プロスノーボーダー西田洋介と、BONX宮坂CEOが考える「遊びのイノベーションの起こし方」
Netflixが毎月新しいオリジナルコンテンツをリリースしているように、スポーツも一つのエンターテイメントとして、新しい遊び方や新しい目標など、「新しい何か」を提供し続けることが必要だ。つまり、遊び方にもイノベーションが必要なのだ。
今回は、「遊びのイノベーション」というテーマにぴったりの2人の対談。
西田洋介氏は、30年間プロスノーボーダーとして活動しながら、新しい組織、新しい競技、新しいイベント、新しい道具など、スノーボードをキーワードに「新しい」を立ち上げ続けているパイオニア。
西田氏にインタビューするのは、仲間と話しながらスノーボードや自転車で遊ぶという、新しい楽しみ方を提案している音声コミュニケーションスタートアップ「BONX」CEOの宮坂貴大氏。今月には、新商品の小型版、BONX miniのクラウドファンディングもスタートさせている。
距離無制限のグループ通話が実現!超小型・次世代トランシーバー『BONX mini』(GREEN FUNDING)
2人の「遊びのイノベーション」の歴史を振り返りながら、それを生むためのヒントを探した。
1988年、学生スノーボード協会の立ち上げ
宮坂:西田さんは、いつごろからスノーボードを始めたんですか?
西田:高校生のときに、モテたくてスキーを始めて、高校3年のときにスノーボードを始めました。1987年ですね。当時は、高校生でもグループでバスツアーに行ってた時代です。
それで夏にサーフィンを始めて、通ってたサーフショップがたまたま、スノーボードを扱うようになったんですよ。スノーボードは最初、ディストリビューターはほとんどサーフィンをやっていた湘南の人たちばかりだった。
宮坂:なぜスノーボードにのめり込むようになったんでしょうか?
西田:小・中・高と男子校で野球部に入ってたんですけど、野球部というのは当時、今じゃ訴えられちゃうような、究極の上下関係があったんですよ。(笑)
そういう経験をした後に、高校を卒業するタイミングでスノーボードを初めてやった時は、感覚的には究極の自由を得たという気がしましたね。
スキーもそうですけど、普段、あんなに自由な行為をすることって無いですよね。
社会にはルールがあって、道には信号がある。スケボーでも街では禁止されているところもあるわけだから。もちろんスキー場にも山にもルールはあるけど、30年スノーボードをやってて、今でもやっぱりスノーボードは究極の自由だな、と思いますね。
宮坂:そこから競技スノーボード中心の生活になるわけですね。
西田:学生時代は競技としてスノーボードに向き合ってましたね。大会で勝ちたい、プロになりたいというようなモチベーションで。
その頃はまだ競技をやっている学生を束ねる組織がありませんでした。大学生のスノーボードサークルはいくつかあったんだけど、それを束ねる組織がなかった。それで、俺が専修大学スノーボードサークル1年のときに、1988年に先輩たちと一緒に全日本学生スノーボード協会(SSBA)を立ち上げました。
当時からあった日本スノーボード協会(JSBA)の一組織として、全日本にも行ける学生大会も作りました。
恵比寿に学生のビジネスを支援する今で言うシェアオフィスのようなものがあって、そこに事務所を置いて、大学が終わったら毎日そこに行ってましたね。
俺が4年生になる頃には加盟校が150校ぐらいにまでなって、俺も競技本部長みたいな責任ある仕事を任せてもらったりしましたね。
「スノーボードクロス」をオリンピック種目に
宮坂:西田さんは谷川岳という新しい場所を開拓して、バンクドスラロームという新しいコンセプトのイベントを持ってきたりしています。
大学を卒業してからそこに至るまでのプロスノーボーダーとしての活動のお話も聞きたいですね。
西田:俺が大学を卒業する頃に、すごいスノーボードバブルというのが来たんですよ。プロになれる実力があれば契約金でその当時で1,000万ぐらいもらえました。そういう人が何十人かいた時代です。
それからは26歳くらいまでもうとにかく、一年中、スノーボードしかしていない。現地の情報はなかったけど、マウントフッド、ニュージーランド、ロシア、アラスカ、南半球とかも、考えられる所、全て行きましたね。
学生の時にハーフパイプとかの競技をずっとやって、その後いろんなところに旅をして、それでも同じように滑るのに飽きてきちゃうわけです。
そうしたら、ボーダークロスという新しい種目が出てきたらしいと聞いて、「次はボーダークロスだ」と言って、日本最初のボーダークロスの大会を群馬県の天神でやりました。
それから5年くらい、天神を最終戦にしたボーダークロスのマスターズというシリーズを全国でやって、俺が1年目、2年目のシリーズチャンピオンになりました。
