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「なぜ成功しないのか」。プロ野球選手、そして芸能人のセカンドキャリアの現実とその先の希望

中西正男芸能記者
セカンドキャリアについて語る城友博さん(右)と松永博史さん

元ヤクルトスワローズの外野手で現在はアスリート学生の就職とその後を支援する企業「J-SHIP」を経営する城友博さん(52)。そして、昨年8月で32年所属したホリプロを退所し、城さんのもとで会社員として第二の人生を歩み出したのが松永博史さん(53)です。野球選手と俳優という華やかな世界にいたからこその経験と苦悩。自らのこれまでを踏まえた上で語るセカンドキャリアの現実とは。

「先細りしていくな…」

松永:1989年から俳優をやってきて、今後について考え始めたのが今から10年ほど前、40歳を過ぎた頃でした。

僕の主戦場はお昼のドラマや2時間ドラマだったんですけど、時代の流れでそういうドラマが次々になくなっていったんです。ありがたいことに事務所がいろいろとフォローをしてくれてはいたんですけど、それでも「今後先細りしていくな…」という思いがありまして。

ただ、子どももいますし、急に職を変えるのを思いとどまるところもあり、どうしたものかと思っていた時に城社長と出会ったんです。ウチの息子が野球をやっていることもあって、そこがご縁で知人を介して会うことになりまして。俳優の次の道を模索していたこともあり、次のステージとしてお世話になることになったんです。

お世話になっている先輩の片平なぎささんにも俳優を引退することを伝えました。そこで片平さんが「松永、エライよ。なかなかその決心がつかないのがこの仕事でもある中、よく決心できたね」と親身になって言ってくださいました。事務所の社長からも前向きなエールをいただきまして、背中を押された気がしました。どんな仕事をするにしても、しっかりと向き合い、しっかりと生きていく。それが何より大切だと感じています。

なぜ成功しないのか

:松永さんもまさにそうなんですけど、僕が考えてきた根底にあるのが“次のステージでの活躍”なんですよね。

僕のいたプロ野球の世界で言うと、毎年12球団で100人くらいが戦力外通告を受けて、その中で監督、コーチ、バッティングピッチャー、球団職員など引き続きプロ野球に関係する仕事に就ける人の割合が2割弱なんです。

何か光るものがあるからこそプロにまでなったのに、一歩プロ野球を出たら成功している話をあまり聞かない。その現状を知った時に純粋に「なんでだろう」と思ったんです。

端的に言って、なぜ成功しないのか。僕も野球選手として12年間過ごした中で痛感したことでもあるんですけど“次を考えない”という環境に理由があるのかなと。

ほとんどの選手が辞めたら別の仕事に就かないといけないのに、そこを考えていない。日々の生活の中で「次をどうしようか」と考える余裕がないのも事実ですし、次を考えるような気持ではやっていけない世界であるという面もあります。

球団からそういう指導があったわけでもないし、考えるとしたら自分で考えるしかないんですけど、ほとんどの選手はそこをしていない。でも、ほとんどの選手が戦力外通告を受けるわけです。ここに一つの矛盾があるのかなと。

野村克也監督の教え

:ただ、その中で僕がラッキーだったのが野村克也監督とご縁があったことだと思います。野村監督のもとで野球をする中で、本当に多くの学びを得ました。野村監督は常に「野球人である前に社会人であれ」とおっしゃってました。

ミーティングが長いと言われたりもしてましたけど、そのうちの7割くらいは人間教育なんです。僕は現役時代のほぼ全ての年数叩き込んでもらったので、そこで“野球選手の次”に向けての心構えを教わったと思っています。

中でも特に感銘を受けたのが「考え方が取り組み方になる」ということでした。

これってシンプルなんですけど、ものすごく深い話で。当たり前なんですけど、人間は脳で考えて行動するわけで、マイナスなことを考えていたら自然とそこに引っ張られる。逆に「頑張ろう」とか「稼ごう」とかプラスなことを考えると、自ずと前向きになるものです。

ただ、やっかいなのはマイナスの気持ちでも行動はできるんですよね。そして、良いのか悪いのか、一定の変化ももたらされる。

例えば、野球でもイヤだなと思いながら“やらされる練習”でも、やれば一応筋肉はつくんです。ただ「この練習にはこんな意味がある」と自分で考えて“やる練習”でついた筋肉は働き方がまるで違う。

