ問題に最後の最後までこだわったのでしょう。
英国が3月29日にEUを離脱したあと、米国やインド、アジア太平洋地域、中国と自由貿易協定(FTA)の交渉を一生懸命進めたとして、EU側が英国との新しい通商交渉を止めたと一方的に宣言すればEUの関税同盟に繋ぎ止められ、他地域との交渉はご破算になってしまうからです。
これでは英国はEUに生殺与奪の権を握られてしまうことになります。
2017年12月の英・EU基本合意はアイルランド国境に「目に見える国境」は復活させないと明記する一方で、英国と北アイルランドの一体性についても保証しています。だからEU側にも英国の要請に応じる義務があったと言えるでしょう。
土壇場で法的文書にGOサインを出したのはユンケル委員長の背後に控えるアンゲラ・メルケル独首相であるのは言うまでもありません。慎重なメルケル首相は最後の最後まで手の内を見せません。
しかし、メルケル首相が英国と合意の上、円滑な離脱を実現し、英国と建設的な関係を将来も維持したいと望んでいたのは昨年10月のEU首脳会議からはっきりとしていました。
メルケル首相、ユンケル委員長、首席交渉官ミシェル・バルニエ氏のラインは英国側から見ると完璧と言える布陣です。このチームなかりせば今回の合意はとても実現できなかったでしょう。今年5月の欧州議会選以降、このラインの影響力は著しく低下します。
メルケル首相としてもできるだけ早く交渉をまとめたいというのが本音でした。
EUの「一般データ保護規則(GDPR)」や、デジタル時代の「通信の秘密」を保障する「eプライバシー規則(ePR)」の取材で、英国のダニエル・ダルトン欧州議会議員や欧州の政策立案に日本の産業界を代表して働きかけているJBCEのラルス・ブリュックナー・ブレグジット作業部会共同代表に欧州議会での投票動向をお伺いしたことがあります。
その結果、メルケル首相率いるキリスト教民主同盟(CDU)とメイ首相率いる保守党はともに親ビジネス政党で欧州議会で似通った投票行動をとっていることが分かりました。
メルケル首相とメイ首相は最初から利害をともにしていたと言えるでしょう。
ユンケル委員長は「解釈の上に解釈を重ねることや再保証の上に再保証を重ねることはこれで終わりだ。三度目はない」と釘を刺しました。
メイ首相も強硬離脱派に対し、「今こそ団結すべき時よ」と下院で今回の合意に賛成票を投じるよう呼びかけました。
メイ首相は離脱後にEUと「モノ」の自由貿易圏を築く考えです。単一市場の完結性を守りながらEUの経済圏を拡大することはメルケル首相の利益にもかなっています。
交渉の争点をおさらいしておきましょう。
【英国側の主張】
英下院の多数は以下の点で一致しています。
・英国を永遠にEUの関税同盟に繋ぎ止める恐れのあるバックストップがあくまで「過渡的な措置」という法的保証をEUから取り付ける
・人の自由移動を終結させる。移民の受け入れはEUという地域ではなく、技能労働者向けの5年間有効のビザ(査証)の発給には最低3万ポンド(約433万円)の年収があることを条件にする
・EUの単一市場(関税同盟を含む)から離脱して成長力のある米国やインド、アジア太平洋地域、中国とFTAを独自に結べるようにする
・英国本土と北アイルランドの一体性を損なわない
・できるだけ速やかにEUから離脱する
【EU側の主張】
これに対し、EU側は次の通りです。
・EU単一市場の統合を守る
・アイルランド国境が単一市場の抜け穴にならないよう、将来の通商交渉が決裂した場合に備えてバックストップを設ける
・離脱ドミノを誘発しないよう、英国に「良いとこ取り」を認めず、できるだけ苦しめる
(おわり)