Yahoo!ニュース

高野病院 院長終了・新院長就任の記者会見の模様

中山祐次郎外科医師・医学博士・作家
記者会見の様子 撮られる側から撮影

本日3月30日、福島第一原発から22kmに位置する高野病院(福島県双葉郡)で記者会見を行いました。

明日3月31日で、2月・3月の院長を勤めた私、中山祐次郎(36)は院長を退任し、4月1日から新しく阿部好正医師(64)が院長として就任します。4月からはもう一人常勤医が就任する予定になっており、高野病院は常勤医2名の体制で再スタートをすることになりました。

記者会見の様子、やった側から

記者会見をした側が報告するのも不思議ですが、「被取材者が自ら発信をする」時代になったということで書きたいと思います。

記者会見は前もって高野病院ホームページにお知らせを掲載しており、予定通り本日30日の15時から行われました。私は朝から外来診療と入院患者さんの診療でバタバタしており、15時の直前まで処方せんを書いたり患者さんの診察を行っていました。2時間ほど前に新院長といつも来てくださっている非常勤の外科医が病院に到着されていましたが、私は時間がなくご挨拶だけしておりました。

記者会見の20分前くらいからちらほらと新聞社、テレビ局などの取材陣が来ていました。新聞社は地元紙の2紙のほか東京新聞や全国紙など、テレビ局は地元局とNHKなど。後ろからみるとこんな具合で、合計20人ほどがいらしていました。

記者会見直前、高野病院エントランスにて
記者会見直前、高野病院エントランスにて

会見の内容

事務の方がテーブルを用意してくださっており、15時になったのでそちらへ座ります。馬奈木弁護士(病院の代理人)が司会をつとめ、高野己保理事長、20年以上に渡り支援を続けておられる杏林大学外科を代表し本多五奉医師、「支援する会」事務局長の尾崎章彦医師、新院長、私の順に座りました。

初めに職員さんから私と支援する会事務局長に花束が贈られ、それぞれ一言ずつ挨拶を述べました。私は「スタッフに支えられてなんとか2ヶ月を勤めた。ぶっちゃけすごく大変でした」と申し上げました。ここは多分報道されないでしょうが。

次に新院長より着任の挨拶として、昨年から故・高野英男院長とコンタクトを取り勤務を検討していたこと、年が明けてから1月の前半に「まだ誰もいないのでしたら」と病院に連絡を下さり、私の後の院長を引き受けて下さったことをお話しいただきました。

そして高野理事長より病院の新体制についてお話しがあり、会見は質疑に入りました。ここまでで25分くらいでした。

記者会見中、撮影されているのを撮影
記者会見中、撮影されているのを撮影

たくさん出た質問、穏やかなお返事

質疑に入り、各社からランダムに質問をいただきました。実に20個位の質問をいただきましたが、質問内容として一番多かったのは、新院長についてです。高野病院になぜ来ようと思ったのか、これまではどんな仕事をしていたのか、に続き、名前はどんな字を書くのか、生年月日や出身地についても事細かに質問がありました。それに対して、新院長は丁寧に一つずつ答えておられました。とても穏やかな方という印象です。

新院長の阿部医師は、杏林大学を卒業後、新潟や長野で小児科医として20数年勤務されていました。その後「保健所ってどんな仕事をしているんだろう」という思いから、計3年間保健所長(正確には保健福祉事務所長)として働いたそうです。

小児科の専門医ですので、これからさらに帰還が進むだろう高野病院周辺での小児の診療も検討したいとのことでした。今後、高野病院は小児科を標榜する(=小児科の看板を出し、小児の患者さんを受け付ける)ことになるかもしれません。もちろんこれからは成人・高齢者も診療なさるとのことで、新しい内科の常勤医と共に診療に当たるとのことです。

2ヶ月の院長、何が一番大変だったか?

一つだけ、記者会見で私が問われた質問、「何が一番大変だったか」にお答えします。それは、「常勤医師が自分一人であること」です。

もちろん非常勤の先生方が助けてくれる日が多かったのですが、それでも「院内ひとり医師」の日も少なくありませんでした。「院内ひとり医師」は私に大きな重圧を与えました。私は風邪もひけませんし、牡蠣にあたって腹を下すこともできません。インフルエンザにもかかれませんし、交通事故で怪我をしてもいけません。

どれも、医師でなくても代替の人がいないポジションの人であれば同じなのですが、それでもやはりこの事実はプレッシャーになりました。

そして、「常勤医師が自分一人であること」は何も私の身体上の健康だけでなく、医師の業務についても非常にネガティヴな要素でした。医師をやっていると、判断に迷うことは良くあります。毎日、少なくとも1日に3,4回はあります。そういう時、同じ専門職に相談し議論をする事ができないという状況は、とても苦しいものがありました。患者さんの治療とは、料理本のように「こうだったらこう」と決められない、グレーな要素がとても大きいのです。そういう意味で私は、医療は天気予報にとても似ていると思います。晴れるかもしれないが雨かもしれない、降水確率は30%、とどっちつかずの予報をしたくなることがとても多いのです(気象予報士の皆様、不正確な例えであったらすみません)。

この辺りは今後、遠隔医療が解決してくれるかもしれません。私も何回か、知人医師にメールや電話で相談しました。

とはいえ私の院長はあと24時間ほどで終了します。病院スタッフの皆様に全方向から支え続けられ、そして数々の励ましメール・物品・手紙をくれた友人、そして見ず知らずの方々。そして血圧計を寄付してくださったり支援してくださった皆様には感謝しかありません。ありがとうございました。

高野病院は今後も診療を続けます。私も引き続き関わり続けたいと思います。

外科医師・医学博士・作家

外科医・作家。湘南医療大学保健医療学部臨床教授。公衆衛生学修士、医学博士。1980年生。聖光学院中・高卒後2浪を経て、鹿児島大学医学部卒。都立駒込病院で研修後、大腸外科医師として計10年勤務。2017年2月から福島県高野病院院長、総合南東北病院外科医長、2021年10月から神奈川県茅ヶ崎市の湘南東部総合病院で手術の日々を送る。資格は消化器外科専門医、内視鏡外科技術認定医(大腸)、外科専門医など。モットーは「いつ死んでも後悔するように生きる」。著書は「医者の本音」、小説「泣くな研修医」シリーズなど。Yahoo!ニュース個人では計4回のMost Valuable Article賞を受賞。

中山祐次郎の最近の記事