俺自身も、そうやってボーダークロスのプロとして世の中に認知されていって、ボーダークロスという競技は2006年に「スノーボードクロス」としてオリンピック種目になったんですよね。
自分が飽きるから、一番に新しいことを提案する
宮坂:西田さんは一貫して何か新しい遊び方が出たら、すぐやってみるというのを実践されている気がします。
西田:最先端が好きだから。スノーボードというのはアルペンスノーボードを履いたころから、ハーフパイプで回って、ジブといって板をこする遊び方まで、ずっと変わってきているので、俺は常に「次はどうなんだ?」と考えてる。
どれも何年かは楽しめるけれども、ずっと同じことをやり続けると飽きてしまいますよ。
宮坂:自分が飽きているからこそ、次の提案を考えるわけですね。
西田:そう。でもそれは俺だけじゃなくて、世の中の人は誰でもそうでしょう。同じスノーボードとか同じスキーしか提案しなかったら飽きられてしまいますよ。
俺はスノーボードのバブルの時から、業界の売上が落ちていくるところまで全部見ているから、いち早く次が見えるところにいる。だから、業界が続いていくためどんどん「次」を提案していく責任があると思っています。
2011年からみなかみでやっている天神バンクドスラロームも、アメリカのマウントベーカーという山で30年以上やっている歴史のある大会に自分で出たときに、これは日本でもやらないと、と思って日本に持ってきました。2019年には日本で9つバンクドのイベントをやっています。
宮坂:イベントだけじゃなくて、スノーボードのブランドも複数立ち上げられています。
西田:板を自分で作るようになったのは、アメリカに住んでいたとき。たまたま家の近くにスノーボード工場を見つけて、「板を作らせてくれ」と言ったのがきっかけですね。300本作って、日本でTWELVEというブランドで売ったんです。
それから、スノーボードの遊び方もフィールドも変わってきて、昔はハーフパイプとかフリースタイルだったけれども、今はバンクドスラロームとか、自然の中を滑るフリーライドみたいな方向になってきた。
今の時代に合った道具も作らなきゃいけない、というところで、T.J BRANDという新しいブランドを立ち上げたのが2008年です。
最近は、ハンドシェイプのスノーボードを提案しています。「こういう遊び方がしたい」というのを全部スノーボードの板に反映させようと思うと、OEMで工場に発注すると限界があるんです。これまでアメリカ、カナダ、オーストリア、台湾、中国、日本で、試せる工場は全部試して板を作ってきましたが、自分で作るのが一番遊びの幅を広げられる。
BONXはテクノロジーを使った新しい遊び方の提案
宮坂:僕は2014年に、スノーボードをしながら仲間とコミュニケーションが出来るBONXのアイデアを思いついて。思いついてから1週間後くらいに、西田さんに、「こういうのを作りたいと思うんですけれども、どうですかね」って聞いたんです。
その時にすぐ、「おっ、それ、いいんじゃない?」と言ってくれて、それからずっと応援していただいてます。
西田:BONXのアイデアを聞いた時も「何か新しいことは無いかな」ってずっと考えていたから「それ、面白いじゃん」と直感的に思ったね。コミュニケーションを取るツールなんだけど、その本質は喋りながら滑るっていう新しい遊び方の提案だから。
それに、俺は基本的に新しいことをやりたいっていう人がいたら、ノーとは言わない。自分の出来る限り後押ししてあげたいタイプ。やるって決めたなら、応援する。
宮坂くんとの出会いは2000年くらいで、学生ボランティアとして、プロが子どもにスノーボードとかサーフィンを教える社会貢献イベントを手伝ってくれた。そういう出会いだから、個人的にサポートしたいと思った部分も大きいかな。
宮坂:本当にありがたいです。最初に、製品を使ってもらったときに、「全然使えない」と言われたときは泣きそうでしたけれども。
西田:最初は、電源が入らなくて、夜中2時ぐらいに電話したね。
宮坂:そのあとようやく西田さんのイベントでも使ってもらえたときは、感動しました。
西田:今では電波が入る所だったらストレスはないし、もう必須アイテムだね。仲間と感情をリアルタイムで共有できるのは間違いなく新しい。BONXも、ボーダークロスだとかバンクドスラロームとかと同じで、「スノーボードの新しい遊び方の提案」ですよね。
宮坂:そうですね。僕も起業する時にBONXの他にもテクノロジーを使った新しい遊び方をいくつか考えたんです。
そういうアイデアをいろんな人に話していると「面白いね、やろうよ」と言ってもらえる。意外とテクノロジーを使った遊び方の新しい提案というのは、世の中に無いんだなと思いましたね。
