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「ジャーナリズムへの死刑宣告だ」香港デモとウィキリークス 容疑者引き渡しは何を意味しているのか

木村正人在英国際ジャーナリスト
2487日ぶりに逮捕され、護送されるアサンジ被告(写真:ロイター/アフロ)

英内相「引き渡し命令書に署名した」

[ロンドン発]英国の次期首相を目指す候補者の1人、サジード・ジャビド内相は13日、英BBC放送のラジオ番組で内部告発サイト「ウィキリークス」創設者ジュリアン・アサンジ被告(47)を米国に引き渡すことに同意したことを明らかにしました。

ジャビド内相は「彼は塀の中にいる。米国から身柄引き渡しの要請があり、14日に法廷が開かれる。しかし12日に引き渡し命令書に署名した。その証明書が法廷に提出される」と言い切りました。

国際NGO「国境なき記者団」(本部・パリ)は「当局はアサンジ被告の取り扱いについてニュースソースを含むジャーナリズムの役割を一番に考えてほしい」と重大な懸念を示しています。

アサンジ被告は米司法省により米国からスパイ活動法違反など18の罪で起訴されています。米外交公電や駐イラク・アフガニスタン米軍の機密文書を持ち出した元米陸軍上等兵チェルシー(旧ブラッドリー)・マニング元服役囚(31)にパスワードの破り方を教えた疑いです。

英国では死刑は廃止されており、最後に執行されたのは1964年です。一方、米国には死刑制度が残っています。死刑になる恐れがあれば、米国には移送されません。アサンジ被告の場合、すべて有罪になれば最高175年の刑が言い渡される恐れがあります。

アサンジ被告はジャーナリストか

争点は2つあります。英国では終身刑を宣告されても平均14~15年で出所してきます。175年の刑期を「事実上の死刑」とみなして裁判所が身柄の引き渡しを拒否するのか。アサンジ被告を公共の利益のために秘密を暴露したジャーナリストと見るか、国家の敵と見るかです。

問題はアサンジ被告を罪に問うことが米憲法修正1条の「表現の自由(知る権利)」に違反する恐れがあることです。米国でスパイ活動法が制定されて102年になりますが、国家安全保障に関する報道が罪に問われたことはありません。

バラク・オバマ米大統領がマニング元服役囚に恩赦を与え、釈放したのはこのためです。しかしドナルド・トランプ米大統領は米大統領選で民主党候補ヒラリー・クリントン元国務長官の電子メールを暴露したウィキリークスを「愛している」と諸手を挙げて称賛していたにもかかわらず、マニング元服役囚を再拘束。

アサンジ被告が米国で裁かれることになれば、根拠となったスパイ活動法について連邦最高裁が憲法修正1条に反しているとして「違憲」判断を下すという見方がこれまでの通説でした。だからオバマ前大統領はマニング元服役囚に恩赦を与えて事件の幕引きを図ったのです。

これに対し、トランプ政権は、外交公電や軍の機密文書で名前が公開された人の生命を危険に陥れたアサンジ被告はジャーナリストの名に値しないと判断し、捜査を再開しました。しかし、ジャーナリストの基準を定めた法律は存在しません。

米大統領選でロシアの情報機関が米民主党から電子メールを盗み出したことをアサンジ被告が知っていたら、外国スパイ機関の有害工作に加担していたエージェントという疑いが浮上してきます。

マイク・ポンペオ米国務長官は次のように非難しています。

「ウィキリークスは米国と敵対する情報機関のように行動し、語っている。ロシアに協力する非国家主体の敵性情報機関、ウィキリークスがいったい何者なのか問う時がやってきた」

「秘密国家」英国

「殺しのライセンス」を持つ英秘密情報部の工作員ジェイムズ・ボンド(007)の祖国・英国は冷戦時代にソ連による核の恐怖と最前線で戦った「秘密国家」です。

米英の情報機関による市民監視を暴露したスノーデン事件ではスクープした英紙ガーディアンは機密ファイルの返還に応じなかったため、当時のキャメロン英政権によってラップトップのハードディスクドライブを破壊させられました。

この問題をスクープしたグレン・グリーンウォルド記者の恋人はスノーデン・ファイルを運ぶ途中に反テロ法が適用され、英ヒースロー空港で9時間近く拘束されました。英国は国家安全保障の名の下、ジャーナリズムがテロリズム扱いされる国なのです。

今回のジャビド内相の決定は改めて、その事実を明らかにしています。スノーデン事件の報道を指揮したガーディアン紙のアラン・ラスブリッジャー前編集長は「アサンジ氏をスパイとして投獄しようという米国の努力は自由なメディアに対する死の脅しだ」と同紙に寄稿しました。

