連日の罵倒取調べで自白を強いられ、20年を越える獄中生活。「人質司法サバイバー国会」報告(第3回)
1995年7月22日、青木惠子さんは自宅の火災で娘(当時11歳)を失った。車の給油口からガソリンが漏れ、点いたままだった風呂釜の種火に引火。たまたまお風呂に入っていた娘が逃げ遅れたのである。ところが大阪府警は「マンションを買うために放火して娘を殺し、生命保険を手に入れようとした」と見立てた。9月10日、青木さんは同居していたBさんとともに任意同行され、長時間取調べを受ける。
娘の死で打ちのめされていたうえ、刑事から「ガレージにBが降りて、火を点けるところを息子が見ているぞ」と言われたことで自暴自棄となった青木さん。言われるがまま5枚の自白書を書いてしまう。
弁護士に「やっていないのなら、調書に署名、指印してはいけない」と言われ、翌日からは黙秘に転じた。
虚偽自白は長時間の取調べによって作られた
「人質司法サバイバー国会」での青木さんのスピーチは次のように始まった。
「大阪・東住吉事件の青木惠子です。わたしの場合はわが子が亡くなって、わからないまま逮捕されて、真っ裸にされて、そしてなにもかも取り上げられる。こんなことがあるのだとビックリしました。そして厳しい取調べ。否認もしましたので、体調が悪い。椅子から滑り落ちても病院に連れて行ってくれなかった。自白すれば『パンを食べるか?』『病院へ行くか?』と扱いが変わる。認めなかったらひどい扱いを受けてしまいました」
「椅子から滑り落ちて」とはどういうことなのか?
一度は自白書を書かされたものの、その後、黙秘を貫いていた青木さんだが、ふたりの男性刑事から交互に罵倒される取調べが毎日夜遅くまで続き、体調が悪化してしまう。「病院へ連れて行ってください」と頼んでも、「娘はもっと熱い思いをして死んだんやぞ」と言われてしまい、極限の疲労により椅子から滑り落ちても仮病扱いされる。耐えかねた青木さんは1995年9月14日の夜になって二度目の自白書を綴ってしまったのである。
人が虚偽自白をしてしまうのはどのような状態のときなのだろうか。スピーチのなかで青木さんは、
「精神がおかしかったんです。便が2週間出ていないと伝えると、弁護士さんがビックリして『薬をもらいなさい』と言うくらい。そういう状態のなかで、警察の密室での取調べが行われると、あの人たちの言うことがすべて本当に聞こえ、なにがどうなっているのかわからないという状況でした」
と述懐する。
わが子を失い茫然自失の状態で身柄拘束され、体調不良なのか長時間にわたって強圧的な取調べが続くと、自分がなにをしゃべっているのかすら、わからない状態になってしまうというのである。
1999年5月18日、一審の大阪地裁は現住建造物等放火、殺人および保険金詐欺未遂の各犯罪事実を認定の上、青木さんを無期懲役に処す。大阪高裁への控訴、最高裁への上告も棄却となったため、青木さんは収監されてしまう。
燃焼実験により事故が火災の原因であると証明され、再審を経て無罪が確定したのは2016年8月10日のことだった。
戦後史に残る冤罪事件で21年の月日を奪われた青木惠子さんはスピーチを、
「ほかのひとに(同じような経験を)してほしくない、仲間に同じ経験をしてほしくないので活動しています」
と締めくくった。
二度の自白のあとは黙秘を続け、公判でも否認した青木さんだったが、裁判所は暴行、偽計、切り違え質問(共犯者が自白していると告げること)など違法取調べのオンパレードで作られた青木さんやBさんの自白調書を信用して誤判した。
それらの調書は長期間の身柄拘束、長時間の取調べといった人質司法で作られたのだが、その根本原因はいまだに是正されていない。
(参考文献:青木惠子「ママは殺人犯じゃない 冤罪・東住吉事件」インパクト出版会)
身柄拘束で金銭的に追い詰められる(匿名Aさん)
