【京都市】猛暑の中でも、2022を上回る人出だった2023祇園祭前祭で鉾町を歩く 月鉾 函谷鉾 鶏鉾
4年ぶりに制限のない形で催行された祇園祭、2023年7月17日の山鉾巡行には15万人の人が押し寄せました。夕刻からは神幸祭が行われ、八坂神社を出立した三基の神輿が氏子地域を回ったのち、新京極商店街の四条側入り口向かいの御旅所に鎮座されました。
宵山で室町通り、新町通に集中する鉾町を歩いてみました。いくつかの山鉾を紹介します。四条通沿いにある目立つ月鉾の会所看板は有名です。2Fで行われる祇園囃子は通勤客や通りがかる人たちの心を和ませてくれます。月鉾は、鉾頭に新月(三日月)をかかげ月読尊を祀る鉾。すべての山鉾の中で最も大きく、そして最も重いといわれています。
破風蟇股には左甚五郎作といわれるうさぎの彫り物が飾られています。屋根裏には円山応挙作の「金地彩色草花図」、天井裏は岩城清右衛門作「源氏物語五十四帖扇面散図」。まさに「動く美術館」の象徴です。前懸、後懸は華麗なインド絨毯、胴懸はインドやトルコの絨毯を用いていて神秘的です。
函谷鉾は、巡行の順番の決まっている「くじ取らずの鉾」の一つです。応仁の乱以前に起源があるとされ、天明8年(1788)の大火で消失しましたが、天保10年(1839)函谷鉾町の先人達により現在の函谷鉾が復元されました。地上から鉾頭まで約24メートル、重量約12トンあり、巡行時には囃子方最大約70名、音頭取り2名(辻回し時は4名)が乗ります。
稚児人形は、左大臣一条忠香卿の令息実良君(明治天皇の后、昭憲皇太后の実兄)をモデルに製作されました。「嘉多丸(かたまる)」と命名されています。西陣織の伝統技術があますところなく織り込められた稚児衣装は天保再建時から、時折、西陣織工業組合より新調寄贈されています。
鶏鉾は、古代の中国で、天下泰平が続き、訴訟用の太鼓(諫鼓)が放置され、苔が生えてしまい、鶏が宿ったという伝承にあやかったといわれます。真木のなかほどの天王座には、航海の神といわれる住吉明神を祀っています。
鶏鉾の見送タペストリーは有名な毛綴で近年の調査によるとトロイの皇子へクトールが妻子に別れをつげる図であるといいます。この見送は、16世紀頃ベルギーで製作、江戸時代初期に輸入されたものと考えられ、国の重要文化財に指定されています。
7月24日の後祭では、橋弁慶山、南観音山、浄妙山、八幡山、鯉山、北観音山、黒主山、役行者山、鈴鹿山、鷹山、大船鉾の11基が巡行します。ぜひそちらにもお出かけください!
祇園祭山鉾連合会(外部リンク)京都市中京区山伏山町 554