「これはジャーナリズムへの攻撃だ」

「国境なき記者団」が毎年発表している報道の自由度ランキングによると――。

ノルウェー1位

スウェーデン3位

ドイツ13位

カナダ18位

フランス32位

英国33位

韓国41位

米国48位

日本67位

香港73位

ロシア149位

中国177位

日本には記者クラブがあり、当局との持ちつ持たれつの関係が優先されがちです。敵対的報道が欧米より少ないという指摘もある程度は的を射ています。しかし世界中で「テロとの戦い」を展開する核保有国より「報道の自由」が保障されていないというのは的外れだと思います。

ウィキリークスのクリスティン・フラフンソン編集長やアサンジ被告を弁護するクリストフ・マルシャン弁護士らはロンドンの外国特派員協会(FPA)で記者会見して次のように述べました。

ウィキリークスのフラフンソン編集長(右)とマルシャン弁護士(筆者撮影)
ウィキリークスのフラフンソン編集長(右)とマルシャン弁護士(筆者撮影)

「これはジャーナリズムへの攻撃以外の何物でもない。アサンジ氏だけにとどまらない、世界に突き付けられた問題だ」「英国の裁判官はアサンジ氏を『ナルシスト』と呼んだり、弁論の後に事前に用意してきた文書を読み上げたりするなど、最初に結論ありきがうかがえる」

駐留米軍や外交公電がウィキリークスで公開されていなかったら、私たちはイラクやアフガニスタンの戦争の真実を、すべてではありませんが、うかがい知ることはできませんでした。ドローン(無人航空機)を使った攻撃も地道な調査報道がなければ決して表に出てきません。

ジャーナリストのイアン・オバートン氏は非営利報道組織「調査報道局(Bureau of Investigative Journalism)」の初代主筆としてウィキリークスの駐イラク米軍の機密文書を扱いました。

ジャーナリストのオバートン氏(筆者撮影)
ジャーナリストのオバートン氏(筆者撮影)

新著『天国の代償 いかに自爆テロ犯は現代を形作ったか(The Price of Paradise: how the suicide bomber shaped the modern age)』の出版に合わせた記者会見で筆者の質問にこう答えました。

「私は米軍機密文書の報道でアサンジ氏と一緒に働いたことがある。この文書はイラクやアフガンでの戦争で何が起きているのかを理解するのに大変役立った。スウェーデンに移送されるならアサンジ氏のレイプ容疑で、米国ならウィキリークスそのものが問題にされるということだ」

「もしアサンジ氏がターゲットにされるのなら、どうしてウィキリークスと協力したメディアの編集長が狙われないで済まされるのか。最終的にはジャーナリズムそのものが問われることになる。ジャーナリズムや報道の自由への大きな打撃となる。アサンジ被告が米国に移送されたら非常に危険な出来事になる」

中国本土に容疑者を引き渡せるようになる「逃亡犯条例」改正案に反対する香港の大規模デモが激しさを増しています。中国の影響力が強まるにつれ、香港の「報道の自由」も危機にさらされています。

大国の米国と中国の大きな違いは「報道の自由」があるかないかのはずでしたが、トランプ政権になってからその差がだんだん分からなくなってきています。

【ウィキリークスの経過】

2010年5月、米国の機密文書を持ち出した米陸軍のマニング上等兵を逮捕

2010年6~10月、ウィキリークスが、マニング被告の持ち出した米外交公電25万件以上と駐アフガニスタン・イラク米軍など機密文書約47万件を暴露

2010年11月、スウェーデン検察当局がスウェーデン女性2人に性的暴行を加えたとしてアサンジ被告に対する欧州逮捕状を発付。アサンジ被告は容疑を否認

2011年2月、スウェーデンへの引き渡しは可能と英裁判所が判断

2012年6月、アサンジ被告が米国に引き渡されれば死刑になると在英エクアドル大使館に逃げ込む。後に政治亡命が認められる

2013年8月 マニング被告に禁錮35年の判決

2016年2月、国連人権委員会・恣意的拘禁に関する作業部会が「世界人権宣言など国際規約に違反しており、英国、スウェーデン両政府による不当拘束に当たる」と非難

2017年5月、同年1月にオバマ大統領が与えた恩赦でマニング服役囚は釈放。スウェーデン検察当局がアサンジ被告に対するレイプ事件の捜査を取り下げ

2018年3月、アサンジ被告が他国の内政に干渉したとしてエクアドル当局がインターネットアクセスを遮断

2018年11月、米司法当局がアサンジ被告を極秘裏に起訴していたことが発覚

2019年3月、ウィキリークス捜査への協力を拒んだとしてマニング元服役囚を再拘束。ウィキリークス捜査への証言を拒否したとして再び投獄される

2019年4月2日、アサンジ被告は繰り返し政治亡命の条件を破っているとエクアドルのレニン・モレノ大統領が警告

2019年4月11日、ロンドン警視庁が米国の要請に応じてアサンジ被告を2487日ぶりに逮捕

2019年5月1日、ロンドンの刑事法院がアサンジ被告に保釈中に出頭しなかった罪で禁錮50週を言い渡す

5月20日、スウェーデン当局がレイプ事件の捜査再開

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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