匿名で証言してくれたAさんは2016年3月、金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)の容疑で逮捕、起訴された。無罪を主張したものの、5回の保釈申請が却下され続け、保釈されるまでに約1年2ヵ月にわたり勾留され続けた。
「ただいまご紹介にあずかりましたAです。わたしの場合は粉飾決算と言うことで拘束されまして、1年2ヵ月勾留されておりました。わたしが強調したいことは3つございます。まず1番目。勾留されていると先が見えないので非常に不安なんですね。いつ出られるんだろうかというのがまったくわからないので、心理的圧迫感がものすごくある。家族といつ会えるんだろうか? 家族はどうなっているんだろう? 耐えがたい精神的苦痛があるということです」
基調トークでの村木さんや山岸さんと同様、身体拘束は筆舌に尽くしがたいほど苦痛なのだと言う。にもかかわらず、裁判所は「自動販売機」と揶揄されるほど、いとも簡単に身柄の拘束を認めてしまうのである。
Aさんの発言に戻ろう。
「2番目はですね、拘束されると収入の道が絶たれてしまうということになります。わたしの場合、粉飾決算ですので、(証拠や証人が)非常に多岐にわたりますので、複数人の弁護士にお願いしなくてはならない。弁護士費用が払えるのかな、身体の弱い妻と小学生の娘がおりましたので、このまま長いこと拘束されると、路頭に迷ってしまうのではないか、これは経済的にもきついなということで、先ほど申し上げました先が見えないということと、経済的な負担、このふたつで、言ってみれば兵糧攻めに遭っているようなもので、とっと警察・検察の言っているシナリオを認めて早く出てしまった方がいいんじゃないかという、そういう誘惑に駆られてしまう。冤罪の温床になるというのは非常に理解できるところであります」
「兵糧攻め」という言葉をAさんは使われたが、言い得て妙である。人質に取られ続けると、経済的なダメージが降りかかってくるというAさんの指摘を忘れてはならない。金銭的な苦しさから捜査当局の言い分を認めざるを得なくなり、Aさんのおっしゃるよう、「冤罪の温床」となってしまうのである。
拘禁されたまま刑事裁判を受けるという不公正
「3番目に強調したいことはですね、粉飾決算と言うことで非常に証拠の範囲が広うございまして、段ボール箱数十箱。検察の方もわたしの故意を立証するために、多くの証拠と証言を積み重ねてくるので、これに対してひとつづつ反論していかなくてはならない。そうすると、あそこの段ボールに、こういうのあったハズだ。1個ずつ弁護士の先生にお伝えして持ってきてもらわなくてはならない。いわゆる隔靴掻痒のようなことが起きますので、そこは防御としては不十分だなと感じる次第でございます」
経済事件の場合、押収資料は膨大なものとなる。そのうえ関係者も多数となるため、検察官調書もまた量が多い。勾留されたままの公判準備となると、狭い拘置所内に置くことのできる書類の数は限られているので、開示された証拠類を読んで理解しようとしても、いちいち持ってきてもらわなくてはならない。そのことをAさんは「隔靴掻痒」と表現している。
そのうえ、弁護人とうち合わせをしようにも、一畳程度の狭隘な接見室では弁護団全員が入れないことも少なくないうえ、必要な証拠、調書をすべて持ち込むのは不可能だ。実質的に被告人の弁護人依頼権が否定されているという現状について、Aさんは「防御としては不十分だ」と言っているのである。
Aさんはスピーチを以下のように締めくくった。
「わたしの場合求刑が懲役2年だったんですが、1年2ヵ月の勾留というと、もう実質の裁判が終わる前に刑罰の半分が終わってしまっているって、こんなバカみたいなことがあっていいのかと思っております」
無罪か有罪かを決める裁判が始まる前から実質的な刑罰が加えられている。おっしゃる通り「バカみたいなこと」以外のなにものでもない。
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