走らされるダッシュ10本と、自ら走るダッシュ10本では足腰の鍛えられ方が本当に変わってくるんです。

これはビジネスの世界でも同じだと思っていて、今経営者として仕事をする中でも、例えば、朝起きた時に「眠いな」とか「しんどいな」と思うことももちろんあります。でも、その状態で仕事場には行かないようにしているんです。必ず脳を切り替えて、前向きな気持ちにしてから家を出るようにしています。

マイナスな気持ちに支配されての行動はマイナスにつながる可能性が高い。それだと無意味というか、むしろ動いてもマイナスを積み重ねることになってしまう。

本当にシンプルなことだからこそ、逆に、人に言われないと気付かない。そこを野村監督に丁寧に教えてもらったのは本当にありがたいことだったと思います。

やってきたものがあるからこそ

松永:僕はホリプロで32年お世話になって今の仕事に変わったんですけど、当たり前ながら、全く違う生活になりました。

人間関係の常識とか作法には厳しい世界だったので、そういう部分は叩き込んでもらったと思っているんですけど、それ以外の部分は手つかずでこの歳まできたと痛感しました。

パソコンでの事務処理とか、仕事先との折衝、各方面への営業は全部マネージャーさんがやってくれてましたし、自分は良い芝居をすることに注力する。そのスタンスできたものが、今は自分がパソコンや営業などを一から勉強している。覚えないといけないことだらけなんですけど、本当にね、言葉にできない充実感がみなぎる日々でもあるんです。

今は学生さんの就職の支援、その後のバックアップ、さらに僕のように芸能界から次のステージに踏み出そうとしている人のセカンドキャリア支援などをさせてもらっているんですけど、これまでと違う仕事ではありながら、これまでの経験も役に立っている。

いわゆる営業職などの経験はないものの、自分がやってきたものがあるからこそ、サポートさせてもらえることがある。その感覚があるのが大きいと感じています。

:松永さんは最初に会った時から「ぜひ、一緒にやりたい」と思ったんですよ。これだけ謙虚な人も珍しいし、人間性ですぐに採用でした(笑)。

今、社員は役員含めて16人で、これまでは学生アスリートの就職サポートを軸にやってきたんですけど、これからは松永さんがリーダーになって芸能分野のセカンドキャリアも支援できたらと考えています。

なんとか今は各方面の皆さんとお仕事ができているんですけど、最初に“0から1”を作るところが大変でした。

大学の野球部とか、アスリートの学生さんに弊社に登録していただくというのも、監督さんや大学の皆さんの信頼がないと成立しませんし、まだ何も実績がない段階で信頼を得るのは本当に苦労をした部分でした。

ただ、弊社の場合は企業に入社させることがゴールではなく、そこからいかにイキイキとした生活を送るか。そこを重視している。そこまでのサポートを考えて動いている。それをいかに分かっていただくか。この事業を始めてから16年、それを今日まで続けてきました。

“次”をより輝かせる

松永:プロ野球に比べて、芸能界は“入口”と“出口”がハッキリしないんですよね。特に出口が極めて曖昧でもある。プロ野球のように、明確な引退はないといえばないですし、さらにそこから次に行くという概念も自ずと曖昧になってしまいます。

それと同時に「引退することは負け」という考えがどこかにあるんですよね。「この世界で売れなかったらから次に行ったんだ」ということへのおそれというか。

その感覚も分かるんですけど、それよりも「生きていくこと自体の大切さ」が分かれば、どんな世界でも頑張ろうと思えるはずですし、32年、その世界でお世話になった自分がそこを体現できれば。そう思って今の仕事にあたっているんです。

続けることももちろん悪いことではない。でも、うまくいかないことを監督さんのせいにしたり、スタッフさんのせいにして「だから、仕事が来ないんだ」と悪口につなげて自分を顧みない。そういう状態になっているんだったら僕はもう辞めた方がいいと思いますし、違う形でより良い人生を探した方が前向きだと思って、今もそんな話をさせてもらっています。

:日本ハムの新庄剛志監督とは一緒にプレーしていて、個人的にも仲良くさせてもらってきました。あらゆるところで言われてもいますけど、彼はああ見えてものすごく戦略家なんですよね。全て逆算で考えているというか。

