WHOも批判するワクチン接種の“裏技”は許されるか 医学や科学のルール超え、コロナ全面戦争に突入した
軍の支援を受け24時間態勢で接種
[ロンドン発]新型コロナウイルス・ワクチンの予防接種が世界中で進められる中、イスラエルでは人口の6分の1近い140万人が米ファイザーと独ビオンテックのワクチン接種を受け、人口100人当たり15.8人と世界の首位を独走中です。予備役を招集、軍の支援を受け24時間態勢で接種を続けているからです。
ファイザーワクチンは摂氏マイナス70度で保管しなければならないため、コールドチェーンの構築と解凍したあと一滴も無駄にしないよう接種者を集めることが重要です。イスラエルは2回接種した人にはデジタルの「グリーン(免疫)パスポート」を発行し、一定の社会的隔離政策から解放する方針です。
20センチ四方の箱に975回分のワクチンが入っています。イスラエルはそれを分割して配送した上、5回分の用量が入っている一つの小瓶から6回分を抽出して接種する“裏技”を考案、接種効率を上げています。これに対して欧米では接種者集めが上手くいかず、廃棄せざるを得ないケースが続出しています。
イギリスでは3億5千万回分以上のワクチンを発注。このうち緊急使用が承認されたファイザーワクチンは4千万回分、英オックスフォード大学と英製薬大手アストラゼネカのワクチンが1億回分です。しかし実際に接種を始めると思わぬジレンマが生じます。
2回接種より1回目の接種を優先
イギリスでは感染力が最大で7割も強い変異株が猛威をふるい始め、より多くのハイリスクグループが重症化しないよう免疫を急ぐ切迫した理由が出てきました。高い有効性を期待できる2回接種より1回目の接種を優先させれば2倍の人を免疫できるという究極の選択を迫られたのです。
トニー・ブレア元英首相は昨年12月22日、英紙インディペンデントへの寄稿でオックスフォードワクチンについて「2回接種のワクチンだが、最初の接種でも実質的な免疫を提供し、2〜3カ月後の2回目の接種で完全な効果が得られる」と2回接種にこだわるより1回目の接種を優先するよう提言しました。
英保健省のデービッド・ソールズベリー元予防接種部長も英紙ガーディアンにファイザーワクチンについて「2回接種で95%の有効性が獲得されるが、1回接種でも91%の有効性が得られることが米医学雑誌ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシンに掲載された論文からうかがえる」と指摘しました。
英医薬品・医療製品規制庁が同月30日にオックスフォードワクチンを承認したのに合わせ、英予防接種合同委員会は「ファイザーワクチンとオックスフォードワクチンのデータを研究した結果、2回接種を短時間で行うのではなく、リスクグループへの最初の接種をできるだけ多く行うべきだ」と勧告。
翌日、合同委員会は「ファイザーワクチンの初回接種からの短期有効性は約90%、オックスフォードワクチンの初回接種からの短期有効性は約70%。多くの人に1回目の予防接種を行うと、半分の人に2回接種を行うよりも多くの死亡と入院を防ぐことができることを示唆している」との声明を発表しました。
ジョンソン英政権は第3相試験で有効性が確認された3週間2回接種ではなく、12週間2回接種の“裏技”にゴーサインを出します。
WHOはイギリスの方針を批判
しかし、世界保健機関(WHO)はファイザーワクチンの2回目の接種を先延ばしにするというイギリスの決定に追従することは推奨しないと批判的です。3週間2回接種を前提にしたニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシンの掲載論文をイギリスは都合よく切り取って解釈しているというわけです。
医学や科学では第3相試験から得られたデータがすべてです。このため現場のかかりつけ医(GP)から「エビデンスが弱すぎる」と突き上げられています。12週間2回を想定した臨床試験が行われていないので医学や科学上のエビデンスは全くないからです。
オックスフォードワクチンの製造を請け負うインド血清研究所のアダル・プーナワラ最高経営責任者(CEO)は「2~3カ月間隔で2回接種すると有効性は最大95%まで上がることを示すデータが間もなく開示される」と話していることから、予防接種合同委員会はこの発表を当てにして見切り発車したのでしょうか。
英リーズ大学医学部のスティーブン・グリフィン准教授は次のように述べています。
「ワクチンだけが感染を抑制する唯一の手段ではない。2回目のワクチン接種を全面的に遅らせるという英予防接種合同委員会の勧告は論争と混乱を引き起こした。オックスフォードワクチンに有効と思われる方法をファイザーワクチンにも当てはめることに懸念を抱かざるを得ない」
「この方法を検討している国はイギリスだけだ。この規模で臨床試験を実施するために多大な労力と投資が必要であることを考えるとファイザーのプロトコルを変更するのは賢明ではないと感じる。2回目の接種が遅れても同じ有効性が獲得されると単純に想定すべきではない」
「公衆衛生を守る決定は不確実性に直面して行われる」
生物統計を専門にする英ケンブリッジ大学のシーラ・バード教授は「多くの場合、公衆衛生を守る決定は不確実性に直面して行われる。これらの決定を評価する証拠が得られる場合、ランダム化された試験を行う必要がある。公衆衛生と科学の利益のため適切に評価されるべきだ」と語りました。
ロンドン大学衛生熱帯医学大学院のスティーブン・エバンス教授は「これは単純な問題ではない。理想的な世界では治療に関する決定は実施された試験の正確なパラメーター内でのみ行われる。現実の世界では決してそうではない。問題は試された条件の外にどれだけ移動することが許されるかだ」と言います。
「用量のリソースとワクチンを接種する人が限られている場合、より多くの人に潜在的に効力が低いかもしれないワクチンを接種することは半分の人数に強力な免疫を持たせるよりも明らかに優れている。ワクチンの有効性が3週間から12週間の間に突然低下することを信じる理由はない」
ワクチンを詰める小瓶がない
イギリスは週200万人接種を目標にしていますが、ここに来て思いもしなかった障害が浮上しています。オックスフォードワクチンを入れる小瓶が不足しているのです。世界中で一斉にとんでもない規模のワクチン接種が始まったため、ワクチンそのものだけでなく、その入れ物が足りなくなっています。
まだ400万回分の瓶詰めしか終わっておらず、週200万人接種に早くも障害が発生しています。「日本は重症者も少なく、欧米の様子を見てから接種すれば十分」とおっしゃる方もいますが、待っていれば瓶詰めのワクチンが目の前に届くほど物事は単純ではないようです。何より日本の医療も崩壊し始めています。
ワクチン接種センターごとに接種者の順番リストを一人ひとり作成し、名前、年齢、性別、住所、基礎疾患、アレルギー歴など個人データを予めコンピューターに入力しておく必要があります。接種による副反応を最大限防ぐとともに、接種後にデータを蓄積していかなければならないからです。
接種のための医師や看護師、高齢者を手助けするボランティアの人手確保。ワクチン接種センターの導線をどうするのか。ファイザーワクチンのコールドチェーンやオックスフォードワクチンの瓶詰めなどロジスティクスは本当に大丈夫なのか。やらなければならないことは山積しています。
170万人を擁する英国民医療サービス(NHS)は一丸となってコロナに立ち向かっています。イギリスの医学、科学コミュニティーには日本と異なり強い発言力があります。政治も医学も科学もNHSも目的意識やゴール、時間軸を共有してコロナ戦争を戦っています。
あれだけ時間があったのに既得権や規制に雁字搦めになって全くスケールアップできなかったPCR検査の二の舞になることを筆者は心配します。
(おわり)