「日米開戦」から80年、朝ドラヒロインが連呼した13回の「稔さん」
1941年(昭和16年)12月8日、日本軍がハワイの真珠湾を攻撃しました。
今日は、「日米開戦」から80年になります。
12月8日は、8月15日と並んで、それぞれが自分なりに「戦争と平和」について考える日かもしれません。
小説や映画やドラマなども、その助けになったりします。
現在放送中の朝ドラ『カムカムエヴリバディ』でも、戦争が描かれました。
しかも、強く印象に残るシーンがあったのです。
『カムカムエヴリバディ』が描いた「戦争」
このドラマの第4週(11月22日~27日)。
ヒロインの安子(上白石萌音)にとって、実に辛い日々が続きます。
安子と結婚したばかりの稔(松村北斗)も、その弟である勇(村上虹郎)も出征してしまいました。
戦況は悪くなる一方です。
岡山も大きな空襲を受け、安子の母・小しず(西田尚美)と祖母・ひさ(鷲尾真知子)が防空壕の中で亡くなります。
また父の金太(甲本雅裕)は、2人の死をめぐって自分を責め、精神的に追い詰められていきました。
兄の算太(濱田岳)の生死も不明です。
そして、敗戦。
勇が無事、帰還しました。喜ぶ雉真(きじま)家の人たち。しかし、安子のもとに届いたのは、稔が戦死したという報せです。
泣き崩れる稔の母、美都里(YOU)。立ち尽くす父の千吉(段田安則)と勇。
目を見開いた安子は後ずさりするばかりでした。まるで何も見えず、何も聞こえないかのような表情です。
26日放送の第20回が凄かったのは、ここからでした。
「音」が消えた15秒
安子が呆然としながら家を出て、歩き出した瞬間、すべての「音」が消えたのです。
完全な無音の世界。
人は、あまりに強い精神的衝撃を受けた時、周囲の音など消えてしまうのかもしれません。
見る側も、安子と共に、この「無音」の中に投げ込まれました。
しかし、これはドラマであり、放送です。もしも放送中に15秒以上の無音状態が続けば、それは「放送事故」になってしまいます。
無音を背景に、亡霊のように歩いていた安子が、「稔さん」と声を発したのが、ぴったり15秒後でした。
「稔さん」「稔さん」「稔さん」……。
安子は、ただそれだけを口にしています。
しばらくして、安子は小走りに駆け出しました。この間も、「稔さん」という呼びかけが続きます。
「稔さん」「稔さん」「稔さん」……。
聞こえるのは、この「稔さん」という安子の声だけ。
外界の音が戻ったのは、安子が、神社の拝殿の前でひざまずいた時でした。真夏の神社の境内の音です。
泣き伏した安子が言います。
「いじわるせんで、帰ってきて! 稔さん」
この「いじわるせんで」のセリフ。
かつてこの神社で、いつか生まれてくる2人の子どもの名前をめぐって、稔が安子をからかった、幸せな場面と同じ言葉なのです。
そのことが、見る側の胸を一層、しめつけます。
しかしカメラは、決して安子のアップなど撮りません。じっと、ある距離をもって安子を見つめています。
悲しみを強調するのではなく、悲しみに寄り添うかのように。
安子が連呼した13回の「稔さん」
泣きながら、安子の「稔さん」は止まりません。
最終的に、この「稔さん」は、なんと13回におよびました。
しかも上白石萌音さんは、この13回の「稔さん」を、一つ一つ、微妙に異なるニュアンスで、表現で、呼びかけていたのです。
あらためて、とてつもない女優だと思いました。
戦争は、戦場だけで行われたわけではありません。
「銃後」と呼ばれた、市井の人たちの暮らしの中にも戦争があった。そして、多くの悲しみや嘆きをもたらしました。
安子が連呼した13回の「稔さん」は、当時の日本中の妻や母の心情を象徴するものだったのです。
安子を演じる上白石萌音さん、脚本の藤本有紀さん、そしてこの回を演出した安達もじりさん。
それぞれの力が結集した、朝ドラの歴史に残る名場面でした。