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五輪競技「スケボー」のチャンスと課題 (立本和樹インタビュー)

後藤陽一株式会社Pioneerwork 代表取締役
キッズスケーター photo by ta-low

2020年東京五輪から正式競技になったスケートボード。その競技の最大の特徴は「若さ」だろう。日本スケートボード協会の2016年の年間ランキング上位選手の年齢を見ると、1位 池田大亮選手 16歳、2位 佐川海斗選手 18歳、3位 池慧野巨選手 15歳をはじめ、トップ5を全て10代の選手が占める。

あらゆるコンテンツが若いオーディエンスの獲得に苦心しているいま、五輪競技としてスケートボードが選ばれたのは、オリンピックでさえも若い視聴者の獲得に頭を悩ませていることの現れである。

日本のスケートボードシーンで選手として頂点に立っただけでなく、若い選手の育成や大会の運営を通じ、「プロスケートボーダー」への道の整備をしている立本氏に、2020年とその先にむけて、いまスケートボード界に起こっている変化やチャンス、そしてカルチャーとして五輪後も日本に定着させていくための課題について聞いてみた。

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立本和樹(たてもと・かずき)

プロスケートボーダーとして、2003年日本スケートボード協会の年間チャンピオンになるなど、コンテストシーンでは常にトップに君臨するライダー。選手としてだけでなく、東京・千住にあるムラサキパーク東京はじめ全国で若手スケートボーダーの育成、自身が立ち上げたスケートボードブランドTUFLEGの企画・販売、映像の制作など多岐に渡る活動を通じて日本のスケートボードシーンを支えている。

若返りを加速する五輪種目入り

後藤:スケボーだけじゃなく、ストリートスポーツのシーンをここ何年か見て、こうやっていろんな方にお話を聞いたりするんですけども、一番おもしろいところは、とにかく「プレーヤーが圧倒的に若い」ところだと思っています。

立本:ここ10年くらいで平均年齢は一気に下がってきたと思います。でもキッズが台頭してきているのはまだ関東圏内くらいで、それも東京じゃなくて神奈川を中心に爆発的にキッズスケーターが増えたんです。

もともと神奈川や茅ヶ崎周辺にはサーフィンのカルチャーがあるので、サーフカルチャーの中で大人になった人たちが、子どもにもサーフィンとか、スノーボードとか、スケートボードといった「横乗り」スポーツをやらせたいなと思って、まずは一番始めやすいスケートボードを与えたんですよね。

若い頃にサーフィンとかスノーボードをやってた人っていうのは、だいたいスケートボードにもトライしたことがあるので、子どもが自分の出来なかった技ができるようになって、スキルがどんどん上がっていくのを見て楽しんでいるようなところもありますね。

そういう流れに火をつけて、小学生を中心にした「キッズスケーター」っていうジャンルを作っていったのがFLAKEっていうブランドです。スケートボードをやる子どもがたくさん増えたのはとても良いことなのですが、FLAKEはキッズ向けの「ファッションブランド」なので、小学生の間だけのサポートになってしまいます。

業界としては、上手くてモチベーションもあるキッズがプロになるまでの道をつくっていかなくてはいけないので、まだまだそこは僕たち業界全体の課題ですね。

後藤:2020年、東京五輪の正式競技になったのは、スポーツとしての仕組みが整っていくきっかけになると思いますが。

立本:スケートボードの競技の歴史は長いですが、オリンピックの競技になるかも、っていう話を聞くようになったのは2004年くらいです。僕が日本ランキング1位の選手として出場した2004年の韓国のイベントで、IOCの関係者が視察に来ていました。

ただ、1分とか決められた時間の中でそれぞれの選手が技を出し続けるというスケートボードの競技のやり方が、公平に点数をつけるのが難しいと判断されて、なかなか話は進みませんでした。高さ、スピード、トリック、技を出す順番など、個人のスタイルによってほんとうにそれぞれの演技が全く違いますから。同じ横乗りスポーツですが、スノーボードやサーフィンと違って、まだ国際的に統一されたジャッジのライセンスもありません。

若い層がオリンピックから離れていっているというIOCの課題があって、スケートボードのメッカ、ロサンゼルスにオリンピックを誘致したいっていうアメリカの意向も加わり、やっと正式競技に決定しましたね。

後藤:決定してからはどんな変化がありましたか?

