10月31日離脱に突き進むジョンソン英首相が土壇場でEUとの合意を取り付けた秘策とは
[ブリュッセル発]土壇場で双方が歩み寄った英国と欧州連合(EU)の離脱合意。EUが絶対にいじらないと断言していた離脱協定書からバックストップ(安全策)が完全に取り除かれたのには驚きました。
(注)バックストップとは英国とEUの将来の通商交渉が決裂した場合、アイルランドとの国境に「目に見える国境」を復活させないために英国全体がEUの関税同盟に、北アイルランドは単一市場の大半に残るという安全策。
17日の首脳会議。ボリス・ジョンソン英首相はテリーザ・メイ前英首相の時とは打って変わってEU27カ国の首脳から温かく迎え入れられ、支持を取り付けました。アイルランドのレオ・バラッカー首相も、ドイツのアンゲラ・メルケル首相もなぜかにこやかな笑顔です。
一方のジョンソン首相は記者会見で「これは英国が民主的にEUから離脱するチャンスだ。英国は10月31日にEUを離脱する」「英議会で承認される自信はある」と表情を引き締めました。
メイ前首相の時は皆、どうしようもなく疲れた顔をしていたのに。英議会で合意が承認される保証はこれまでと同じように何一つありません。メイ前首相は英議会で3度も大差で否決されました。
しかしEUはメイ前首相でも最大野党・労働党のジェレミー・コービン党首でもなく、離脱後に自由貿易協定(FTA)を目指す強硬離脱派のジョンソン首相に賭けたのです。
交渉最大のトゲはアイルランドと北アイルランドの国境問題。当初「合意なき離脱」を強くにじませていたジョンソン首相はバラッカー首相と会談し、バックストップとしてではなく恒久的な解決策を提案します。これにはバラッカー首相も笑顔を浮かべました。
(1)EU規制を北アイルランドのすべての財(モノ)に適用。これで北アイルランドとアイルランドの農家は家畜や加工品を自由にやり取りできるようになる。
(2)北アイルランドは英国の関税地域に留まる。北アイルランドは英国が離脱後に結んだFTAの恩恵を受けられる。
その一方で北アイルランドはEU単一市場への入り口として残る。英国は北アイルランドに入る財が単一市場に入る可能性がない限り、英国関税を適用。単一市場に入る場合はEU関税を適用。
(3)移行期間が終了する2021年初めにこの枠組みが施行され、4年後、北アイルランド議会はこの枠組みにさらに4年間留まるかどうか単純多数決で決定する。
この枠組みに留まるか否か、北アイルランド議会に判断を委ねます。DUPだけでは過半数を取れないため、同議会の大多数はさらに条件の良い協定が英・EU間で決められない限り、この枠組みに留まることを選択するでしょう。
現在、北アイルランド議会は地域政党のプロテスタント系強硬派・民主統一党(DUP)とカトリック系強硬派・シン・フェイン党が仲違いして2017年1月から機能停止しています。
DUPとシン・フェイン党が仲違いしている間は、この枠組みは無条件に更新されます。DUPは英議会に10議席しか持っていないのに拒否権を発動し、北アイルランド議会の他会派を無視して大きな発言力を行使してきました。ジョンソン首相はメイ前首相と違ってDUPと距離を置きました。
DUPをえこひいきせず、国境問題の恒久的な解決策を打ち出したことがバラッカー首相の心をとらえた理由です。メルケル首相もジョンソン首相が持ってきたバックストップの代替策に納得したようです。
離脱交渉を振り返ると、北アイルランドだけをEUの単一市場と関税同盟に留めるバックストップを提案していたEUに対し、メイ前首相は英国全体をEUの関税同盟に残すことをEUに逆提案。DUPの10票を獲得する狙いでしたが、DUPだけでなく保守党の強硬離脱派にもソッポを向かれてしまいます。
ジョンソン首相の代替案はもとのEU案に近いため、作業は予想以上に早く進みました。EU離脱交渉に詳しい英ケンブリッジ大学のキャサリン・バーナード教授も、英サリー大学のサイモン・ウッシャーウッド教授も筆者に「時間がかかるので離脱期限は延長される」と断言していたので、急転直下の合意に筆者もビックリしました。
ブリュッセルのベテラン記者も予想外の展開だったようです。
EUとしても新体制がスタートする前にこの問題を片付けて、前に進みたいという気持ちが強かったのでしょう。ジャン=クロードユンケル欧州委員長もいつもの毒舌を控えて、「英語は誰にも分かるが、イングランドは誰にも分からない」と言って周囲を笑わせた程度です。
DUPがへそを曲げて19日の英議会で否決に回ったら、ジョンソン首相の合意が承認されるかどうかは微妙です。しかしDUPは英国中だけでなく欧州からも鼻つまみ者の烙印を押されることになるでしょう。
否決されたらされたでジョンソン首相には解散総選挙の大義名分ができます。コービン労働党党首も否決に回ったのに解散に応じなかったら何のための野党なのかと世論の厳しい非難を浴びるでしょう。
総選挙になればジョンソン首相に率いられた保守党が大勝を収める可能性は非常に高いと思います。だから政治に精通したメルケル首相はメイ前首相でもコービン党首でもなく、ジョンソン首相に賭けたと筆者は見ます。
(おわり)