実は、弊社の経営理念にも「常に逆算をする」というのがあって、それは僕の現役時代からの思いから生まれたものでもあるんです。

これはね現役選手としては良くないことだったのかもしれませんけど、自分の人生を逆算した時に野球選手としての限界が見えたんですね。

メジャーリーグにも行けない。周りには飯田哲也選手とか真中満選手とか稲葉篤紀選手とか実力がある選手がいる。ただ、自分は足が速いうちはまだ需要はあるかもしれない。そういう状況から逆算すると、あと何年現役が続けられるかも見えてくるし、そうなると自ずと稼げる年俸も見えてきます。

先が見えた時に「クビだと言われたら、どうするのか」。そこを本気で考えるようになったんです。なので、現役時代に本当は礼賛されるものじゃないかもしれませんけど、これからのことを考えて27~28歳の頃から経営の勉強を始めていたんです。

自分が会社経営をするようになってさらに思いますけど、ビジネスでは感性が本当に大切です。本来、プロ野球選手も、芸能人の方も、ある種の特殊な仕事をしている人はそこが磨かれてはいるはずなんです。他の人より秀でているはずなんです。

なのに、次のステージに進もうとしたらうまくいかないことが多い。これは一つのシステムの問題なのかなと。

どの仕事でも大変ですし、どの仕事でもその仕事ならではのスキルが身についているはずなんです。そこを活かして“次”をより輝かせる。

そのお手伝いをするのが自分であり、松永さんであり、こういう来し方をしてきた人間のできることなのかなと思っているんです。

野球選手もですし、俳優さんや芸人さんもだと思うんですけど、自分自身が商品ですから。マネージャーさんなり、周りが売ってくれる存在ですから。となると、自分自身には“売るスキル”が身に付きにくい。

厳しい世界で人間性が磨かれていることは本当に大事なことなんですけど、そこにビジネススキルが伴わないとお金儲けはできない。

特に松永さんは人間性が最高なだけに、本当にみんなに優しい。それは本当に素晴らしいことなんですけど、それだけではお金儲けはできないので「松永さん、それも大事なんですけど…」と松永さんのためを思って、日々言わせてもらっている最中です(笑)。

松永:…はい、しっかりと足腰を鍛えてもらっています(笑)。

(撮影・中西正男)

■城友博(じょう・ともひろ)

1969年4月30日生まれ。千葉県出身。習志野高校野球部で3年次の1987年に夏の甲子園に出場しベスト8に。高校卒業後、ヤクルトスワローズにドラフト6位で入団する。98年のシーズンオフに自由契約となり阪神タイガースにテスト入団するものの、99年シーズンに再び自由契約となり現役を引退。現役時代から起業を志しており経営者に転身。大学野球を軸に学生アスリートの就職サポートを行う企業「J-SHIP」の代表取締役を務める。

■松永博史(まつなが・ひろし)

1968年9月5日生まれ。千葉県出身。1989年に俳優デビュー。フジテレビのドラマ「その時がきた」(97年)などで注目され、端正でありながら影もあるマスクで人気を博した。2021年8月末で所属していたホリプロを退社し、芸能界を引退。城友博が代表取締役を務める「J-SHIP株式会社」に入社し、芸能人を中心にしたセカンドキャリアを支援している。

芸能記者

立命館大学卒業後、デイリースポーツに入社。芸能担当となり、お笑い、宝塚歌劇団などを取材。上方漫才大賞など数々の賞レースで審査員も担当。12年に同社を退社し、KOZOクリエイターズに所属する。読売テレビ・中京テレビ「上沼・高田のクギズケ!」、中京テレビ「キャッチ!」、MBSラジオ「松井愛のすこ~し愛して♡」、ABCラジオ「ウラのウラまで浦川です」などに出演中。「Yahoo!オーサーアワード2019」で特別賞を受賞。また「チャートビート」が発表した「2019年で注目を集めた記事100」で世界8位となる。著書に「なぜ、この芸人は売れ続けるのか?」。

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1999年にデイリースポーツ入社以来、芸能取材一筋。2019年にはYahoo!などの連載で約120組にインタビューし“直接話を聞くこと”にこだわってきた筆者が「この目で見た」「この耳で聞いた」話だけを綴るコラムです。最新ニュースの裏側から、どこを探しても絶対に読むことができない芸人さん直送の“楽屋ニュース”まで。友達に耳打ちするように「ここだけの話やで…」とお伝えします。粉骨砕身、300円以上の値打ちをお届けします。

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