立本:決定して1ヶ月も経たずに、変化がありました。全くスケートボードをやったことの無い親御さんがお店にやってきて、質問して、外のパークで練習しているところを見ていくんです。で、スケボーはここのショップだと安く揃えても22,000~23,000円からで、高いのだと50,000円くらいになるので、「スケボーは子どものおもちゃ」くらいに思っていた方からすると高いようですが、そのまま買っていかれる方もいます。

あとは突然「スケートボードを教えてください」って電話がかかってくることも増えました。(笑)

他のスポーツと違って、スケートボードでは10代前半の子どもがトップクラスで活躍して、大会で優勝して賞金をもらったり、スポンサーがついたりします。現状は親御さんがマネージャーのようにメーカーの人と話をしたりするケースも多くて、親としてもお金だけじゃなくて、送迎をしたり、自分の時間も費やしてやってきてるので、クレーマーみたいになっちゃうんですよね。「お金をください」、「物をください」というのを親御さんが言ってしまうと、サポートするほうとしては、親ではなくて選手をサポートしているんです、保護者としてこちらから言った言葉を本人にうまく伝えてください、って言いたくなりますよね。これはまだプロスポーツとして成熟していないから起こる一つの弊害かな、と思っています。

日本人はブームに乗るのが好きです。僕はスケートボードが全然人気のなかった頃からやってるし、過去にスケボーバブルで稼げた時代も知ってます。他のスポーツでも言われていますが、2020年まで盛り上がったあと、どうやって業界として盛り上がりを維持して、選手・メーカーなど「中の人」が稼げるようにするのかが業界としての課題だと思っています。僕の役割はキッズからプロスケーターを育成すること。スキルだけじゃなくて、プロスポーツとして稼げる道を作ってあげることだと思っています。

イベントも育成も「スケボーが売れてナンボ」

後藤:立本さん自身ももともとは日本トップクラスのスケーターだったと思うのですが、自分が上手くなるため、勝つためにトレーニングすることと、下の人たちに教えたり、コミュニティやカルチャーを広げることは全く違う活動だと思います。

キッズの育成とか、イベントを開くとか、スケートボードのカルチャーを広げるほうにも目を向けるようになったのはいつごろからなんですか?

立本:きっかけは、白井空良っていうキッズを教え始めたことですね。キッズと言っても教え始めた当時は4歳くらいだったんですが。(笑)

当時、茨城県の大洗に年2~3回、プロスケーターとしてイベントに行っていて、そこにスクールのコーナーもあったんです。ただ、当時は「スクールで教えるのは絶対やらない」って断っていたんですね。子どもは好きだったけど、「教えられて上手くなるなんて邪道だ」、くらいに思っていましたから。(笑)

そしたら、空良が僕によってきて、僕は「あっちに行きな」とか言って振り払っていたんですけど、教えられる人がいなくて、今日だけはどうしてもスクールやってくれってお願いされたので、しょうがないってなってしぶしぶ教え始めたんです。僕は子どもがいないし、子どもは好きだけどきちんと接したこともなかったので、どうやって教えたらいいかも分からなかったんですけど、やっていくと、どんどん覚えていくんです。

僕なんかがスケートボードを始めたときは、ビデオをスローにしながら必死で見て覚えたんですけど、彼に手取り足取り、「こう踏んでやったらいいよ」とか教えていると、本当に、スケートボードってこんなに簡単だったかな、って思ったくらい、どんどんどんどん覚えていって。それが楽しくて、気付いたらスクールの時間も終わってましたね。

それで、こいつセンスあるなって気付いて。(笑)その時からずっと空良と一緒にいるようになって、レッスンにも自分の活動を広げるようになりましたね。教える楽しさを彼が僕に教えてくれた。

まず彼を育てる環境を作ってあげなきゃと思って、僕がよく行っていた海老名のスケートパークにスクールをつくりました。ムラサキスポーツとか、企業にも協力してもらって、スケーターが交流する場になって、気が付いたら僕はがっつりスクールをやっていました。(笑)

そうしてるうちに、生徒達がどんどん育っていって、そうすると今度はこの子達が気軽に出られる大会をつくってあげたいな、と思って、15歳以下の日本選手権を立ち上げたんです。年間5戦のサーキットを組んで、僕についてくれていたスポンサーに協賛をお願いしました。

で、スケートボードの大会って、上位入賞者には複数のスポンサーのグッズがごそっと袋詰めで渡されることが多いんですよ。でも15歳っていうと、まだ洋服とかを親に買ってもらっているような年齢なので、「まとめて渡したらものの価値とかスポンサーの有り難さがわかりにくいだろうな」と思って、5戦ひとつひとつに冠でスポンサー協賛についてもらいました。表彰台に立てたら、シューズ、デッキ、ウェアとか、その冠スポンサーのグッズが賞品でもらえるっていう形です。

僕も自分で「TUFLEG」っていうスケートボードのブランドを自分で立ち上げましたが、結局、業界が良くなる、盛り上がる、安定する、っていうのは「物が売れる」っていうことなんですよね。イベントとかスクールをやって、スケートボードの認知・評判を良くするとか、スケーターの知名度が上がるとか、プロの仕組みを確立させる、という活動の全ては、やっぱりスケート関連ブランドの商品が売れるっていう結果がついてこないと意味が無いです。

スポンサー協賛とか、放映権とか、そういったお金が入ってくるのももちろん重要ですけど、特にスケートボードボードの世界では、「スケボーが売れてナンボ」です。なので、キッズに「物をもらえる」っていうことの意味を教えるのも、育成の重要なパートですよね。

後藤:なるほど。2020年以降も安定して業界が盛り上がっているためにはどういうことが必要なのでしょうか?