西田:そうだよね。もっといろんな人がいろんな角度から新しい発想とかアイデアをウィンタースポーツの業界に入れて欲しいよね。
絶対やめられない遊び
宮坂:西田さんは、フリーライドの国際競技連盟、FREERIDE WORLD TOUR(FWT)の日本でのアドバイザーという役割も引き受けられてます。
西田:FWTは、フリーライドをコンテストにしている競技連盟。俺もいろんなコンテストをやってきたけど、究極の競技の形なんじゃないですかね。
フリーライドっていうのは、手の入ってない自然のフィールドで遊ぶことで、スノーボードがいろんな競技とか、いろんな遊び方を経て最終的に戻ってくるルーツみたいなもの。
フリーライドの一部を凝縮して、抜き出したものがハーフパイプ等のコンテストとして発展しているので、フリーライドがスノーボードとかスキーの本質なんですよね。
10年、20年とスノーボードを続けたら絶対にバックカントリーとか、フリーライドに行き着くと言っても良いと思う。俺も、そこに行き着いていなかったら、スノーボードやめてたと思うよ。
もちろん、スノーボードには、子どもとか、奥さんと食事とか、余暇を楽しむみたいな周辺の要素もたくさんある。
そこはスキー場の別のベクトルでとても大事だけども、遊びとしてスキーとスノーボードを、長く続けてもらいたいたいなら、バックカントリーに行く楽しみ方も提案しないと飽きちゃうと思うよ。
同じコースをずっと滑って、同じジャンプをずっと飛んでいるだけじゃ絶対飽きる。
バックカントリーでは同じ日は二度となくて、地形だったり、雪だったりのコンディションが毎日違う中で究極の日を探すんですよね。
だから、俺は谷川岳という1つの山のフィールドだけでも、30年楽しんでいられているし、旅をしながらいろんな所を滑れば無限に楽しみ方が出来るよね。
宮坂:西田さんはフリーライドとかバックカントリーもパイオニアとして開拓してきたわけですけど、FWTが日本でアカデミーを立ち上げたりして、そのハードルを下げようとしていることはどう思っているんですか?
西田:結局、今言ったように、最終的にはフリーライドとか、バックカントリーというエリアでスノーボードとかスキーが楽しいというふうにならないと、いつか飽きられちゃうんですよ。ゲレンデの中では限界がある。
逆にそれを知ってもらえたらもう絶対やめられないというふうになる。(笑)
だからこれからは、バックカントリーのフィールドにみんなをもっと連れていきたい。
だけどそれにはある程度滑りの経験も必要だし、ゲレンデとは違うリスクから、自分とか仲間の身を守るために新たに学ばないといけないこともある。
ガイドツアーに行くのも良いんだけど、それよりはまず、スキー場の中の平らなバーンではないところでも板を操作出来るようにならないと、ということ。ある程度滑る技術がないと、いくら有能なガイドがいても楽しくないからね。
宮坂:確かにそうですね。
西田:FWTアカデミーは、バックカントリーでのフリーライドが面白いと思えるようになるレベルまでみんなを持っていってあげるアカデミーです。
安全にバックカントリーを楽しめる人が増えれば、スキー場もバックカントリーエリアへのアクセスを承認しやすいですよね。
宮坂:スキー場にとってはやっぱり安全管理が大きなボトルネックなってきますよね。
西田:そう思う。スキー場に対して、「バックカントリーエリアに関してもうまく連携していきましょう」って言うためにも、滑り手側も学んで、伝えていることを示さないといけないと思いますね。
遊びのイノベーションを生むのに必要なもの
宮坂:西田さんみたいに、学生時代からずっと「新しい遊び方の提案」をし続けているような人というのは、スノーボード業界ではいないと思います。
そういう、「遊びのイノベーション」を起こす人がもっと出てくると良いですよね。
西田:出てきてもらいたいですね。
そのために足りないのは、スキーとかスノーボードが好きな人たちの横の繋がりだと思ってます。
以前は、スノーボードショップがコミュニティーのハブになっていたけど、今はそういう場所がなくなってる。昔の仲間の中には、もうスノーボードを辞めてしまってる人も多いけど、そういうコミュニティーが無くなってしまっていることが、彼らが戻ってこない一つの原因だと思うんですよね。
スノーボードとかスキーも、一人でもできてしまうけど、やっぱり仲間がいたほうがいいに決まってる。
もう俺が学生協会を作った時のように、上に立つ組織が無理やりまとめる時代ではなくて、個人が好きなことという共通言語で繋がっていく時代だから。今の時代に合ったスノーボードのコミュニティーの作り方はあるはずで。
そういうのが出来てきたら、新しいことをやろうぜ、っていう動きがまた生まれると思うんですよね。
写真提供:西田洋介、BONX