立本:僕が考えていることのひとつは、ヒップホップダンス、BMX、ダブルダッチ、ボイスパーカッション、スケートボードといった、いわゆる「アンダーグラウンド」のカルチャー、ストリート系と呼ばれるスポーツを横で繋げることですね。こういったことをやってる人たちって、駅前とか、公園とか、体育館とか、ビルの横とか、活動場所が被っていることも多いんですけど、“僕らは僕ら”みたいに意外と閉じてしまっていて、話すことも実は少ないんですね。逆に場所取りで揉めたりして。

カルチャーの根っこは同じなんだから、ひとつになってやったらもっとカッコよくなれるんじゃないの?って考えて立ち上がったイベントが、僕がスケートボードのパートで運営に参加している「ストリートゲームス」です。ここ、ムラサキパークが会場になってます。

ポイントは、ヒップホップダンス、BMX、ダブルダッチ、スケートボード4種目で即席の混成チームを作ってチームでバトルして勝敗を決めるところで、ジャンルをまたいだコミュニケーションが生まれるところです。

アンダーグラウンドカルチャーの「白」と「黒」

後藤:他のジャンルの人と話すことが意外と少ない、というのはカルチャーの特性なのでしょうか。

「アンダーグラウンド」のカルチャーって、人と違うことがカッコいいのであって、他ジャンルの人とのコミュニケーションをとったり、メディアに大きく出ることがクールじゃないという人もいるような気がします。

立本:アンダーグラウンドのカルチャーの中にも「白」と「黒」の2種類の人がいると思っています。例えばスケートボード界には、Tony Hawkと、Danny Wayっていう2人のスーパースターがいて、2人ともすごいスキルがあって、両方大金持ちですが、明らかに活動の色には違いがあるんです。

Tony Hawkは自分のブランドでデッキを作っていて、大きなコンテストがあったら出場してメディアで大きく取り上げられるだけじゃなくて、運営側にもいて役員をやったり、「白」、要は光が当たるところでの活動を生業にしている人です。例えると、芸能人に近いかもしれません。

一方で、Danny WayはDC ShoesやNixonのようにいまもストリートの世界で影響力のあるブランドの立ち上げ期からアンバサダーをやっている人で、Tony Hawkと同じくらい稼いでるんですが、一般の人への知名度はTony Hawkと比べると低いんです。どれだけスケーターとして有名になっても、いまだに警察と追いかけっこしている、ストリートのカルチャーを体現している人です。普通はやったらいけないようなことをやるのも、カッコいいっていう考え方。彼の行き着いた先が、中国の万里の長城をスケートボードで飛ぶっていうイベントだったんですよね。

後藤:なんとなく、わかります。

立本:「白」の方は、大きい大会やメディアにたくさん出て、世界中に名を轟かせて、金持ちになってやる、とか、キッズ育成とか、「正しいこと」を言ってる人たちです。僕は空良に会ってスクールを始める前は完全に「黒」の方でした。(笑)

自分たちが楽しくスケートボードができればいいや、スポンサーのサポートがないなら自分たちでブランド作って稼ごうよ、っていうのが「黒」の人たちで、そうやって生まれたブランドもあるんです。「白」から生まれたブランドは最初から出資者がいたりするんですが、「黒」は自分たちのお金で回して、それがカッコいいと認められた時にはじめて「白」側から投資しますよって話が来るんですね。

で、そうなったら全員辞めて、今度は自分たちでそれをディスるブランドを立ち上げる。そういうのが、ここ20年で3回くらいありました。絶対に「白」に入ろうとしない。自分たちが作ったものでも、会社が売れちゃったら俺らのブランドじゃないから、そんなのもうダサくて乗れないよって。そういうのが「黒」の人たちの考え方ですね。

後藤:なるほど……。「黒」のほうには特に、シリコンバレーのスタートアップの精神に似たものがある気がします。

立本:アメリカは、その「白」と「黒」に同じくらいの数のスケーターがいて、かつ、スケートボードはそういうものだっていうのが世の中に認知されています。日本は、僕の世代は「黒」、今のキッズスケーターやオリンピックの流れは「白」の世界で、まだ数でもバランスがとれていないし、両方が盛り上がって業界全体が良くなっていくような流れも生まれていません。

もちろん、どっちも重要で、両方あるのが他のスポーツにはない、俺たちのスポーツの魅力なので、それをうまく間に立って正しい方向に育てていくのが、自分たちの仕事じゃないのかなって、思ってます。

株式会社Pioneerwork 代表取締役

電通を経て、フリーライドスキー/スノーボードの国際競技連盟Freeride World Tour(FWT)日本支部マネージングディレクター、2019年11月に株式会社Pioneerwork創業。日本が誇るアウトドアスポーツカルチャーとそのフィールドの価値を爆上げすることをミッションにしています。ヤフーニュース個人では山岳スポーツ・アクションスポーツ・エクストリームスポーツをカバーします。

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